額の十字架

敷知遠江守

額の十字架

「ごめんください」


 一人の女性が一件のお店に入っていった。


 町の外れにある古ぼけた画材屋。

いったいいつから営業しているのだろうと、店の前を通る者が等しく思うであろうほどに、その画材屋は年季が入っている。

どういうわけか店は北向き。その為いつも店内は薄暗くどこか陰鬱とした雰囲気を感じさせる。

まるで一見さんはお断りだと看板がかけられているかのような店構えである。


 そんな店を訪れた女性も少し風変りであった。

波打った長い髪はかなり傷んでいるように見える。

厚手の生地のゆったりとしたツーピースを着ているため、かなりふくよかかと思えば、よく見るとベルトの巻かれた腰は非常に細い。

年齢は見た目だけでは全く判別は付かないが、恐らくは三十代といったところだろうか。


 店員が出てこないので女性はかなりの時間店内をじろじろと観察していた。

これだけ出てくるのに時間がかかるという事は、よほどお客は少ないという事だろう。


「はい、いらっしゃいませ。何かお探しですか?」


 やっと出てきたのは、年季の入ったお店の構えとは異なり、かなり若い男性であった。

よく見ると全体的に筋肉質で特に腕がかなり鍛えられている。


「あの、実は私絵を描いていまして、今度絵画展に飾っていただく事になったんです。それでいくつかのお店を見てまわっているんですが、これという額が見つからなくて」


 ここまで大きな画材屋さんを何件か回って来て、その中の一件がここを紹介してくれたのだと女性は説明した。

あまり若い男性との会話に慣れていないらしく、少しおどおどした態度で、どうにも男性とは視線が合わない。


「なるほど、そういう事ですか。ここにある額は全部俺が作ったものなんですけど、ビビッと来るものがあるか、ごゆるりと見て行ってください」


 こういう物という何か具体的なものがあるようなら時間を貰えれば作りますよと店員は女性に微笑んだ。


 女性は一つ一つ額を手に取った。

これは少しゴテゴテしすぎている、これは派手すぎ、これはシンプル過ぎ、これは良い感じではあるが絵には合わなそう。

そんな風にぶつぶつ呟きながら棚から出しては戻し出しては戻ししていった。


 全てを見終えた女性は、少しがっかりした顔で店員に愛想笑いを向けた。


「そうですか。一応まだ奥に倉庫がありますがどうされますか? ここに置いてあるのは倉庫の中の一部に過ぎないんですけど」


 店員に案内されるがままにお店の奥、工房へと足を踏み入れた。

掃除はしたようだが、あちこちに彫刻刀で削った木くずが飛散している。だが店内と違って陽光が入って非常に明るい。


 倉庫はその工房の外、大きな蔵がそれであった。


「俺、そこの工房で作業してますんで、用があったら呼んでください」


 店員は蔵の扉を開けると、すたすたと工房へ向かって行ってしまった。


 お店にあるのはその一部。

確かに店員の説明に偽りは無かった。膨大な数の額縁にどこから見ていったものやらと目が眩むようであった。


 一列見終え、二列見終え、三列目に入った時であった。

その中の一つに目を奪われた。


 四辺に天使の羽のような美しい模様があしらわれている。それ以外は何も無い。形も角が丸い四角形で実にシンプル。だが少し濃い色のニスが羽の部分だけ薄く塗られていて、まるで羽だけが白く浮き立っているかのように錯覚させる。

純粋に彫刻品として美しい。

自分が描いた絵も宗教画であり、遂にめぐり合う事のできた一品だという思いが沸き上がる。


 問題は値段であるが、当然のように値札が付いていない。

その代わりに気になるものを見つけてしまった。

それは額の裏側の四隅に彫刻されているゴテゴテしたデザインの施された十字架であった。


 なぜこのような場所に十字架が?

それが女性が最初に感じた事であった。

彫られているのは額の裏側。当たり前の事ではあるが、絵を表にして額に入れて飾るわけだから、見る人は額の表側しか見ない。

そんな人目に触れるわけではない部分に、なんでこんなに立派な十字架が彫ってあるのだろう。


 女性は店員のいる工房に足を運んだ。


「どうですか? 何かお気に召すような品はございましたか?」


 店員の問いかけに、女性ははにかんだ笑みを浮かべ、小さな声で「はい」と答えた。


「おお! それは良かった。絵と額は一期一会ですからね。うちの額も見初めてもらえてさぞ喜んでいる事でしょう」


 店員は嬉しそうな顔をして作業用のエプロンを外すと、蔵に向かって行った。


 女性がこれだと言って少し引き出した額を指差す。

提示された値段はそれなりに安く商談はすぐに成立した。


 そこで女性は思い切って気になっていた十字架の事を聞いてみた。


「ああ、これですか。絵を入れた時に合わせ目で綺麗に合わせてもらうためですよ。これだけ綺麗に印を彫ったら、飾る人もこうやって自然に合わせたくなるでしょ」

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額の十字架 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu

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