【カクヨムコン】静寂に包まれた修道院【短編】

楠 菜央

✜ 静寂に包まれた修道院 ✜

 全ての物音を包み込むように、窓の外は雪が降り積もっていた。

 時折聞こえるのは、窓を吹き付ける風と廊下を歩く人の足音のみ。

〝男〟はベッドに横たわったまま、辺りを見回した。

 机と椅子、そして、小さな収納があるだけの簡素な部屋。


(いったい、ここはどこだろう?)


 見知らぬ部屋に困惑しつつも、静寂が〝男〟の不安をしずめた。

 そのとき、とんとんと誰かがドアを叩いた。


「お目覚めですか? 入りますよ」


 そう言って現れたのは、高齢の男性だった。

 頭から足元まで隠れる黄白色のローブに黒い布を重ねている。

〝男〟はこの姿に見覚えがあった。


「あなたは……、白魔導士ですね?」

「いいえ、修道士です」


 確信を持って尋ねたというのに、期待とは違う答え。


(いや、待てよ。修道士ということは、ここは教会ではないのか。教会はRPGの世界では定番のセーブポイント……)


〝男〟は、はっと目を見開いた。


「僕は今、異世界にいるんですね?」

「い、異世界? いえいえ、ここは修道院です。あなたは修道院の前で転倒して……」

「転生?」

「転倒です!」


 修道士は慌てて訂正すると、「私の滑舌かつぜつは、そんなに悪くなったのかなぁ……」と、困ったように頭をかいた。


 そこに、別の修道士が現れた。

 先の修道士よりはだいぶ若い。

〝男〟は彼らを見て、高鳴る興奮に胸をはずませた。


(間違いない。ここは異世界だ)


 中年の修道士がお茶のセットを載せた木製のワゴンをベッド脇まで運んでくると、アルミ製の缶を手に取り、ふたを開けた。

 そして、小さなスプーンで乾燥した葉を手慣れた様子ですくい、ティーポットに移していく。

 それを見て、〝男〟は心が浮き立つのを覚えた。


「それは、体力を回復する薬草ですね?」


 中年の修道士は、ぴたりと動きを止めた。


「いえ、ただの茶葉です」


 そう言うと、黙々とお茶の準備を進める。

 その間に、高齢の修道士が椅子を運んできて、「ふう」と息をつきながら、ワゴンのかたわらに腰を下ろす。

 湯に蒸された茶葉の香りが、辺り一帯を覆いつくした。

〝男〟は思わず目を閉じ、その香りを堪能たんのうした。


 まもなく、差し出されたティーカップとソーサーを手に持つと、ゆっくりと口に運んだ。

 温かい液体が喉を通り、やさしく体内へと伝わっていく。


「冷えた体にみますね。おいしいです。飲みなれた紅茶の味がします」

「紅茶ですから」

「それにしても……」


〝男〟は静かに窓の外に視線を向けた。


「異世界は静かですね。ところで……、魔王はどこに?」

「ま、魔王っ⁉」


 修道士たちの声が裏返った。

 彼らは目をしばたたかせながら、必死に返す言葉を探している。


「魔王、ですか? えーっと。あなたのおっしゃる魔王かどうかはわかりませんが、悪魔でしたら……」


 それを聞いて、〝男〟は興奮と期待に身を乗り出した。


たたかうんですね? それで、僕はどういった職業なんでしょう?」

「さ、さあ? あなたの個人情報までは……」


 そのとき、窓の向こうから突如んもぉーという地響きのような音が聞こえた。


「今の音は?」

「そこに、牛舎ぎゅうしゃが……」

「ゆっ、勇者⁉ 早く迎えに行きましょう!」


 修道士たちは、ほとほと困り果てていた。

 そこに、再びとんとんとドアを叩く者が現れた。


「警察の方がいらっしゃいました」


 開いた扉の向こうから、警察官の服装をした男性が二人現れた。

 高齢の修道士が彼らに説明する。


「こちらの方です。修道院の前で、雪に足を滑らせ転倒したようです。このような悪天候ですので、外に放置しておくわけにもいかず……。どうやら、倒れた際に頭を打ったようです。話がかみ合いませんので……」


「そうですか。では、念のため、医師に診てもらいますね」


 そして、警察はつかつかと〝男〟に歩み寄ると、相手を刺激しないように丁重に言った。


「ひとりで立てますか?」

「ええ、もちろんです。冒険の旅に出るんですね?」


〝男〟は張り切って、ベッドから立ち上がった。

 すると、警察官は呆れたように〝男〟を制した。


「警察に行くんですよ! あなたね、修道院の土地に無断で侵入してはいけませんよ。不法侵入です!」

「え、不法侵入? ……あっ!」


〝男〟はすべてを思い出し、頭の先から血の気が引いていくのを感じた。



◇ ◇ ◇



 修道士たちは、走り去っていくパトカーをじっと見つめていた。

 後部座席に座る〝男〟は、がっくりと項垂うなだれていた。 


 修道院に侵入したところで金目のものはないのに、何が目的だったのだろう。

 修道士たちは訳がわからず、首をかしげた。

 そのとき、吹きすさぶ風に高齢の修道士がぶるっと身を震わせた。


「そろそろ、中に戻りましょうか?」

「そうですね」と、修道士たち。


「しかしながら、世の中には色々な方がいらっしゃいますね。『いせかい』『てんせい』って、なんなのでしょうね?」

「さあ? 我々には、わかりかねます」


 修道士たちはあいもかわらず小首をかしげながら、いつもと変わらぬ静かな世界へと戻っていった。




          〈了〉

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