さやの神様、お願いよりを戻して(短編版)

たっきゅん

さやの神様、お願いよりを戻して

 夕方の公園、小さな男の子が砂場に大きなお城を建てていた。それをしゃがんで見ている同じくらいの年齢の女の子は、出来上がっていくお城よりも男の子の方をじっと見つめているようだった。


「私、なんで欲張っちゃったんだろ。……ううん、なんでもっと欲張れなかったんだろう」


 その二人をバス停から遠巻きに見ているコートを着た女性、谷田やだ紗耶香さやかは、かつて恋人関係にあった幼馴染、武本たけもと春樹はるきと出会った時から今までのことを思い出していた。

 

『ねえ、なにつくってるの?』

『おしろだよ。ここにでーっかいぼくのおしろをたてるんだー』

『ふーん。ならほんとうにおしろができあがるか、わたしがみててあげる』


 春樹との出会いは子どもにしては良くあるものだった。みんなが砂遊びに飽きてボールで遊び始めても、砂場で一人もくもくと何かを作っていた男の子が気になった紗耶香から声をかけた。そして紗耶香もあの少女のように出来上がっていくお城よりも春樹の方を紗耶香はじっと見ていた。


『できたー! ほら、みてみて! おしろだよ!』

『すごい⋯⋯ほんとうにすごい!』

 

 日も暮れた頃、砂場には不恰好ながらも絵本で見たようなお城が出来上がった。それを自慢気ではなく本当に、ただただ満足気にはしゃぐ春樹が眩しく見え、紗耶香は彼に興味を惹かれた。


『ねえ、こんどはさいしょからつくってるところをみせて?』

『いいよ。つぎはもっとすごいのみせてあげる。――ぼくははるき。きみのなは?』

『わたしはさやか。はるきくん……、ハルくんでもいい?』

『うん! じゃあ、ぼくもサヤちゃんってよぶね! ともだちになろうよ!』


 お互いの両親に見守られているとは気づかずに、二人の世界で握手をしてその日のうちに友達となった。ボール遊びをしていたはずの周りの子どもたちはすでに帰宅しており、日もほとんど落ちていたがそれに二人が気付いたのは随分時間が経ってのことだった。



 

 自分の好きなことを、周りを気にせず最後まで完遂する。そんな春樹のようになりたくて、紗耶香は好きだった歌をどこでも歌うようになった。恥ずかしいという気持ちよりも好きという気持ちを大切にし、心を込めて歌う。繰り返し歌い続けた紗耶香の歌唱力はめきめきと上達した。

 

『わー! サヤちゃんすごいじょうず! かしゅみたい!』

『ハルくん、わたしね、かしゅになりたいの! なれるかな?』

『なれるよきっと! ううん、サヤちゃんならきっとなれるよ!』


 まっすぐに褒めてくれる春樹の言葉が嬉しかった。紗耶香はこの時、ようやく彼の横に並んで歩けるような気がした。だから何かを作るのが好きな春樹と一緒に夢を見たいと思った。

 

『じゃあーねー、ハルくんにわたしのぶたいをつくってほしいなー』

『え? ぼくに?』

『うん! わたしはハルくんとふたりで、きらきらかがやきたいの!』

『じゃあ、やくそく。ゆびきりしようよ。ぼくとふたりでそのゆめをかなえるって』


 春樹の作った飾りが所狭しと置かれたステージで紗耶香が歌う。紗耶香がそんな夢を春樹に語ると彼は快く二人の夢にしてくれた。最初は砂のウサギやクマ、犬といった小さなものから始まったそれは、高校生になる頃には個人で文化祭レベルの舞台セットを用意出来るほどになっていた。



 

『谷田さん! 僕と付き合ってください!』

『うーん、私には春樹がいるから。ごめんなさい』


 屋上で歌う紗耶香の姿は学校で有名になっていた。その姿、歌声があまりにさまになっていたため、誰もが茶化さずに虜となった。そんな彼女がモテるのは必然で、よく告白を受けては断る口実に春樹を使っていた。


『⋯⋯はぁ、また僕を断る口実に使ったの?』

『あははは……。春樹ごめん! 明日、アイスを奢るから許して!』

『やだ。アイスで許したらまたやるでしょ』


 人があまり来ない小さな公園、紗耶香と春樹の出会ったそこで、制服姿のまま二人は並んでブランコに座る。


『ねえ、口実に使ってくれるってことは僕のこと好きって思っていいの?』

『え? 私は春樹のこと、出会った日からずっと好きだよ?』

『違う、そうじゃないよ。異性として好きかってこと』


 春樹の問いを紗耶香は必死にはぐらかそうとするが、今日はしつこく、年貢の納め時かなと紗耶香は覚悟を決めた。


『⋯⋯うん。私は春樹が好き。友達としても、異性としても好きだよ。けどね、これまで二人で追ってきたあの時の夢が、私たちの関係が変わると消えちゃうような気がして言えなかったの』


 はるくんは真っ直ぐな短髪が似合う理系の男性に成長し、紗耶香はハルくんから春樹へと中学生になってからは呼び方を変えた。それは紗耶香が彼を、一人の異性として見るようになったからでもあった。物作りに熱中している時の彼は昔と変わらずにかっこよく、紗耶香は自分が恋をしているのは既に自覚もあったが、本音を言うのが恥ずかしかった。けれど紗耶香は春樹の目を見て返事をした。


『変わらないよ。――というより、男女二人で人気の少ない公園に来ることを、人はデートと呼ぶんじゃないかな?』

『……そういうものかな? 私にとって春樹といるのは自然なことだから、デートって気はしないんだけど』

『サヤちゃん。もし君と付き合うことができたら、また昔みたいにハルくんって呼んでくれる?』


 春樹も紗耶香がどんどん魅力的になり、遠い存在になっていくのを感じて寂しさを感じていた。特に思春期に入り、紗耶香が春樹のことをハルくんと呼ぶのを躊躇うようになってからは、お互いに距離が少し遠くなったと思っていた。


『うん、いいよ。 ……で、私はハルくんが好きって伝えたよ? ハルくんは?』

『僕もサヤちゃんのことが好きだよ。いつから異性として好きになったかは覚えてないけど、それでもずっと前から好きでした。よかったら僕と付き合ってください』

『――はい。喜んで。こちらこそよろしくおねがいします』


 秋風に少し肌寒さを感じる中、春樹と紗耶香の二人は再び手を握り合った。友達から恋人へと二人の関係が変化したのと同じように赤く染まった紅葉が、風に乗って二人を祝福しているように舞った。




 冬が過ぎて春が来た。二人の仲は愛も変わらずだが、少しだけ好きを言葉で紗耶香は言えるようになった。他に進展と言えば、人気の少ない場所でたまに手を繋いで歩くようになったくらいだったが、春樹もその恋人関係を楽しんでいた。そんな二人がゆっくりながらも順調に交際を続けている中で紗耶香の元に一通の手紙が届いた。

 

『ねぇ! 聞いてハルくん! YORUYANよるやんオーディション、一次審査合格だって! やったーっ!!!』

『凄い! おめでとう! あのオーディションしてるテレビ番組でしょ? たしか有名な音楽プロデューサーも関わってる』

『そうそう! まさかまさかだよ、私が審査通るなんて』

『サヤちゃんが頑張ってたからだよ。審査って才能も見てるだろうけど、努力あってのものだからね』


 二人が付き合いだして1年が過ぎた。有名オーディション番組の審査は最終審査まで進み、紗耶香は最後まで残ることができた。頑張りを傍で見てきた春樹は自分のことのように喜んでくれたが紗耶香は周りの反応に自分だけが認められているようで納得できていなかった。


『ここまでこられたのはハルくんのおかげだと私は思ってるんだけど、周りのみんなはハルくんの凄さを聞いてくれなくてさ』

『サヤちゃんが凄いのは事実だから仕方がないんじゃない? それにほら、僕は君の歌を聞いてただけだから』

『わかってないねー、ハルくん。よいしょっと』


 いつもの公園、いつものブランコ。隣で座る春樹をよそに紗耶香はもやもやを吹っ切るように立ち漕ぎをし始める。

 

『その観客であるハルくんが、私の歌を聞いてくれている。楽しみに待っててくれる。それに、私が昔に語った夢のためにハルくんも行動してくれている。それがどれだけ私のやる気になっていたかわかる? 誰かに期待されているっていうのが一番の上達の秘密なんだから!』

『……僕もだよ、サヤちゃん』

『だから! 私は絶対に歌手になるよ! いつもありがとう。ハルくん』

 

 紗耶香は春樹へとこれまでの感謝をぶつける。それだけじゃない、録音データや自己紹介動画など、そういう一番最初の、多くの人数がふるい落とされる審査基準を通過できたのは間違いなく春樹のプロデュース、編集技術のおかげだった。この最終審査までこれた事実は春樹がいたからだ。それを周りは認めてくれなくても紗耶香だけは知っていると言葉で伝えた。一方で紗耶香へ抱いていた同様の想い、それを短く口にした春樹の言葉は、風とブランコの揺れるギィコという音で紗耶香は聞き取れなかった。




 その後、紗耶香は最終審査も見事に合格して歌手になるという夢を叶えた。けれど、テレビ番組の企画からのデビューというそれは、世間からアイドル歌手としての存在を求められることとなった。合格発表が行われる前からプロデューサーも世間に求められるまま紗耶香を売っていく事業計画は引き返せないところまで進んでいた。それは、オーディションへの申込用紙に“交際相手なし”と書かれていたためだが、それを出した時は春樹との交際が始まる前だった。


『ハルくん……ごめん。プロデューサーさんから契約違反になるから彼氏とは別れてくれって言われちゃった……』

『サヤちゃん。夢だったんでしょ? いっておいでよ。何年でも待ってるから』

『男の影が見えるとダメだからって携帯電話も管理されるんだよ? ハルくんとも連絡が取れないんだよ? それでも?』

『……恋人に戻れる日を待ち続けるよ。それに、僕がサヤちゃんの歌手活動に関われるようにもっと頑張って追いつけば叶うよね? あの日にここでキミが語ってくれた二人の夢』


 春樹に背中を押され、紗耶香は彼と別れてアイドル歌手になる決意をする。その日の夜、公園には立派な砂のお城が聳え立っていた。



 

 紗耶香はSAYAKAとして1stシングル[わんわんワールド]でデビューした。それからは快進撃という売り上げと人気を叩き出し、5年後の現在、引退して故郷へと戻ってきた。


「あの、すみません。もしかして元サヤのSAYAKAさんですか?」

「はい、そうですけど」

「やっぱり! 声を聞いてもしかしてって思って声かけたんですけど、お会いしたかったのでめちゃ嬉しいです!」


 紗耶香はベージュのコートにサングラスをかけていたが正体に気付いたファンの女性から声をかけられ、バスが到着するまで紗耶香は話に付き合うことにした。

 


「私、SAYAKAさんの曲を聴いて勇気を出して元カレに連絡してみたんです! そしたら彼、あの時は言い過ぎたって、やり直そうって言ってくれて。SAYAKAさんの歌でまた恋人にもどれました! ありがとうございました!」


 紗耶香が作詞した唯一の曲[さやの神様]は元サヤに戻りたいという恋心をストレートに書いた歌詞が話題になり、元サヤのSAYAKAとして有名になった。


「それはあなたが勇気を出して頑張ったからだよ。私は何も……」

「そんなことないです! SAYAKAさんも頑張ってください! 私たちファンはみんな応援しています!」


 SAYAKA引退の理由は、その歌詞を書いた理由を聞かれた時に赤裸々に紗耶香が春樹とのことを語ったからだ。23歳という年齢のアイドル歌手だ。恋人が実はいてもおかしくない年齢で書かれたその歌詞は、アイドルと恋心の板挟み。少女の一途な想いが詰まったラブレターで世間は盛り上がり二人の復縁を望んだ。だが契約上、事務所はそれを認められず契約打ち切りという形で応援されながらも業界を引退するという前代未聞な幕引きをしていた。

 

「ううん、ファンのみんなは背中を押してくれた。私が勇気を出さないでどうするの!」


 今日は土曜日、春樹は今も休みに公園へと来ているだろうか? そんな都合の良い再会を紗耶香は願いながら乗ってきたバスを降りた。プロデューサーに返してもらった携帯電話、その電話帳に今でも残っている[ハルくん]の文字。けれど押す勇気が出ずに思い出の公園へと足を運んだ。けれど、辿り着いたそこは更地だった。


「……5年も経てばこういうこともあるのかな。もともと遊びにきてる子どもって少なかったし」


 長年この場所へと来ていた紗耶香にはここがその公園のあった場所だとわかってしまった。そして、もしかしたら春樹の自分への気持ちも更地のようになっているかもと考え、目の前が真っ暗になった。そんな立ち尽くす紗耶香のコートのポケットからメールの着信音が響いた。



[久しぶり。もう帰ってきてる?]


 携帯電話を確認すると、それは紗耶香が会いたかった春樹から届いたメールだった。どうして紗耶香が帰ってくる日を知っているのかなど疑問は色々沸いたが、その気安いメールの文章に昔と変わらない優しさを感じすぐに帰ってきていると返事を返した。すると紗耶香の知らない近くにある喫茶店の地図が送られてきた。


[じゃあいつもの公園で会いたい。1時間後、近くにあるそこの喫茶店で待ってもらえる?]


 公園でと言いながら待ち合わせ場所に喫茶店を指定する春樹からのメール。彼も公園がなくなってることは知っているのだろう。けれど、春樹は公園がなくなったとは言わない。なら紗耶香もあの場所は今も二人の公園だと思うことにし、了解と返した。




「おまたせ、サヤちゃん結構待った?」

「1時間くらいは待ったかな。久しぶりだね、ハルくん」

「え? 僕がメールを送ったのは1時間前だよね? 時間合わなくない?」

「ほら、伝票。ここにカプチーノを注文した時間書いてあるでしょ?」

「ほんとだ……。でもどうして……」


 いたずらに成功したような表情をした紗耶香はネタばらしをし、先程のメールを送ってきた春樹と同じように昔と同じノリで彼を揶揄う。それから春樹は運ばれてきたエスプレッソを飲みながら、紗耶香のSAYAKAとして活動していた話など和気藹々と話し込んだ。久しぶりに会った春樹は肉体労働の仕事をしているらしく、前よりもさらに男らしく筋肉がついた体つきをしていた。


「そういえばサヤちゃんはなんで公園に来ていたの? もう見ちゃったなら言うけど更地だったでしょ」

「そんなのハルくんに会いにに決まってるよ。知ってる? 私って元サヤのSAYAKAなんだよ?」

「っぷ。自分で言うかな? もちろん知ってるよ。さっきから[さやの神様]が店内でも流れてるけど、自分の元サヤ曲が流れてる店内で元カレとお茶してるってどんな気分?」

「さっさと返事くださいってとこかな。ここで私が正体を明かしたらハルくん逃げられないだろうな~」


 紗耶香はニヤニヤしながら飲み干したコーヒーカップの持ち手を指でなぞる。しばらくぶりのこの関係、この二人の時間を楽しんでいる紗耶香は幸せだった。


「そういうところ変わってないね。まったく、――僕とまた付き合ってください。今度は結婚を前提として」


 けれど春樹はそれ以上を紗耶香が望んでいるのを知っている。春樹だけじゃない、彼女の歌を聞いた誰もが紗耶香の気持ちを知っているのだ。だから春樹は紗耶香を幸せの絶頂に叩き上げる。それが今日まで頑張ってきた紗耶香にしてあげられる今の自分の全てだから。


「え……、うそ……。いつもならはぐらかすじゃん。どうして――」

「あんな恋文をバラまかれて覚悟を決めない男はいないと思うよ? それじゃ、そろそろいい頃合いだろうし――夢の舞台に行こう」


 


 春樹が再会の祝いだと言って紗耶香の分も含めて会計を済ませ、二人はまたあの公園へと手を繋いで並んで歩いていく。辿り着いたそこは先ほど紗耶香が見た景色とは違い、更地ではあるもの簡素ながらも小物が散りばめられたライブステージができあがっており、マイクスタンドが真ん中に立っていた。


「おせーよハル! もう準備できてっぞ!」

「バカっ! あんた、二人のあの手を見て気付かないの? もっとゆっくりしててもよかったくらいよ!」

「おっ、てこーたーなんだい? おめでとうだな!」

「和樹、美月、それにみんな。協力してくれてありがとう。サヤちゃん、僕が作り上げたステージだよ。――歌ってくれるよね? てか歌ってくれないと困るんだけど」


 春樹は舞台を作ってくれたであろう十数人の人たちの方を見ながら困ったように紗耶香にステージへと上がるように促す。


「もぅ、逃げ場なんてないじゃん。――歌ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」


 春樹の作った小さいステージで紗耶香は歌う。その歌声に一人一人と観客は増えていき、5曲目を歌う頃には視界は人で埋め尽くされていた。


「最後の曲になります。この曲を大好きなハルくんに捧げます。聞いてください、[さやの神様]」


 紗耶香は歌詞の終わりである〈お願いよりを戻して〉の部分を〈いつまでも大好き〉に変えて春樹のステージで歌いきった。観客に頭を下げてから、足元に置かれた犬のぬいぐるみを手に取る。それはSAYAKAとしてデビューしたステージに置かれていたぬいぐるみと同じもので、それに気づいた紗耶香はステージから春樹の元へとダイブした。


「……バカ。ありがとう、大好きっ!」

「僕も好きだよ。ずっと想っててくれてありがとう」

 

 口づけを交わす。この瞬間がはばきとなった。夢のために鯉口を切り抜刀した刀は元の鞘へと収まり皆に祝福された。



 

 その後、紗耶香は純情歌手として復帰した。元サヤソングは続いていく。恋に後悔している人たちの心を、関係を直しながら。

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さやの神様、お願いよりを戻して(短編版) たっきゅん @takkyun

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