少年、美獣と邂逅す

第2話

「食べないのか?」


 目の前の女性がそううながしてくる。 


 どこか冷たい印象を与えるほどに、目鼻立ちのキリっとした美しい顔の女性であった。


「——食欲ないんで……」


 ススムは消え入りそうな声で、そう答えた。目の前の女性の美貌に委縮しているわけではなく、本当に食欲がなかったのだ。


「勿体ない。せっかく頼んだのに」


「すんません……」


 ススムの目の前には、ジュウジュウに焼けた肉の塊——ぞくに言うステーキが存在していた。程よくサシが入っており安物の固い肉ではない。それが焼き立ての状態で目の前に鎮座しているのだ。普通ならば、食べ盛りの男児にとっては垂涎すいぜんの的である。白米と合わせればもはや言う事はない。


 しかし、今のススムにとってはどうしてもに見えてしまう存在であった。だから、自然と食欲が失せてしまう。本来香ばしいはずのあぶらの匂いですら、鼻腔に粘りこく張り付き吐き気をもよおす始末である。


「食べる事もトレーニングの一環だ。そうせねばは育たん」


 そう言いながら、女性は自身の獲物えものに喰らい付く。一口というには少しばかり大き目に肉を切り分け、口に放り込む。そして咀嚼そしゃくし、ゴクリと飲み込む。


 官能的とすら思えるほどに色っぽく、それでいて大胆な喰いっぷりであった。見る人が見れば情欲すらそそられるであろう。


 しかし、今のススムにとってその光景は辟易へきえきとするものであった。どうしてもその所作に、がチラついてしまうからである。


「……よく食べれますね。見た後に」


 正直な感想をススム吐露とろする。


。こうして喰うことで、より一層、生を実感できる。お前もいずれはそうなる」


「分かりませんね、僕には。むしろ今は、ヴィーガンにでも転向したい気分ですよ」


「無理だな、お前には。あれは修羅の道だ。私なら1日で発狂する」


 でしょうね、という言葉をススムは心の中で呟く。


「とにかく、喰え。肉が冷める。冷めると固くて不味くなる。冷めた肉ほど不味いものはない。ますます喰い辛くなるぞ」


「……分かりましたよ」


 渋々しぶしぶススムは了承した。


 冷えて固まった肉の脂身が口に広がる様を想像したらますます辟易へきえきとした気分に陥ったというのも理由の一つだが、それよりも何よりも、。彼女は恐らく口をこじ開けてでも肉を詰め込むであろうことが容易に想像できたし、それよりももっとをしでかしてきそうな予感もあった。


 ススムは言われるがまま肉塊を一口大に切り分け、口に運ぶ。香ばしい肉の香りが口一杯に広がる。彼の脳は、これを美味しいと認識する。しかしながら彼の心が、それを否定する。

 

 相反する感情、矛盾。それが口内というあまりに狭い空間で発生し、脳内という小宇宙で衝突した。これまでの短い人生の中で最も複雑な一口であることは間違いなかった。


感想かんそうは?」


 女性が聞いてくる。ススムが苦渋の決断で肉片を口内に入れる間に、彼女はすでに2枚目の肉塊に手を付けつつあった。肉を切り分けるその所作こそ丁寧ではあったが、そのたたずまいは肉食獣のそれを連想させ、一種の凄味すごみを感させた。


「……清濁せいだくあわむってやつですかね、なんとも、こう、複雑です……」


「なんだその表現は、わずらわしい」


 小賢しいススムの返答を一蹴し、女性は飲み物に手を伸ばす。そして一気にそれを飲み干し、同時に肉も洗い流す。中身はそれなりに度数の高い酒だったはずだが、それを感じさせない豪快な飲みっぷりであった。


「そんなの、四の五の言っていないで飲み込んじまえばいい」


 そう言って女性は3枚目の肉塊に手を伸ばす。


「そう割り切れないですよ……」


 そうつぶやきつつも、ススムは二口目を口に運ぶ。喰わなければ、肉は無くならない。行動を起こさなければ、何も始まらないのだ。


「小難しく考えるな。どうせ無駄だ。割り切ると楽になるぞ。私みたいにな」


 いつの間にか3枚目を片付けた女性は、今度はデザートに手を伸ばしつつあった。とはいっても、一口大のアイスとかいう可愛らしいものではない。人の顔ほどの大きさの器に入った、特大のパフェであった。ススムでなくとも食欲を無くすほどの凄味すごみが、その甘味かんみから発せられていた。


「割り切る割り切らない以前の問題でしょ、それは……」


 その圧倒的甘味量から目を背けつつ、ススムは肉を口に運ぶ。そして先ほどの女性の姿から着想を得たのか、彼もまた飲み物に手を伸ばし、そしてそのまま肉ごと流し込む。


―——まるで、、洗い流し飲み込もうとするかのように。

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殺し合わなきゃ、愛せねぇ!! arupe @arupe

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