幕間

※たまにはこういう話があってもいいですよね?


「何をしてらっしゃるのですか?」

スタンが僕が立てた水音を聞いて慌ててやってくる。

僕は気まずくて、空笑いをしながら、事態は大したことではないのだと見せかけようとしたけれど、全く功を奏さなかった。

冷たい川の水に落ちて全身がびしょ濡れになってしまった僕はあまりに滑稽な恰好で水に浸かっていたけれど、スタンは笑うことなく、逆に心配するようにすぐに手を差し出してきた。

その力強い手を握ると、容易く僕を引き上げてくれる。

「ありがとう、スタン。ちょっと驚いてしまって……」

「何が出たんですか?」

「魔物だよ。魚みたいな。びっくりしちゃって」

「大きかったんですか?」

スタンが一気に警戒したような表情をして川面を見つめる。

「いや、手のひらに乗るくらいの……」

「今にも殺されると言わんばかりの声量でしたが……」

「初めて見たから……それに思わぬところから突然顔を見せたから……」

「初めて魔物をですか?そんなことがあります?」

スタンは首を傾げている。

「……まぁ、突然出てきたらびっくりしますから、仕方ないですよ」

そう言って失態を見せた僕を気遣ってくれる。小さい魔物程度、彼にとっては驚くに値しないようだ。僕は初めてみたから、本当に驚いてしまった。

スタンが僕の手を引いて、焚火へと誘導する。暖かそうな火がぱちぱちと小気味よい音を立てて燃えている。

僕を火の側に座らせて、タオルを僕に投げ渡す。僕はそれを受け取ると髪の毛を拭く。

「で、何をなさろうとしていたのですか?」

「……えっと」

誤魔化しを許さないという表情で僕の顔を見つめる。降参。

「ちょっと体を綺麗にしたくて」

「水浴びですか?この時期に?しかももうすぐ夕方ですよ」

「うん。分かってる。けど、どうしても体を綺麗にしたくて。でも、水浴びをしようとしたんじゃないよ!さすがにそんな命知らずなことはしようと思わないよ。ちょっと、水で濡らしたタオルで体を拭くだけでもしたくて」

「綺麗にするのは良いことですが、風邪を召してしまいますよ」

「うん。ごめんね」

僕は自分が全面的に悪いことを理解しているので、大人しく謝る。

そんな僕を責めることはせず、スタンが続ける。

「全身びしょ濡れですね。服は脱いだ方がいいでしょう。濡れたままだと体が冷えて風邪をひきかねません」

「わかった……」

そう言って僕は大人しく脱ぐ。肌に張り付くような感触が気持ち悪い。

「濡れた服はどうしたらいいかな」

「火の側に立てかけておけばすぐ乾きますよ。脱いだら、タオルで体の水気を拭きとるのを忘れないでください」

「はい。わかりました」

言われた通りにするほかない。

「全部ですよ。下着もどうせ濡れているはずですから」

「わかりました」

僕は立ち上がってズボンと下着を下ろす。ひぇぇ、泥が服の中に入り込んでいる。

「このまま川に飛び込んだほうがいっそ綺麗になるかな?」

「何を馬鹿なことをいっているんですか。かなり体が冷えてしまってるじゃないですか。寒さであそこがかなり小さくなってますよ。子供並みです」

そう言って僕のまたぐらを指さす。ほんとだ。

「失礼しました」

僕は不潔なものを見せてしまったことを素直に謝る。

スタンは笑った。

「まるで子供みたいに素直すぎますよ、あなたは。さぁ脱いだ服を貸してください。乾かす前に軽く水で汚れを流します」

「お手数をお掛けします……」

僕が頭を下げると、スタンが軽く笑う。

「まぁ仕方ないですよ。そういうこともあります。さぁ、もう少し火の側に。そう。そんな感じです。ちょっとここに居てください。変なことはしないでくださいね」

「うん。わかった」

僕が返事するのを聞くや否や、スタンが桶と僕の脱いだ服を持って川べりに行く。僕はそれを横目で見送って、寒さで震える体の水気を拭きとることに集中した。旅の途中で病気になったら大変だから。

背後から水音が聞こえる。

僕は日が沈み始めた夕日に目を細める。綺麗だ。

と、思ったけど、寒くて寒くてそんな感傷に浸っていられる状況ではなかった。

全身が、僕の意識とは無関係に震える。僕は両手で体を抱くようにして丸くなる。

しばらく火をじっと見つめていると、スタンが戻ってきた。

ここにぶら下げておきましょう、と言って、枝と枝にロープをだいぶ低く渡してそこに服をかけてくれる。そんなことまでさせてしまって申し訳ない。

そう思っていると、スタンが用意した川の水をたっぷりと桶から鍋に移す。

「お湯を沸かすので、沸いたらそれで体を拭いてください。それなら温かいまま体を綺麗にできます」

「さすがスタン!本当に頼りになる」

「おだてても今日の失敗は忘れませんよ」

「はい。以後気をつけます」

「そうしてください」

「ところで、スタン」

「はい、なんでしょう」

「魔物って、いつからいるの?僕は昔から見たことがないのだけれど」

「いつから、ですか」

「そう。昔はいなかったんだよね?」

僕はみたことがないから。

「魔物については正確なことは分かっていません。たしかに今現在、この大陸のどこにでも存在しますが、大災害の折、文献の多くが失われてしまったので正確な時期というのはお答えできません。そもそも動物や我々と明確に異なる存在であるのに、その生態も詳しくは判明していません。もちろん残った文献も多くあります。魔物の出現については、私が習ったのは大災害以降という説です。大災害以前の文献にも、魔物に関する記述はありますが、そのほとんどは御伽噺や伝説、神話の中に語られるだけで、現実に魔物が存在したかどうかは学者は疑問視しているそうです。大災害を生き延びた人たちが、幾人も魔物の出現を初めて見たとして記録に残しており、それによって大災害以降に魔物がはびこるようになったのだと結論付けられています。誰も三百年も前のことなど正確にわかろうはずもありませんから」

「そうなんだ……」

僕はいぶかる。魔物は突然姿を現した……?不思議だ。僕の記憶でも、魔物の類は御伽噺の存在だったから。

「さて、お湯が沸きました。さぁ、体を綺麗にしてください」

「ありがとう!」

スタンが鍋から、水の入った桶にお湯を追加して、丁度良い温度にしてくれる。僕はそれにタオルを浸して絞ると、体を綺麗に拭き始めた。温かい。

「きちんと絞ったタオルを使ってください。じゃないと、余分な水気で体が冷えますから」

「はーい」

お湯は気持ちよかった。とても。

「またお風呂に入りたいねぇ、スタン」

「ですね」

「でもなぁ、高いんだよなぁ」

僕は旅立った町の宿で入ったお風呂を思い出す。できることなら毎日でも入りたいものだ。

僕がそんなことを考えていると、スタンも服を脱ぎ始める。

「私もご一緒します。お風呂の話を聞いたら、体を綺麗にしたくなりました」

そう言って、立ち上がるとスタンも服を脱いで全裸になった。綺麗な筋肉がついた体が露わになる。

「寒いですね……」

「寒いよ。でも、お湯は気持ち良いよ」

「本当だ。あー……これはいいですね。水で体を拭くよりも格段に気持ち良い」

「でしょ?」

男二人、全裸で体を拭くと言うのはいかがなものかと思わなくもない。こんなところに、ふらりと誰かがきたら、不審者扱いされてしまう。そんな詮無いことを考えていると、スタンが僕の背に回る。

「ん?なぁに?」

「背中綺麗にするの手伝いますよ。さっきから見てましたけど、上手く拭けていません」

「そんなのいいのに」

「見えないからそんなことが言えるんです。背中、だいぶ泥がついてますよ」

「そうなの。ごめん。お願いします」

僕が素直にそういうと、スタンが力強く僕の背中をこする。何度も何度も。

それから、僕の二の腕を持ち上げて、腕全体やわきの下なんかも。なんだかくすぐったくてつい笑ってしまった。

「はい、おしまいです。まだ服は乾かないので、火にあたってじっとしていてください」

「はい」

僕は返事をすると、しかし立ち上がってスタンの後に回る。

「どうしました?」

「お礼にやってあげるよ」

そういうと、躊躇う気配。

「ほら、タオル貸して」

僕が促すとスタンが大人しく僕にタオルを手渡す。

お湯にくぐらせて、固く絞ると、スタンの背中に這わせる。広い背中だ。男らしい。

僕は、自分の手には大きすぎる背中を力を込めて擦る。スタンがしてくれたように。

そのまま、太い腕全体を拭いて、わきの下やわき腹まで。

スタンがくすくすと笑った。

「くすぐったい?」

「はい。くすぐったいですね」

「そう」

「いやぁ、ついてなくてよかったです。あぶなかった」

「何のこと?」

「こっちの話です」

「そう」

綺麗になったスタンは立ち上がると、服をいそいそと身に付け始めた。

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長い眠りの後で たろう @under_sorrow

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