殺し合わなきゃ、愛せねぇ!!

arupe

序章

第1話

―—嗚呼、なんとも美しい姿であろうか。


 思わずそう感嘆せざるを得ない存在が、目の前に立っていた。


 それが背筋が泡立つほどに恐ろしく、殺したいほどに憎い存在だとしても、たとえそれが人を逸脱した存在であったとしても、美しいものは美しい。美とはそれだけで価値があり、絶対的な概念なのである。


 新藤ススムの胸中に衝動が去来する。その美しい存在を目撃して、ズクンと胸の奥がざわめく。それは激情すら含んだ陶酔、甘美な誘惑……オスとしての本能を刺激する性衝動であった。

 

 そう、目の前の美しい存在はメスであった。しかも飛び切りの美貌びぼうを誇る、うら若き乙女であった。


 ススムだけではない。それを目撃していた誰もが目を奪われていた。異性・同性問わず釘付けになった。恍惚とした表情を浮かべる者すらいた。美とは性別すら超える。それが今まさに証明された瞬間であった。


「——ようやくだわ」 


 嗚呼ああ、なんということであろう。は声すらも美しかった。脳髄をとろけさせるかの如く甘ったるい蜜のような声が、そのうららかな唇から零れ落ちていた。しっとりした質量すら感じさせ得るその御声が、さらに周囲を陶酔の渦に巻き込もうとしていた。


「ようやく、


 彼女は一人の男に話しかけていた。目の前の少年に、新藤ススムに。有象無象が存在するこの部屋の中でただ一人、彼だけに向けて話をしていた。そして愛の言葉を囁いていた。


 事情を知らない者からしたら、ススムはまさしく幸運な男に見えていたであろう。日陰者の分際にも関わらず、このような美しい存在に目をかけてもらうなど、僥倖ぎょうこう以外の何物でもないと。


 しかし、事実とは奇なるものである。少なくともススム自身は、今置かれている状況を幸運だと思ったことは一度もなかった。むしろ逆、とてつもなく受難に満ちた状況であると認識していた。


 彼女の愛のささやきがきっかけで、ススムの胸中に去来していた甘いうずきが、別の衝動に置き換わろうとしていた。我に返ったとでもいうべきか、先ほどは気の迷いであったと言わんばかりに。


―——それは怒りに似た激情であった。


 ただの激情ではない。生物的本能に訴える根源的な激情、使命感すら帯びた感情であった。 


―——そうだ、ころさなければ。


 ゆっくりとススムの右腕が動く。全くよどみなく、美しいとすら思えるほどに流麗りゅうれいに。18の年若き少年が身に着けるには分不相応な、熟達じゅくたつ所作しょさがそこにはあった。まさしく達人の振る舞いと言えるものであった。


―——られる前に、らなければ。


 右腕が腰に伸びる。そこには何もない。刀も銃も、武器になりそうなものは何もない。それはそうだろう。ここは学校、教室、そしてススムは学生服に身を包んでいるのだ。そのような物騒なものなど、何一つ身に着けているはずがなかった。しかし、そこに何かがあると思わせるほどには、その所作には凄味すごみがあった。


―——


 一回りススムの姿が縮んだように見えた。バネの如く身をかがめ、四肢に力を込め、丸まったのだ。


 そして瞬間——弾けた。


 どん、という音が教室に響いた。もっとも、周囲の者がその音を聞いた時には既に、ことは済んだ後であった。


 音の正体は、先ほどまでススムが立っていた床を見れば一目瞭然であった。彼の二本の足が立っていた場所にクッキリとくぼみが出来ていた。凄まじい力で蹴り抜かなければこうはならないであろう。つまりは、そういう事である。


 凄まじい脚力でもって、ススムは彼女に突進したのだ。


「———あらら」


 彼女の声だ。


「もう始めるの? 気が早すぎやしない?」


 その声には余裕の響きが含まれていた。しかし、目の前に広がる光景はそれとは明らかに矛盾していた。


 彼女の胸部を黒々とした物体が貫いていた。それは一見すると黒い刀身を持つ剣のように見えたが、実際は違っていた。それは胴締め……ベルトであった。黒々とした刀身はベルトの色だったのである。それがまるで剣のように硬質化し、ススムの手によって彼女の胸を貫いていた。


 しかし、胸を貫かれたはずの彼女は痛がっている様子すらなく、むしろそんな状況を楽しんでいるかの如く笑を浮かべていた。


「形状記憶合金と言ったところかしら? これまた酔狂なモンを持ち出したわね」


「……サプライズにはうってつけだろ?」


「まあね、。フフフ」


 異常な光景であった。少年が少女の胸を刺し、そのうえで二人とも談笑しているのである。……いや、談笑とは言い難いか。少なくとも笑っているのは刺された少女だけで、刺した側の少年ススムは険しい顔を崩さない。ただ、まるで初めからこうなることを承知していたかのように話を続けていた。


「でも……いいのかな?」


「……何が?」


「こんなに不用意に近づいちゃってさ。……接近戦は避けろって言われていたはずでしょ?」


 少女がススムの首に手を回す。今やそれほどまでに二人の距離は近く、その姿はまるで恋人同士の抱擁ほうようの様に見えた。


「お前こそわざわざ受けに回りやがって。余裕で避けられただろ?」


「そりゃ、ねぇ。でも、殺す気がない攻撃を避けたところでねぇ」


「一応、殺すつもりでやったんだがね」


「ウフフ、そう? その割にはお行儀が良すぎない?」


「ハッ、確かに。テメェを仕留めるにはお利口さんすぎたな」


 少なくとも、少女は自身の胸にベルトが刺さっているという異常な状況を全く気にしてはおらず、ススムも刺したことに対して全くの罪悪感を覚えていない様子であった。チグハグで統一感の欠片もない、異常な光景。しかし何故だかどうして、この二人に関してはこの光景こそが自然なのだという雰囲気が、確かにそこにはあった。


「ねぇ、いつまでこうしているつもり? 無計画に突っ込んできて終わり? ——こんなんじゃ私、満足できないんだけど?」 


 ススムの首に回された腕に、少し力が込められた様に見えた。


 何も知らない者たちから見れば恋人同士の抱擁のようにしか見えないが、を知っている者たちから見ると


「こんなのかすり傷よ。キミだって知っているでしょ?」


「……知っているよ。嫌と言うほどな」


「だったらなんでこんな真似を? まさか、自暴自棄になったわけじゃないわよね? だったらちょっと、ガッカリなんだけど」


「……べ、別にいいじゃねぇか、どうでも……」


 ここにきて何故だかススムが言葉をにごす。先ほどうら若き乙女の胸を刺し貫き、未だにその凶刃を握りしめている存在が、人を刺すのに躊躇ちゅうちょしなかった彼が、何故だか言いよどんでいる。


 しかし、彼女は――小神おがみリオは、次の瞬間にはススムが何をしたかったのか合点がいったようであった。だから、いたずらっぽい笑みを浮かべてささやいたのだ。


「まさか、のつもり?」


「ぶっ!?」


「盛り上げようとしてくれたんだ? 私のために? ありったけの気持ちを込めて、ぶつかってきてくれたんだ?」 


 進は何も言わない。しかし、耳まで真っ赤になった彼の顔が雄弁に物語っていた。


「アーハハハ! かーわいい!!!!」


「うるせぇ!! 不完全燃焼だと!」 


「あはは、ありがと。君なりに考えてくれたんだね。そういう気づかいが出来る男になっているなんて、予想を超えてきたね。こりゃ一本取られましたな」


「ッチ やっぱてめぇは殺す。殺すに限る」


 そう言うや否や、ススムはリオの腕を払いその胸からベルトを引き抜きつつ飛びのく。抱擁が解かれ、二人の距離は再び離れる。


 ススムの手には先ほどのベルトが握られていたが、今やその硬度は失せベルト本来の姿となっていた。そして驚くことに、先ほどまでベルトが刺さっていたリオの胸の傷は、すぐさま何事もなかったかのようにふさがりつつあった。


「ありゃりゃ、もうえちゃったの? 本番はこれからなのに?」


「心配しなくてもすぐにぶち込んでやるよ。嫌と言うほどにな」


 再びススムのベルトに硬度が戻り、ブレード状に変形する。特定の電気信号を送ることで配列を変え姿を変える形状記憶合金。彼の持つベルトはその技術を応用した代物であった。

 

「うふふ、元気いっぱいね。ビンビンじゃない。今度はちゃんとイカせてよ?」


「ほざいていろ、頭ピンク野郎が」


 確かにリオの言う通り、それはまるでいきり一物いちもつを象徴しているかのようであり、まるでこれから行う行為がそれに準じたものであると暗示させているかのようであった。


―——いや、実際にそうであったのだ。


「じゃあ、前戯は程々にしてそろそろ本番を始めましょうか? お預けは嫌いなのよね、私」 


「奇遇だな、俺もだよ。さっさと始めようぜ」


 恐らくというか確実に、二人は敵対関係にあった。でないと、これから殺し合うという事実と矛盾する。

 しかし同時に、確実に思いも通じ合っていた。愛し合う間柄と言っても差し支えない関係性でもあった。


「愛しているわよ、ススム」


 しかしだからこそ、この二人は殺し合わなければならなかった。 そうすることがまさしく、愛を証明する最大の行為だったのだ。


「殺してやるよ、今度こそな」


―——二人は、

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