第8章 山瀬空のこと
第8章「山瀬空のこと」
きっともう君は僕の名前も覚えていないだろうけど、僕は相変わらずここに立っているよ。もう分らないかな。
「行くのも唐突なら戻ってくるのも唐突ね」
「…ですね。でも戻ってこられてよかった」
「なんだったっけ、戻ってきたら真っ先にしないといけないことあったんだけど…なんか思い出せないんだよね」
「私も、何か大切なこと忘れてるような…」
参月は亀裂から出ると、きょろきょろと辺りを見回す。
やっぱり、もう僕は見えていない。
「ベンチのおじさんしかいない」
「おじさん何か知ってるかもですね、私聞いてきます!」
『特別』な彼女に見えるわけない、今の僕は限りなく『普通』で『風変り』なのだから。
…それなのに。
「ねぇ、そこのあなた」
それなのに、参月は僕を見付けた。『特別』って言うのは本当にどこまで行っても『特別』らしい。今の僕なんていわば空気と同じなのに。
「〇〇〇って見なかった?」
名前は思い出せていない。それはそうだ、存在を見付けられただけで奇跡なのだから。
見てないですね。僕は答える。
「なんか忘れてるんだけど、あなたってきっと私にとって大切な人って感じがするからちょっと待ってて、今思い出す」
無理だって。存在が消えたやつのこと思い出すのなんて。
「参月さん、誰と話してるんですか?」
「麻乃実ちゃんには見えないかな…まぁ私でも大分見にくいんだけど」
変だなぁ…と参月は続ける。
「変わり者の私に寄ってきて、嫌がらずに付き合ってくれたのは『彼』だけなのよね。とっても大事な友達のはずなのに名前も顔も思い出せない…。
黄泉の国でなんかあったわね、これは」
「灯篭流しみたいでしたね」
「言いえて妙ね、模倣してるところもあるのかもね」
人は認識されないと存在しない…そんなことはない。
しかし、確かに質量をもってそこに存在していても認識されなければどうだろう。本当に存在していると言えるのだろうか。
主観だけでなく、客観からくる第三者的目線で人は自分を自分と自認している。
今の僕にはその客観の部分が欠落している。そう言いう存在に成り下がってしまっている。
自己自認だけで、生きている、存在していると言い切れるのだろうか。
「…でもそうだとおかしいわね」
やがて参月が言った。
「あなた、『男の子』でしょう」
「えっ?『女の子』じゃないですか?」
「こういう事よ、麻乃実ちゃん。女の子の肉体に、男の子の魂が入ってるってわけ」
すごいな、本当に『どっちも』見えると思わなかった。
肉体としての『私』も。魂としての『僕』も。
…少し、この肉体、山瀬空の話をしよう。
彼女は、参月のクラスメイトで、参月と同じく黄泉の穴に落っこちた。
黄泉の穴に落ちて無事で戻ってこられたのは参月が『特別』であったからに他ならないが、『特別』でもない山瀬は戻ってこられなかった。
肉体だけが、現世に残り、そこに僕が入った。
三途の川で参月が見掛けたのは山瀬だったのだろう。彼女の魂が消えたから肉体の方の認識も消えた…そして、元々認識すらされていない僕。
透明人間の出来上がりである。
僕の名前は…僕の名前は、もうない。
かつては僕にも名前があったが、霊になって長い、もう忘れてしまった。
僕はこの、公園のベンチに憑いていた。そこまでは覚えてる。
お隣さんのおじさんが、いつも何か悲しそうな目で僕を見ていることも。
「さぁて、わかってきてすっきりしたところで、麻乃実ちゃん。
私たちの探し人はこの人、山瀬空よ」
なんで、僕の名前を…?
なんで…思わず声が漏れる。
「当然でしょう!だってあなたは私の大切なお友達ですもの!」
理由になってないよ、だって僕は…。
「たまにはあなた自身の言葉で話したらどう?」
そんなことしたって…どうせ何も変わらない。
僕は、
「…わかったよ、参月綾音さん」
『僕』として話した。
恥ずかしいような、掠れた声が出た。
「言いたいことがあったのでしょう?だから、成仏できずに地縛霊となってこの世に残っていたのよね」
「…そうだよ」
そうだ、もう今更隠す必要なんてないじゃないか。
参月綾音は目の前にいる。僕を見て、認識している。
山瀬空ではない、名もない『僕』を。
「一目見た時から、好きでした」
沈む空、浮かぶ月 犬蓼 @komezou
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