2.義務聖女ヴィクトリア・スチュワート

馬車が修道院の門前で止まると、門を警備する助修士じょしゅうしが立ちふさがるようにして声をかけた。


「お待ちください、如何いかなるご用件ですか?」


ウィリアムはふところから一枚の紙を取り出し、窓から助修士じょしゅうし手渡てわたす。


すると、彼はすぐさま血相を変え、門を開いた。


「失礼しました、閣下。どうぞお通りください」


馬車は再び走り出し、石造りの壁の中へと吸い込まれていく。


石壁せきへきの中に作られた巨大な空間。


その中央には、さながら要塞ようさいのような堅牢けんろうさと神秘性を兼ね備えたふたつのとうと聖堂が鎮座ちんざする。


初代国王の王妃クリスティーナが集積した荘園しょうえん群を基礎に、ここ聖クリスティーナ修道会は設立された。


ウィリアムは馬車から降り立ち、そのまま聖堂の入口を抜けると、荘厳そうごんな空間が広がる。


長い廊下ろうか天井てんじょうは高く、き通るような硝子窓がらすまどからは夕日がみ、ゆかを赤々と染めていた。


回廊かいろうですれちがった何人かの修道士や修道女たちは、みな一様にウィリアムを視界にとらえると、少しおどろいたような顔をする。


だが、それも無理からぬことだろう。


枢密院すうみついん顧問官こもんかんとはいえ、ウィリアムは俗界ぞっかいに身を置いていた。


本来修道院には聖職者しか立ち入らない。


つまり、ここにいる者たちは、世俗せぞくとは無縁むえんの世界、聖界の住人なのだ。


そんな中に、宮廷きゅうていのような魑魅魍魎ちみもうりょうが巣食う場所で生きてきた人間がいるとなれば、おどろくのも当然と言えよう。


しかし、ウィリアム自身はそうした視線を気にせずおくへと進む。


目的地である総長室の前には、2人の衛兵らしき助修士じょしゅうしと、総長秘書の修道女が立っている。


ウィリアムの姿を見ると、彼らは姿勢を正し彼に一礼した。


公爵こうしゃく閣下、お待ちしておりました」


「ありがとう。それで、彼女かのじょは?」


「はい、総長は執務室にいらっしゃいますので、ご案内いたします」


「よろしくたのむ」


「ヴィクトリア様、サウスランド公がお見えです」


総長秘書がとびらを開くと、ウィリアムは中へと入っていった。


◇◇◇◇



聖堂に隣接りんせつした総長専用の執務室。


とびらを開くと、正面には応接用の椅子いすと机が置かれ、右手の壁面へきめんには本棚ほんだなが設けられている。


奥側の壁にも執務机が一つ。


仕事中なのであろうか、机では修道女が書類と格闘かくとうしている。


修道服のせいで長く美しかったはずの金髪は見えないが、それでもなお彼女の美貌びぼうかげることがなかった。


清楚なたたずまいながらも、どこか気高さを感じさせる。


そんな女性だった。


「あら、ウィリアムじゃない。久しぶりね」


部屋のあるじは来訪者の姿を認めると、書類から顔を上げ、わずかに微笑ほほえむ。


彼女かのじょひじりクリスティーナ修道会総長にして、ウィリアムの従姉いとこ、王女ヴィクトリア。


そして、今回のウィリアムが修道院を訪ねた理由の人であった。


ひどい顔ね。とりあえずすわって」


「ああ……」


ウィリアムはヴィクトリアにうながされるまま、近くの応接椅子いすこしを下ろす。


「それで、どうしたのよ急に。貴方あなたが来るなんて聞いてないわよ」


ヴィクトリアはそう言いながら、水の入ったグラスを机の上に置く。


「悪い。急だったから、連絡れんらくできなかった」


「へぇ、あなたでもそんなことあるのね」


彼女かのじょはそう言って微笑ほほえむ。


その笑顔えがおを見ると、何だか昔を思い出し、少し安心する。


「それより、顔色が悪いわ。ちょっと待ってて」


ヴィクトリアは手をウィリアムの額にかざすと、詠唱えいしょうを始めた。


「【いやしの光】」


彼女かのじょ詠唱えいしょうと共に、ウィリアムの体は暖かい光に包まれる。


それと同時に体のつかれが取れていくのを感じた。


こんなに晴れやかな気分になれたのは久しぶりだ。


「ありがとう」


「どういたしまして」


「しかし、相変わらずすごいな」


彼女かのじょ治癒ちゆ術式の腕前うでまえは王国随一ずいいちだ。


宮廷きゅうてい魔術まじゅつ師なんかとは比べ物にならない。


「まあ、これでも”聖女”だから」


ヴィクトリアは少し自嘲じちょう気味に言う。


修道会設立に深く関わった初代王妃クリスティーナが”聖女”と呼ばれていたため、修道会総長は代々”聖女”と呼ばれていた。


もっともこれは正式な称号しょうごうなどではなく、あくまで非公式な呼称こしょうに過ぎない。


だが、ヴィクトリアは聖女と呼ばれることをあまり好んでいないようだった。


「それに、目つきも大分良くなったわ。何があったかは知らないけれど、少しは楽になったんじゃない?」


たしかに彼女かのじょの言う通り、先程さきほどまで感じていた陰鬱いんうつな気分がうそのように消えていた。


「そうだな」


思えば王宮にいたころはいつも緊張きんちょうしていたし、気をくこともできなかった。


それが今はどうだろう。


とてもおだやかな気分だ。


「それにしてもおどろいたわ。いきなり訪ねてきたと思ったら、顔がさおだし、目つきもこわいし……。まるで幽霊ゆうれいみたいだったわ」


「そんなにひどかったか……?」


「ええ、もう最悪よ!」


そう言って彼女かのじょは笑う。


確かに自覚はあったのだが、そこまで言われるほどとは思っていなかった。


だが、よくよく考えればそれも当然かもしれない。


何せ四六時中あの王太子の側にいたのだから。


息苦しい王宮では、常に気を張っていたし、心休まる時間などなかった。


「そうか……、すまないな」


「いいわよ別に。それよりもどうしてここにたのよ?」


「実はだな……」


ウィリアムは今までの経緯けいいつつかくさず彼女に話すことにしたのだった。


◇◇◇◇



ウィリアムが一通り話し終えると、ヴィクトリアは難しい顔をしてうでを組んだ。


貴方あなたも大変なのね」


「まあな」


ウィリアムも苦笑くしょうしつつ答える。


まさか枢密院すうみついん顧問官こもんかんを解任されるとは夢にも思っていなかったので、彼自身が一番おどろいていた。


「それで領地に帰る前に一度ヴィクトリアに会っておこうと思って」


「なるほどね」


彼女は少し考えた後、ウィリアムに向き直って言う。


「それで領地に帰った後はどうするつもりなのよ?」


一領主いちりょうしゅとして過ごすさ」


「え?宮廷きゅうていに帰ってくるつもりはないの!?」


ヴィクトリアは目を丸くしておどろく。


「ああ、王太子にきらわれているんだ。宮廷きゅうていに居場所もないし、これ以上王都で暮らす意味はない」


「それはそうなのだけれど……」


彼女かのじょは少しかんがむような仕草を見せる。


そして、意を決したように顔を上げた。


「だったらわたし一緒いっしょに行くわ」


「え?」


予想外の言葉に思わず聞き返す。


一緒いっしょに行くって、どういうことだよ?」


「そのままの意味よ。南部にある傘下さんかの修道院に用事があったんだけど、ちょうどいい機会だわ。わたし一緒いっしょに行きましょう」


突然とつぜんの申し出に困惑こんわくするウィリアムをよそに、ヴィクトリアは言葉を続ける。


「どうせひまなんでしょう?」


確かにその通りだ。


ウィリアムには特にやることもない。


せっかくの誘いを断る理由もなかった。


「だが、話がややこしくならないか?」


ウィリアムが枢密院すうみついん顧問官こもんかんを解任された直後、聖クリスティーナ修道会の総長と旅を共にするというのは問題がありそうだ。


|聖クリスティーナ修道会も王太子とは折り合いが悪く、長きにわたって続いた王室と修道会の蜜月みつげつ関係も今や形骸化けいがいかしつつある。


今ここで下手へたに波風を立てれば、争いが起きかねない。


それに、もし何かあれば彼女をんでしまうことになる。


ウィリアムは、それだけは何としてもけたかった。


だが、そんなことは意にかいさない様子で彼女かのじょは答えた。


大丈夫だいじょうぶよ。それに王太子なんて大した事ないわ。あんなのわがまま坊ちゃんじゃない。大した事なんてないわ」


その言葉にはみょうに実感がこもっているような気がした。


とにかく、彼女かのじょの意思は固いようだ。


「わかった」


ウィリアムは渋々しぶしぶ了承りょうしょうした。

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追放公爵と義務聖女 うにとらひこ @unitorahiko

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