12. シロップ
ジーンたちが港を出て『カモメ亭』に戻ったのは、夜明けも近い頃だった。
丘の上は夜風で冷め切って、一面の草原は星空よりも黒い。
ペネロピは寝ているようで、ジーンは合鍵を使って静かに戸を開ける。
それから少しだけ仮眠を取った。僅かな間で、日はすぐに昇った。
天高くひばりが鳴くようになって、作戦会議も兼ねて朝食を囲む。
十枚目のトーストを齧りながらコディが身を乗り出す。
「今回、僕が自由に動ける時間は今日を含めてあと二日しかありません。ですが、捜査はかなり進展しています。是非とも、この機会に『探鉱者』を捕らえたいものですね」
「やつは酷く慎重で狡猾だ。逃がす度に攻略の難度は跳ね上がる。チャンスは一度と考えたほうがいい」
「焦らず準備をしっかりしたほうがいいってことだな……それはいいけどよ」
深く頷いたジーンはチーズを片手にザッカリーを見る。
「……お前、何すごい自然に朝飯食ってんの?」
「……? お誘いされたからだが」
ザッカリーは腕を組んだまま平然と答える。トーストはしっかり二枚を平らげた。
その後ろからペネロピがひょいと顔を出して言った。
「いいのよ、ここまで来てもらって、そのままお帰り頂くなんて悪いじゃない」
「気にしなくていいの! こいつのほうが悪いから! 想像以上に悪いから!」
自分の船で待っていればいいものを、なんで家までついてきたのか。言いたいことは幾らでもあるが、整然とした言葉にならない。
そんなジーンの心もつゆ知らず、ペネロピがザッカリーの顔を覗き込む。
「コーヒーと紅茶はどちらになさる?」
「紅茶を頂こう」
「馴染むな!」
肩を怒らせるジーンに、ペネロピは口元に手を当てて喜んだ。
「あなたが夜中まで帰ってこないなんて初めてだったからびっくりしたけど、お友だちができたのねえ」
「友だちじゃない。本当に友だちじゃないから」
初対面で足蹴にしてきた人間は友人であってほしくない。ジーンは静かに、そして力強く、母の言葉を否定した。
会話を聞いていたコディが顔をほころばせる。
「ジーンさんって優等生だったんですね!」
「遊ぶ相手がいなかっただけじゃないか」
ジーンは机の下でザッカリーの脛を蹴った。図星だ。
ほどなくして、コディがもう少しで満腹になりそうなのを見ると、ジーンは手を叩いて気合いを入れる。
「うし、今日は宝箱を返すついでに話を聞きに行くぞ。ザッカリーも来いよ!」
びし、と指を差すと、彼はさもありなんと顎を引く。
「ああ。事情の説明は必要だろう。謝罪と補償の準備はしている」
「昨日みたいな謝り方したら子どもは泣くからな」
銃を出すのは禁止。怖いこと言うのも禁止。
道徳的な謝罪をするよう要請すると、ザッカリーは少し不満そうな顔をしつつ頷いた。
そこへ、盆を持ったペネロピが食後の一杯を持ってくる。
「さあ、紅茶ですよ。お砂糖を切らしてしまったから、もしよかったらシロップを使ってくださいな」
そう言って置かれた瓶詰を、ザッカリーは奇妙なものを見るように眺めていた。
「……これは?」
「蔦のシロップだよ。心配ならちょっと舐めてみろよ。ほら、コディも」
ジーンは二人に手を出させ、ティースプーンですくった透明な蜜を乗せる。
それは色のない蜂蜜か、水飴のように見えた。
コディとザッカリーは、手の中のシロップをじっと見てから恐る恐る口にする。
先に声を上げたのは一息に舐め切ったコディだった。
「なんていうか、すごく甘いのにすっきりしてていいですね!」
「だろ? オレ甘いの駄目なんだけどさ、これは平気なんだよな」
ジーンは自分も少し味見をする。甘さの中に香草の爽やかな風味が残る。
一方で、舌先で猫のように慎重に舐めていたザッカリーは、首を傾げながら手を見つめ続けていた。それからぽつりと尋ねる。
「……これは、日持ちするか?」
「まあ、一か月くらいは大丈夫だろ」
「どこで買える」
「売ってないぞ。バッカスさん家の奥さんが作ってて……あっ」
このシロップは、島中に生える蔦を刈ったときの切れ端からできている。
そこでようやくジーンは三日前の朝の会話を思い出した。
『ジーン! 今度の週末に、
『蔦のシロップと交換で!』
やってしまった、とジーンは頭を抱える。
「週末に蔦刈り手伝うって言ったの忘れてた」
あのときまでは、土日は暇になると思っていた。まさか、こんな大事に巻き込まれるとは想像もつかなかったのだ。
コディが目を丸くする。
「えっ、もう月曜日ですよ」
「二日も何をやっていたんだ」
「お前らの所為だよ! クソ、どうせ町には行くんだから寄るぞ!」
ジーンは机を押して立ち上がり、二人も後に続いた。
***
「なあに、気にしなくて大丈夫だよ。第一、口約束だったんだから!」
「いや、すっぽかして本当にすいません……」
へこへこと頭を下げるジーンの背を、髭面の老人はおおらかに笑って叩く。
コディは後ろに立って、辺りの景色を窺っていた。
町の家々はどこも壁に蔦を這わせている。しかし、やはりほとんどは適度に刈り込まれていて、落ち着いた雰囲気を漂わせる程度だ。
老人の家の蔦は窓や戸を覆うまですっかり伸びきっていて、年老いた夫婦だけで片付けるのは厳しいように見えた。だから、普段はジーンが手伝いに行っていたのだろう。
コディはおずおずと進み出ると、自分たちにできることはないかと言った。
「ジーンさんが忙しくなっちゃったのは、僕たちの所為なんです」
「言い訳だけど……色々あったんだ。少しだけ、今からでもやっていいか?」
そう言いながらジーンも顔を上げる。時間がないのは分かっているが、ヘマをしたのは自分だ。調べ物はコディに預けるしかないと思った。
老人は髭を撫で、不思議そうな顔をする。
「ジーンが手伝ってくれるのは嬉しいが、そんなのいつだって構わないんだよ。きっと、今はほかにもやることがあるんだろう?」
「でも……」
コディは言葉を詰まらせた。
そうは言うが、これでは家の出入りさえ不便だろう。日当たりも悪くなる上、根を踏んで転ぶかもしれない。
そこで、それまで離れて門にもたれていたザッカリーが声を上げた。
「手伝えばいいんだろう。三人もいればすぐに済む」
「ザッカリーさん!」
「いいのか?」
コディが声を弾ませ、ジーンは不安げに彼を見た。
これは海燐火薬に関係のないことだ。彼にとっては手伝う義理もない。
しかし、ザッカリーは丁度いい、と言った。
「今の内に、海燐火薬について教えておくことがある。捜査そのものには必要ないから言わなかったが、時間があるなら知っておいたほうがいいだろう」
それは、彼なりの気遣いのように感じられた。
軍手を嵌め、鎌を受け取りながら、ジーンは少しだけザッカリーへの評価を改めたのだった。
ゴーストザッパー 遠梶満雪 @uron_tea
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