十八、終わりの朝
村はそれからも発展を続けた。
新しい発明があるたびに、新しい商売が生まれた。
村人の数は増え続けた。
建物の数は倍増した。
樹液が枯渇するたびに、新しい採液場が開発された。
村は世界樹を登りながら大きくなり、天に向かって成長し続けた。
かつて人力でこねていた食糧は、代わりに風車でかき混ぜられるようになった。
かつての縄ばしごは、カナモノ製の昇降機に代わった。
人や物を運搬するのにも、布を織るのにも、蒸気の力が使われるようになった。
さらに五年が過ぎたある日、わたしはウヅメに呼び出された。
◇
昇降機から降りると、すでにウヅメが待っていた。
「ごめんね、カガミちゃん。お仕事が忙しいのに」
見晴らしのいい枝に足場が組まれて、展望台になっている。
生い茂った世界樹の葉が、涼しげな木漏れ日を作っている。
抜けるような青空を背にして、ウヅメが立っていた。
「大丈夫。今日はお休みを取って来たから」
「サルとは相変わらず?」
「うん、続いているよ」
「結婚しちゃえばいいのに。わたしが式を取り持ってあげる」
見た目はほとんど変わっていないけれど、ウヅメも大人になったのだ。
こんなにハッキリと物を言えるようになるなんて。
「今はまだお仕事のほうが大事だから」
わたしは微笑んだ。
「村をもっと成長させないと」
ウヅメはふっと目を伏せる。
二人の間に、なんとなく沈黙が落ちる。
わたしは妙に気まずくなって、慌てて口を開く。
「あなたはどうなの、ウヅメ。最近は何か変わったことは?」
ウヅメは社殿の管理を任されている。
村が大きくなるたびに、儀式は簡略化されて、語り女の仕事は減っていった。
「わたしは、これを」
ウヅメは古ぼけた書巻を出した。
表面は手あかで黒光りして、ふちはギザギザに欠けている。
「社殿で保管していた書巻だよ。わたしは今これを翻訳しているの。村のみんなにも読めるようにしておきたいんだ。……たぶん、わたしは最後の語り女になるから」
ウヅメは弟子を取っていない。
自分はまだ力不足だからという理由で、弟子の指名を拒んでいた。
「カガミちゃん、驚かないで聞いてね」
まんまるな目でわたしを見つめて、ウヅメは言った。
「この書巻には、鉄の製法が書かれているの」
言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。
社殿には古い書巻が保存されていて、遠い祖先の知恵が書かれている。
語り女と、その弟子だけが、その知恵に触れられる。
「そんな……」
わたしは絶句した。
「それじゃ、まさか──」
ウヅメはこくりとうなずく。
「うん、アメノ様は樹液から鉄を作れると知っていた。アメノ様だけじゃない。ほんとうはわたしも知っていたの。村の語り女たちはもう何百年も昔から、鉄の製法を知っていたんだよ」
風にふかれて、ウヅメの前髪がはらはらと揺れた。
「……うそだよ、そんなの」
「考えてみて、カガミちゃん。村の工事をするたびに、語り女は物出しの儀をしてきた」
カナモノの道具を貸し出して、村を一段高い場所に移築する。
何百年も繰り返されてきた儀式。
「下界に落としたり、壊れてしまう大工道具があったはずでしょう。なのに、社殿で保管しているカナモノの道具は減らなかった。どうしてだと思う?」
この人は誰だろうと思った。
顔はわたしの幼なじみにそっくりだけど、わたしの知っているウヅメではない。
あの子は、わたしがいないとダメなのに。
「カナモノの道具を修繕するのは、語り女の仕事だったの。本当は秘密にしなくちゃいけないんだけど……。歴代の語り女たちは、社殿の奥で鉄を作り、カナモノの大工道具を作ってきたの。村の移築に備えて、道具を準備してきた」
わたしは笑った。乾いた笑いだった。
「なんで? どうして今まで秘密にしてきたの?」
心臓がどくどくと動いていた。
口の中はからからだった。
自分が怒っていることに、わたしはようやく気づいた。
「なぜアメノ様は鉄の作り方を教えてくれなかったの!」
トビウオが来るたびに誰かが下界に落ちて、赤ん坊が虫のように死んでいく。
もしも、アメノ様が鉄の作り方を教えていたら。
歴代の語り女たちが知識を独占していなかったら。
「村はもっと早く豊かになっていたはずだよ。きっと、わたしのお父さんが死ぬこともなかった!」
わたしはウヅメに詰め寄った。
「時間はたっぷりあったのに! 何百年もあったのに!」
「ごめんね、カガミちゃん」
ウヅメは身じろぎ一つしなかった。
「でも、そうするしか無かったの。村の将来のために」
「将来のため?」
今度こそわたしは本気で笑った。あはは、と声が漏れる。
「ふざけないで。サルが来るまで、村のみんなに将来の目的なんて無かった。将来を考える余裕なんて無かったじゃない!」
その日を生き延びることで精一杯だった。
ウヅメは手近な葉を一枚ちぎり取ると、葉脈をじっと見つめた。
「カガミちゃん、知ってた? 世界樹は生長しているんだよ」
「……何の話?」
「忘れがちだけど、世界樹は生きているの。幹に耳を押し付ければ樹液の流れる音がする。寒い日には葉を落として、暖かい日には新芽を伸ばす。この木は生きているんだよ」
「だから、なんなの?」
「世界樹も少しずつ大きくなっているの。枝を広げて、幹を伸ばして、高さを増しているの。世界樹は生長しているんだよ」
ウヅメの指から、世界樹の葉が滑り落ちた。
風に舞い上がり、果てしない青さに吸い込まれていく。
「語り女の弟子になったばかりのころ、どうして鉄の製法が秘密なのか分からなかった。たぶん、アメノ様にも分かっていなかったと思う。だけど、今なら分かるよ。……サルが教えてくれた」
黒目がちの瞳が、まっすぐにわたしを見ていた。
「村が発展してしまうからだよ。村があまりにも早く成長して、世界樹の生長を追い越してしまうからだよ」
サルが来てから五年後、村人はアメノ様を殺した。
それから五年後、村は絶えず発展しつづけてきた。
鉄の作り方を知ってからここまで、わずか十年だった。
「昔、村では樹液の大部分を捨てていたよね。たくさんの人や物を下界に落としていた。そうやって霧の中に落ちたものを養分にして、世界樹が成長していたとしたら……?」
樹液の利用率が高まったことで、世界樹の生育は阻害されたはずだ。
わたしたちが効率のいい暮らしをすればするほど、世界樹の成長は遅くなったはずだ。
「だけど、村は豊かになった!」
わたしは叫んでいた。
「空腹に悩まされることも、不慮の事故で死ぬこともなくなった。みんなが安心して仕事をできるように──」
「借りた鉄を返すための仕事を?」
「違う! みんなのための仕事だよ。仕事を通じて、自分の力を村の将来のために……」
わたしの声はだんだん小さくなっていく。
ウヅメは笑わなかった。
怒りもしなかった。
「将来のため、か……」
ため息をつくような口調。
「だけど、カガミちゃん。今のわたしたちは世界樹のてっぺんにいるんだよ。ここより上は無いんだよ」
ごう、と風が吹いた。
アメノ様が死んでから五年。
わたしたちは世界樹を昇り続け、村はついに樹冠に到達していた。
「今使っている採液場が枯れたら、どうすればいいの」
考えたこともなかった。
鉄が日用品になって、樹液はいつでも手に入るようになった。
しかし、今でも樹液は食糧であり、燃料であり、生活の基盤だ。
樹液がなければ村は滅亡する。
ウヅメは虚空に目を向けた。
「──どこにあるのかな、わたしたちの将来って」
息が苦しかった。あえぐようにわたしは口を開いた。
「そんな大切なこと、もっと早く教えてくれればよかったのに」
「教えようとしたよ。アメノ様の事件の直前、社殿の前でカガミちゃんを呼び止めたことがあったでしょう」
あの夜、聞いてほしいことがあるとウヅメは言った。
彼女らしからぬしつこさで、わたしを呼び止めた。
「あの時、わたしはカガミちゃんに教えるつもりだったの。鉄の製法のこととか、世界樹のこととか……。しきたりを破ることになるけれど、教えたほうがいいと思った」
しかし、直後に事件が起きた。
少しでもサルを疑うようなことを言えば、アメノ様の一味としてウヅメは殺されていただろう。
だから言えなかった。
今日まで秘密にしてきた。
「ねえ、カガミちゃん。サルが初めて社殿に来た日のことを覚えている?」
忘れるわけがない。
彼は慣れない正装をして、照れくさそうに笑った。
あの日はアメノ様も上機嫌だった。
社殿に集まった人々は、みんな楽しそうに笑っていた。
「ずっと、あんな日が続けばいいと思っていた。カガミちゃんとわたしと、アメノ様、村長様、棟梁様、サル……。みんなで笑いながら生きて、笑いながら死んでいきたかった」
ふと、風が止まった。
かさかさと音を立てていた世界樹の葉が、一瞬、沈黙する。
あえぐように、わたしは言った。
「──サルが、なんとかしてくれるよね?」
返事は無かった。
眼下には乳白色の霧がどこまでも広がっていた。
空は抜けるような青さで、太陽と月が交互に現れるほかに目立つものはない。
これが、わたしたちの世界のすべてだ。
『世界樹とサル』〈了〉
※本作は2013年に同人誌『幻想銀座』に収録したものです。
世界樹とサル Rootport @Rootport
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます