地球の管理人

@Sumeshi1030

新宿、深夜23時

『深夜23時10分』


新宿、歌舞伎町の裏通り。その薄暗い路地の奥で、鮮血が舞った。鋭いナイフが男の背中を深々と切り裂き、真っ赤な血が路面に散る。男は苦痛に顔を歪めると、勢いよく血反吐を吐き出した。


血の臭いが強烈に鼻を突き、鉄の味が空気を支配する。男は黒いスーツの袖で血を拭いながら、ぎょろりとこちらを睨みつけた。その目には怒りと恐怖、そして理解できない状況に対する困惑が入り混じっていた。


「…なぜだ。なぜ分かった!」


地面に溢れた血液は、普通ならばコンクリートに吸い込まれるはずだった。だが、その血は異様な動きを見せる。じわじわと熱を帯び、やがて沸き立つように泡を立てながら蒸発していく。その光景に目を奪われそうになったが、気を抜いてはいけないと自分に言い聞かせた。


男の体に刻まれた傷口は尋常ではなかった。それは、ただのナイフの一撃ではない。魔力を込めた刃による一閃で生まれたその傷は、次第に裂け目を広げ、男の体を確実に蝕んでいた。男は苦しげにうめき声をあげながら、その場でよろめくように立ち尽くしている。


「油断するな!追撃しろ!」


鋭い声が背後から飛んできた。師範の声だ。その言葉でハッと正気に戻る。


震える手に握られたナイフを再び強く握り締めた。手汗で滑りそうになるのを堪え、体に力を込める。目の前の敵を仕留めなければならない。この瞬間、ためらうことは死を意味するのだ。


俺は意を決して前に踏み込み、男に向かって飛びかかった。男もまた、本能的に危険を察知したのか、こちらに背を向けて必死に逃げようとする。だが、背中の深い傷がその動きを阻害していた。足取りは遅く、もはや逃げ切る術はない。


「本当の姿を…現せ!」


俺は渾身の力を込め、ナイフを男の首元に突き刺した。そのまま力任せに刃を引き裂き、背中の傷口まで一気に切り開く。返り血が飛び散る瞬間、俺は反射的に後ろへ飛び退いた。血液の蒸発する様を見ていたからこそ、コレに触れてはいけないと体が本能的に拒否したのだ。


「ふざけるな……ふざけるなあああああ!」


耳をつんざくような絶叫が路地に響き渡る。男の叫び声は、もはや人間のものとは思えなかった。低くうなり、途切れることなく響く声が、空気を揺らす。それに続くように、男の体が激しく痙攣し始める。


裂けた傷口がさらに大きく開き、深い闇のような何かをのぞかせる。やがて、その裂け目の中から溢れ出るようにして現れたのは、人間とは到底呼べない姿の何者かだった。


巨大な爪、ぎらつく牙、血塗られたような赤黒い皮膚。人間の皮を破り、その中から飛び出してきたのは――怪物だった。


「上出来だ。後は私に任せればいい。君はこの空間を現実世界から、今すぐ遮断するんだ。訓練通りにやるだけでいい」


師範は俺の肩を軽く叩き、俺の手からナイフを受け取ると、さっそく怪物に対峙した。


心臓が速く鼓動を打つのを感じる。俺はすぐに後退し、十分な距離を確保した。その後、手を前に突き出し、深呼吸をして魔法を行使する。


「空間断絶」


俺の口からそれが発せられると、掌から強烈な魔力が溢れ出す。魔力は、現実世界を塗り替えるように街中を駆け抜ける。瞬時に、周囲の音と風が消え去り、次の瞬間には周りの景色がモノクロに変わっていた。街を照らすネオンの光や、煌めくビルの明かりが一切を失い、すべてが灰色に染まる。


これは、俺が今行使した魔法――空間断絶の力によって、現実世界から私たちのいる場所だけが隔離された結果だ。


「かんぺきにニンゲンにギタイしていたはずだ。ナゼみやぶらレた」


その声に耳を澄ますと、かつては人間だったというものが、今や恐ろしい怪物に変貌していた。まるでトカゲのように鱗が体中に生え、言葉を発する度に唇と唇の間から鋭い牙が見える。


その姿は、もはや人間の面影を一切残していなかった。尻尾も、長く太く、まるで獣そのものであり、人間の姿をしているとは言い難い。


「そのダダ漏れの魔力で、擬態してるつもりとは浅はかだな」


師範の挑発に分かりやすく乗った怪物は、鱗を逆立たせ、カリカリと牙の音を鳴らす。カメレオンのように巨大な目玉が師範を捉えたが、師範は動じることなく、その場に立ち尽くしている。


「ナメるなよ、”かんりにん”共め。おまえヲいっしゅんでころして、オレハまたじゆうにナル」


怪物は血走った目をさらに大きく見開き、鋭い爪をむき出しにして一気に飛びかかってきた。まるで獣のような猛然とした勢いだ。その動きは、まさに一撃必殺といったものだった。


だが、師範は冷静だった。怪物の爪が迫った瞬間、彼はかすっと身をかわす。


余程、速度には自信があったのか、攻撃をいとも簡単に避けられたことにあまりにも怪物は驚く。それによって生まれた僅かな隙を師範は見逃さない。その振り払われた怪物の左腕を掴むと、すばやく振るったナイフが怪物の左腕を切り落とし、ボトリと地面に落ちる。


「グァぁあぁァ」


怪物は鈍い叫びをあげる。


「…あまりにも遅い」


師範の冷徹な一言とともに、怪物は再度暴れながら攻撃を繰り出すが、すべてを軽々とかわし続ける。その後、右腕も切り落とされ、追い詰められた怪物は最後の手段として、尾を使って攻撃を試みる。


しかし、その尾もまた師範の鋭い一撃によって切り落とされ、ついにその攻撃手段を完全に失った。攻撃を受けた怪物は、震えながらその場にうずくまり、必死に逃げようとするが、師範は容赦なくその首を切り落とした。


その瞬間、怪物は倒れ、血の海が広がる。だが、この血もすぐに蒸発して消え去った。白黒の世界に浮かぶ唯一の血痕が、まるで虚無に溶け込むように消え失せていく。


師範はフルーツナイフを無造作に排水溝に捨て、腕時計をちらりと確認する。



『深夜23:40』



「急ごう、今なら終電に間に合うはずだ」


心臓がドキドキと激しく鼓動を打っている。


まさか、実戦はこんなにも強烈なものなのか。


心の準備はできているはずだった。しかし、体が震えて止まらない。


俺は首を横に振る。掌を力なく前に突き出し、言葉を呟く。


「解除」


その瞬間、すべてが元に戻る。失われた色彩が一気に取り戻され、ビルの風が再び吹き、遠くから人々のささやき声が耳に届く。


私はその音に安堵しながら、師範の後を追い、必死に走り続けた。


俺の身に何が起きたのか。


全ては、3日前の朝に巻き戻る。

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