魚の骨

にゃしん

魚の骨

 秋の終わり頃、私は休日の昼は必ず外で食べる事にしている。

 それは来年の梅雨まで続けられる。

 楽しい外食が終わるのは梅雨が明けた時であった。

 突如出現するあの猛烈な暑さに私は耐えきれず、出勤以外は家の中で閉じこもり、おとなしく冷やした素麺を食べるのが我が家の習わしだった。

 

 昼食はよく行きつけのうどん屋に向かう。

 ここには開店から11時までの間にモーニングと称して、お得なメニューが食べることができる。あまり知られていない様で、客足は少ない。

 入店と同時に一つしかないレジにたち、小壁に掛かる立て札のメニューに一切気をとられることなくモーニングセットを頼む。


「肉うどんと鮭握り2つ」


 店員のおばちゃんに言うとまだ支払いもしていないのに400円が釣り銭受けに置かれた。唐突なことで面食らうが、財布から急いで1000円札を出した。

 しかし、これだけで税込み600円なのだから破格と感じてしまう。

 支払いを済ますと、水はセルフなので自分で用意していつもの定位置へと移動する。

 私の定位置は窓際席でソファと椅子2つで構成された4人掛けのテーブルである。

 来客は店内を見渡しても多くて7人くらいなので私は遠慮なく4人掛けのソファ側のテーブルに水を置いてから手洗いに向かう。

 なぜかこの店に来るいつもトイレに行きたくなる。

 念入りに手を洗い、トイレから戻ると既に注文したものが届いていた。

 この店は会計をしてからあまりにも届くのが早い。

 私は昼時に来ることはないので最繁時の状態は分からないが、それにしても1分足らずで運ばれてくるのは異常に感じる。

 何やら秘訣があるのだろうかと、レジから覗ける厨房を一瞥し、器より湯気立つ主役に目線を戻しながら、ゆっくりと腰掛けた。

 改めて見るご馳走に胸が弾む。

 決して裕福な食べ物ではないが、私にとっては日常の一コマなのである。

 頼んだものの他に小さなすり鉢がついており、新鮮な九条ネギが溢れんばかりに注がれている。それを遠慮なく溢れないように全て肉うどんにかけた。

 それからテーブル端の七味を茶匙で掬い、小山を作るとネギを化粧するように振りかけてやる。

 色付いたところで箸で麺を掴み、天地を返すようにしてネギを甘辛い汁の湖に沈める。

 ネギの風味が汁に加わり、良い塩梅となるのだ。

 十分に染み渡らせたら、レンゲで一口すする。

 途端に私のぶっきらぼうな顔が嬉しさで歪み、口角も緩む。

 再び口をつけ、満を持したらうどんをすすり始める。

 喉越し良く、ほとんど噛まずに丸呑みする状態に近い。

 口内に麺の余韻が残る合間にようやくおにぎりに手をつける。

 米と麺との配分を考えながら交互に食べ、時折忘れていた水を半分程のみきり、2つ目のおにぎりを裂いた所、何やら弓の形をした弧が米粒の階段を下るように皿へと落ちた。

 私は箸を止め、暫しその異物を凝視した。

 おそらくは魚の骨であるが断定は出来ない程、それは服のタグに使用するループロックにも見えてしまった。

 この時点で店員を呼ぶべきであった。

 席から死角になっているレジのおばちゃんを呼べば良いだけなのだが、私にはそれができなかった。

 ふと隣の席で食事をする老年の夫婦が目に入ったからだ。

 私が独りでに狼狽えている中で夫婦は二人で私と同じくモーニングを食べていた。

 両方とも肉うどんでネギはあまり入れず、おにぎりは2個だった。

 最初おにぎりは夫の前に置かれていたので、妻はうどんだけなのかと見ていた。

 すると、二口目を食べた妻が箸を置いて咀嚼の長い夫を呼んだ。


「お父さん、あたしゃは梅だから。先に食べるから、皿こっちにちょうだい」


 口の中が終わらぬ夫は黙ったまま皿を指で押して妻の方に近寄らさせた。

 そうして梅だと思うほうを箸で崩し、少なくとも私より上手く上手に食べ始めた。

 半分食べ終えた所で今度は妻が申し訳なさそうな表情で夫にまた言う。


「そっちも食べたいから半分個にしない。あたしの梅も半分あげるから」


 今度はタイミング良く、水で押し流したようで夫も口を開いた。


「ええよ。ほんなら、そっちで半分にして皿かえしてくれりゃーええ」

 

 その言葉に妻の顔が明るくなったように思えた。

 箸でおにぎりの中央に切れ込みを入れて裂いてやると、片方は手に持って皿を返した。うどんは既に食べ終わったのか眼の前の県道を眺めながら黙々と食べていた。

 私はこの情景があったからこそ、想いを踏みとどまれた。

 周囲の客は平日の時間帯だけあり、一人者や年金暮らしのような年配夫婦が多く見受けられる。フォーマルなフレンチや名のある料亭には決して行かない者たちにとって私も含めて憩いの場のようになっていると勝手に想像してしまう。

 もし私がこの魚の骨を指摘しようものならば、数日間の営業停止をし、鮭の切り身を卸す業者ならびに生産者も何らかの処分が下ってしまうのではないかと考えてしまい、それは結果わたし自身の首をしめてしまうこと他ならぬではないか。

 私は魚の骨を箸で摘み、注視した。

 両端は淡いオレンジ色をしており、これは秋鮭を彷彿とさせる。

 弧の中心は半透明色で一部に焦げ目のようなものがみえる。

 このまま心の内にしまっておこう。

 私は決心すると、皿の端の方に飾り付けるように優しくおいた。

 そうして何事もなかったかのようにうどんとおにぎりを平らげると、お盆を返してそそくさと店を出た。

 そして、窓際のあの年配夫婦を流し目で見ながら駐車場へと向かった。



 後日、晩食にサバの塩焼きが出てきた。

 祖母のリクエストだった。

 おおよそノルウェー産であるのは分かっているが、サバには変わりない。

 年々値上がりする魚介類の中でサバは、さほど値上げはしていないと訊く。

 焼いた際に出来た粉瘤のような白いタンパクを取り除き、箸で切り身をいれる。

 そのまま口へ運ぼうとしたが、苦戦する祖母に目がいった。 

 祖母は90を越えており、一人で食事するのはままならず、いつまでも魚を切り崩そうと奮闘する姿を見て、見兼ねて私が箸でほぐしてやった。

 すると、大きな骨が、あのときのような弧を描いたような立派な骨が押し出されるようにして出てきた。それは単なる乳白色であった。

 祖母は嫁いできた私の母に骨の取り忘れに文句を言おうと、私の後ろで洗い物に勤しむ母の背中を見つめ、まさに言葉を発せようかというタイミングで私は祖母の口の前に手を置いた。

 祖母の目が大きく見開き、標的は私に変わった。


「言わんほうが良い。骨ぐらいとってやるから」


 私は自分の分が冷めるのを覚悟して、祖母のを裏返して目につく骨はすべて取ってやった。

 身の方もすり身になるのではないかというぐらいにほぐし尽くし、完全に骨が取り除かれた瞬間、祖母は何も言わずに一心不乱となって食にありついた。

 食べ終わるまでの間、祖母は一言も言わなかった。

 ただ合間に独りでに頷きながら美味を表現していた。

 私はそれを見届けながら母の背を見つめた後、自分の分を食べ始めた。

 

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