第2−2話 Person who gets carried away

「昨日言ってた『取引』ってのは、彼のことか?」

納田終が冷静さを装いつつ咲に尋ねる。

「納田終さん、理解が早くて助かるー」

咲がラジカセを小脇に抱えたまま頷く。

「彼は天地統真。これからの戦いで頼りになると思ってスカウトしました」

天地統真は片腕を軽く振り、咲を一瞥する。

「俺はただ……世界最高の義肢が欲しいだけだ」

天地統真は鋭い視線を莉奈に向ける。

豹の斑紋が浮き出た異形の身体を観察しながら、彼は笑みを浮かべた。

「おいおい、真瀬莉奈。えらくデカくなったな。朝食は皿いっぱいのグラノーラにヨーグルト。それを二杯ってとこか。うん? どうなんだよ」

「天地君、油断しないで!」

守羽咲がラジカセを調整しながら叫ぶ。

「彼女は儀式に使われたただの餌。本命が来る!」

その言葉が終わるや否や、教室の外から低い唸り声のような音が響き渡った。

突風が吹き荒れ、窓の外から黒い影が飛び込んでくる。

「なっ……なんだ!?」

亮が叫ぶと、黒い影は空中で異様な軌跡を描きながら莉奈の方向に急接近する。

「これって……!」

納田終が目を見開いた。

「羅鬼の右腕……!」

それは、まるで生きているかのようにうねる血のように赤い右腕だった。

北海道の防人社封印されていた羅鬼のパーツ。

だが、その行方は長らく不明とされていた。

「なんだあれ!」

破徒が叫ぶが、終は状況を分析する余裕さえない。

羅鬼の右腕は莉奈の身体を目がけ、一直線に飛んでいった。

「莉奈、避けろ!」

亮が警告するも、莉奈の動きはすでに鈍っている。

咲のラジカセから流れる神哥が確実に彼女の動きを封じているのだ。

「私の体に……これが来る……!」

莉奈の声は低く震え、苦痛と陶酔が入り混じったようだった。

その瞬間、右腕が彼女の肩に吸い込まれるように結合した。

「……うあああああああああっ!」

莉奈の悲鳴が教室中に響き渡る。

結合した右腕が脈動し、異形の力が全身に広がる。

彼女の身体はさらに膨張し、斑紋が増える。肩から下が異常に肥大化し、巨大な鋭い爪が生えると、机や椅子を無差別に砕き始めた。

「これが……羅鬼の右腕……!」

納田終は唾を飲み込む。

「ヤバいって、ヤバいって!」

破徒が後ずさる中、天地統真は一歩も引かず前進する。

「面白くなってきた」

咲が焦りながら叫ぶ。

「天地君、無茶しないで! 今の彼女は飲み込まれる寸前!」

だが天地は笑いながら構える。

「飲み込まれるか、それとも支配するか。それを決めるのが戦いだ」

莉奈の瞳が赤く輝き、喉から咆哮が漏れる。

「私の体が……燃えるようだ……もっと……力が欲しい……!」

彼女の声がもはや人間のものとは思えないほど低く、獰猛なものに変わっていく。

羅鬼の右腕がもたらした力。

それは、彼女を完全なる怪物へと変えつつあった。

だが、それはすぐには持たなかった。

莉奈の体が一瞬ガクッと揺れる。

そのままバランスを崩して、破った窓から無理矢理飛び出していく。

まるで自分の肉体が納得していないかのように。

「うっ!」

「肉体が適合しきれてないようだな」

天地統真の声が冷静に響く。

だがその後の声には不安の色が隠しきれない。

「今のうちです。早く避難しましょう」

土御門次郎が鋭い声で生徒たちを促す。

だが、次の瞬間、亮の叫びが教室を支配する。

「先生!破徒が、破徒が莉奈に連れて行かれた!」

その言葉に、土御門が一瞬硬直するが、すぐに眉をひそめて口を開く。

「何ですって?」


教室の中に緊張が走る。

破徒が莉奈に連れ去られたことを知った全員の視線が一瞬、硬直した。その空気を破ったのは、再び天地統真の冷静な声だった。


「行こう」

天地は言葉少なに、すでに校庭へと駆け出す準備をしていた。

彼の表情には焦燥とともに強い決意が込められているが、その内面では明らかに不安が渦巻いている。

破徒が連れ去られ、莉奈の変化が進行中であることは、予想以上の事態だ。

納田終は、天地の後に続きながらも、冷めた目で周囲を見渡していた。

彼の頭の中では状況に対する冷徹な分析が続いていた。

状況が悪化すれば、さらに駆け引きが必要になる。

ただ現状、彼にできることはただ、任された役割を果たすことだけだ。


同刻。


教室の中では、生徒たちが次々と避難を始め、土御門次郎は最後までその場に残る。

咲も、再びラジカセを手にしたまま立ち上がり、決意を新たにした。

「任せてくださいよ」

咲の声に微かな頼もしさが感じられる。

ラジカセの音を微かに聞かせながら、彼女はその後、土御門に向かって言った。

「準備は整いました。後は時間の問題です」

「では、すぐにでも発動を」

土御門は素早くその場を指示し、咲が確認するように頷いた。

防御や攻撃の準備が整う中、彼女の瞳には冷徹さとともに、どこか心の奥底で葛藤しているような色が見え隠れしていた。


その時、教室が突如として激しく揺れる。

爆風が吹き込む音とともに、破れた窓から破片が散乱する。

教室の中でその音に驚いた生徒たちが叫び声をあげる中、校庭を見て生徒の一人が叫ぶ。


「莉奈、あれ完全にイッてるよ!」


その姿は、すでに人間の形ではない。

羅鬼の右腕が完全に彼女の身体に適合し、その力を宿した姿は、まさに神のよう。

目の前でその異変を目撃した天地の視線が鋭くなる。

「莉奈……!」

天地は息を呑んだ。

もはや彼女は、羅鬼の力が完全に彼女の身体に支配され、さらに強化されたのだ。

破徒を連れ去ってから、少しの時間しか経っていないが、その間に莉奈の体はすでに変化し、強大な力を手に入れていた。

その強さに圧倒され、天地は一瞬、動きを止める。

自分が目撃しているのは、もはや人間ではなく、神そのものだった。

「お前、何を……」

「アハハハハ!」

天地が口を開こうとしたその瞬間、莉奈が笑った。

その笑い方はどこか楽しげで、だが同時に冷徹そのもので、周囲の空気を一瞬で凍らせる。

「破徒、食べちゃった」

その言葉が響いた後、莉奈は無表情のまま破徒に向かって鋭い爪を振りかざした。

まるでその瞬間、時間が止まったかのように感じられる。

天地が反応する暇もなく、爪はすでに彼の視界を切り裂いている。


だが、納田終はそれを見逃さない。

彼は間髪入れずに莉奈に向かって身を投げる。

「俺は部外者だがよ、あんまりじゃないか。自分のクラスメイト食うなんざさ!」

納田終の声が響く。

その声に込められた怒りと呆れは、どこか痛々しいほどだった。

しかし、莉奈の反応は予想を遥かに上回るものだった。

彼女は納田終をまるで無視するように、次の動きを速やかに起こす。


羅鬼の右腕が、まるで意思を持ったかのように激しく動き、納田終の動きを無慈悲に振り払った。

振動とともに、彼は足元をすくわれ、何もできずに地面に叩きつけられる。

その光景を見て、天地は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

心の中で、ある決意が固まる。

いや、もはや決意と呼ぶには遅すぎるかもしれない。

だが、その言葉だけははっきりと聞こえた。

「やられた……!」

その言葉は、痛みと共に胸の奥を貫いた。

破徒を救うために駆けつけた、つもりだった。

だが、結局、彼を取り戻す前に、莉奈はその力を完全に手に入れてしまった。

その瞬間、天地は自分の無力さを痛感する。

「ああ、もうだめだ」

内心で呟くが、声には出せなかった。

義肢で生活する彼を偏見なく受け入れた最初の人間は、彼だったのだから。

「俺は、あいつを守る力もなかったのか…」

それが、何よりも悔しかった。

破徒を助けるために動いてきたはずだったのに、結局その腕すら取られ、莉奈に力を与えてしまった自分をどうしても許せなかった。


そしてその時、目の前で莉奈が力を完全に発揮した姿が、天地をさらに追い詰める。


彼女は肉体と力が一体化し、絶対的な支配者となって立っている。

その双眸には、もはやただの戦闘を超えた、冷徹で揺るぎない決意が宿っている。

そんな彼女を、天地はただ見つめることしかできない。

「ああ、もう……」

心の中で響くのは、悔しさと、焦り。そして、何もできなかったという無力感。

莉奈の姿を前にして、天地は初めて、自分がどれだけ小さな存在だったかを思い知った。


だが、せっかく手に入れた力だ。

せめてもの一太刀を。


天地が奮い立つ。

今はただ、目前の敵を倒す。

それだけだ。


「行くぞッ!」


彼の義肢、正式には〈奇械技肢〉と呼ばれる兵装が唸りを上げる。

正装院で開発された対羅鬼用の兵装であり、その力を扱える者は先天的に四肢の欠損を抱えた者に限られる。

天地は「幸いにも」その条件を満たしていた。


眼前の莉奈は、破徒を取り込み、羅鬼の右腕を融合させたことでさらに異形と化していた。

その肉体は人間の枠を完全に超え、全身に浮かぶ黒い模様が不気味に脈動している。

「喰らえッ!」

天地の叫びとともに、義肢の刃が莉奈に向かって鋭く突き出される。

その一撃は空気を裂き、教室を震わせるほどの威力を秘めていた。


だが、莉奈の動きはそれを上回っていた。

「遅い!」

異形と化した右腕が天地の義肢を受け止める。

それはただ受けるだけではなく、義肢を絡め取るように動き、反撃の瞬間を狙う。

「くっ……!」

天地は素早く刃を引き、間合いを取るが、彼女の動きには寸分の隙もない。

その瞳は冷たく光り、まるで自分が新たな力を手にしたことに陶酔しきっている。

「この腕、最高。破徒もいい栄養になってるわ」

莉奈は笑う。

その笑顔には、もはや人間らしさはない。


天地の胸が軋む。

破徒を救えなかった悔しさ。

そして、その破徒の犠牲の上に成り立つ莉奈の力に対する嫉妬。

そして何よりも。

認めたくはなかったが、心の奥深くにはその力を手にすることができなかった自分自身への苛立ちがあった。

「くそっ……どうして破徒が……!」

その言葉が口をついて出た瞬間、天地は自分の感情にはっきりと気づく。

破徒を救えなかった悔しさではない。

圧倒的な力を前にした、羨望と嫉妬。

それが胸の中でぐつぐつと煮えたぎっているのだ。

「羨ましいなら代わってみるー? イヤだけど」

莉奈が不敵な笑みを浮かべる。

次の瞬間、彼女の右腕が天地に向かって襲いかかる。

そのスピードは常人の目では追えないほど、速い。

「……チッ!」

天地は辛うじて身をかわすが、間に合わなかった。

莉奈の攻撃が義肢に響く。

その力に押され、天地は床を滑るように後退した。

納田終が一歩前に出る。

「おい、天地。お前、あんまりカッコ悪いと後が続かねぇだろ?」

その声に反応し、天地は再び立ち上がる。だがその目には、今度こそ迷いと葛藤が渦巻いていた。

「俺だって……俺だって、あの力を手に入れていれば……!」


その呟きは、誰にも届かなかったが、天地自身の胸を深く突き刺していた。

それを見て、莉奈は興味を無くした。

視線を変える。

「納田終サン、だっけ。こんな雑魚はもう飽きたから、私と遊ぼうよ」

「よし……! クソっ、ダメか」

納田終は浄縛鎖を腕から射出することを試みるが昨日自分の知らぬところで仕込まれた装備であるため、まだうまく操れず明後日の方向へと飛んでいってしまう。

莉奈は興味深そうに納田終を一瞥し、その視線を冷笑とともに逸らした。

「んー、なんか思ったより弱いねぇ。ちょっと飽きちゃったかも」

その軽い声が、納田終の胸を刺す。

彼は歯を食いしばりながら腕を振るい、もう一度浄縛鎖を射出しようとした。

しかし、今度は鎖の切先が地面に深く突き刺さってしまう。

「……抜けねえ!」

苛立ちを隠せない納田終に、莉奈は興味を失ったかのように小さくため息をつき、顔を斜めに向ける。


「あーあ、残念。それじゃそっちの二人──咲さんと先生? そっちのほうが少しは楽しませてくれる感じかなー」

挑発とも取れるその言葉に、窓の外から様子を窺っていた咲と土御門の表情が引き締まる。

「咲さん、行きましょう」

「了解です。ご指示を」

土御門が小さくうなずくと、咲はふわりと微笑みを浮かべた。

そのままラジカセの端子にマイクのピンを刺し、低い声で告げる。

「──いけ、〈百計多羅図〉!」

その瞬間、学校中に仕掛けられていた九十九もの術式が一斉に発動した。

「派手にいっちゃえ!」

廊下、天井、机の下、窓枠。

教室や校舎内の至るところから、光の槍が莉奈目掛けて突入する。

その圧倒的な数と速度は、ひとたび見れば逃げることすら不可能に思えるほどだった。

「なるほど、これは見事」

土御門が唸るように言葉を漏らす。

だが、その感嘆は次の瞬間、粉々に打ち砕かれることとなる。

「うわ。しょーもな」

莉奈は冷めた声でつぶやき、右手を軽く振った。

それだけだった。


九十九の術式たちは彼女の体に触れる寸前で全て弾かれ、軌道を外れた光の槍が校舎の壁や床を無造作に貫いていく。

煙が立ち上り、視界が歪む。

そんな中で莉奈だけが傷ひとつ負うことなくそこに立っていた。

「意外と頑張ったんじゃないの。まあ、結果はこんなもんですけど」

挑発にも似たその言葉。

咲は軽く肩をすくめながらも、内心で戦慄を隠せなかった。

「やばいなー。流石は羅鬼の右腕、伊達じゃないってわけか」

莉奈はわざとらしく首を傾けると、にやりと笑ってみせる。

「それで、次はどんなおもちゃで遊ばせてくれるのかな。アタシもうちょっと楽しみたいんだよねー」

その言葉には、勝者の余裕と嗜虐的な好奇心がたっぷりと込められていた。

「土御門先生、これちょっとやばいかも知れませんね」

咲が諦め半分の声を漏らすと、土御門は冷静な口調で返す。

「いや、まだだ。守羽さん、時間を稼ぎます。次の手を用意してください」

「次の手、ねえ……さて、何を出そうかしら?」

咲がラジカセを撫でながら意味深な微笑みを浮かべる中、莉奈の狂気に満ちた視線が二人をじっと見据えていた。

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2024年11月27日 00:00

〈KITAN〉^2 TAKEUMA @atsushiA1210

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