エピローグ

「編集長、これチェックお願いします」

「区民ホールから、編集長にお電話です」

 編集部員の手振りで、デモ演奏の流れるヘッドフォンを外すと、ゲラを受け取りながら受話器によそ行きの声が出た。

「はい、編集長の三嶋です」

 あれから十年がたって、わたしはどうにか編集長の座についていた。もちろん、楽な道のりではなく、人並みに苦労を重ねてきたつもりだ。

 結局ナイトビートは音の子書房から売り払われ、西川編集長と小田原さん、そしてわたしは売却先のベンチャー企業でDJマガジンを作りつづけることになった。ちなみに古賀さんは、かねてからの恋人が海外赴任となったことをきっかけに再婚。今は「ヌーヨークでファンキーに暮らしてる」そうだ。

 一時は売り上げも伸びて、ナイトビートは安泰かと思われたけど、それも長くは続かなかった。親会社のベンチャー企業が買収されてしまい、雑誌業務はあっさりと切り捨てられたのだ。それでも、西川さんは関西版の〈ナイトビート・ウエスト〉を自力で創刊した。今も、小田原さんをパートナーとしてシャレたローカルマガジンを作っている。

 もちろん、わたしにも声をかけられたけれども、その頃には自分自身のやりたいことを見つけていた。やはり、クラシックへの気持ちを断ち切ることは難しく、クラシックプレーヤーをサポートするようなメディアを夢に描いていたのだ。

 東奔西走すること一年余りだったけど、母校の絹神音大をはじめ、体調の回復したトモスケ元会長やプロデューサーの稲垣さんまで力を貸してくれたおかげで、フリーマガジン〈マイネ・ムジーク〉を創刊することができた。

 簡単に言ってしまえば、演奏者やステージの告知メディアであり、さして新鮮味はない。けど、マンドリンを弾くわたし自身の気持ちを素直に打ち出したのが良かったのか、プレーヤーや彼らを取り巻く周囲からの評判は悪くなかった。

 そして、自画自賛を承知でいえば、わたしが考えついたクラシック・デュオ〈バロック・ブラザース〉を専属アーティストにしたことがジャンピングボードになったのは間違いない。

「おいおい、百合香のアイデアにつきあってるのはボクなんだぜ。お手柄のひとり占めはカエサルの昔から大罪なんだからさぁ」

 そう、パッシーにリュートを弾かせ、いつかのバンドネオン奏者とデュオを組んでもらったのだ。最初こそ「あんなだみ声とハーモニーなんて冗談だろう」とハナもひっかけなかったパッシーだったものの、そこは詩人のことだ。今では「だみ声がスタッガードになって、ボクの声が光ることといったらないね」などと調子のいいことを言っている。

 転生はどうなったかって? 一度だけ、シリアスな顔で「しばらく出かけてくる」と半年ほど姿を消したことがあった。あの時はたしかに生きた心地がしなかった。

 真っ黒に日焼けした顔で戻ってくると、パッシーは満面に笑みを浮かべてこう言った。

「やあ、久しぶりだね、エリカちゃん」

 わたしは血の気がひいたけど、パッシーはすぐさま「なんちゃってー」とケラケラ笑い出していた。なんのことはない、悪ふざけをひとつ覚えて帰ってきてくれたのだ。

 わたしとパッシーがいつまで一緒にいられるかは「ラララ~ 神のみぞ知るー ラメの味噌汁ー」なんだそうだ。

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謳うDJ吟遊詩人 石橋怜光 @Bassy66

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