お稲荷さんちのアライグマ 〜ほっこり冬支度〜

右中桂示

アライグマとおつかい

 十一月。午後の稲荷神社。

 すっかり寒くなってきて鎮守の森もやっと紅葉。温かな日差しの下、落ち葉が風に吹かれて舞う。


 薄墨は神社の前で、オレンジのマフラーの手触りを確かめるように撫でていた。

 グレーのふわふわした髪、ベージュのセーター。髪と同じ色をした縞模様の尻尾が揺れる。


 彼女は人の姿に変えられたアライグマだ。


「あったかいねー、これ」


 気温の変化が激しく暑い日も続いていた中、近頃ようやく衣替え。準備を終えて良い気分で出かけるところだった。


「頼みましたよ」

「分かってる。言われたのを買ってこればいいんだよね」


 声をかけたのは、整った顔立ちで神職らしき服装の男性。その正体は稲荷神社の神使たるキツネ。神社を荒らしたアライグマに薄墨と名を付けて人の姿に変えた張本人だ。

 神社は年末年始の準備で忙しいので、日用品や食料品のおつかいを頼んでいた。

 彼は厳しい顔つきで財布を渡す。


「人間社会のルールは覚えていますね? くれぐれも問題を起こさないように」

「だから分かってるってば」

「何をしでかすか分からないから心配なんですよ」

「もー。しつこいなー。最近は変な事してないのに」

「ええ。それは認めています。ですから買い出しの費用とは別にお小遣いも入っています。その範囲でなら好きな物を買っていいですからね」

「やった。じゃあスマホも買える?」

「……あれは高いですからね……あなたに使いこなせるか分かりませんし」

「自分が苦手なんでしょ」

「……今後の頑張り次第では考えましょう」

「わーい」


 神使の返答に期待してはしゃぐ薄墨。

 これで本当に準備完了だと歩き出そうとしたが、マフラーを巻くのに手間取っている。こんがらがって、巻き直して、ぐるぐるとその場で回ってしまう。


「ん、あれ? えーっと?」

「ああほら、大丈夫ですか?」

「あ、こうか。じゃあ行ってくるね」


 格闘の末に巻き方に気付き、綺麗に首に巻いていく。

 神使はほっとして、出かけていく薄墨を優しげに見守るのだった。






 町に出れば薄墨は順調に買い物を済ませていく。

 アライグマの尻尾を堂々と出しているが、特に騒ぎにはならない。変わったファッションの女子として認知されているようだ。新しい服を顔なじみの店員に褒められすらしていた。


 頼まれた品物は全てしっかり確認。ルールもマナーもしっかり守る。

 ちゃんとできるんだぞ、と張り切って仕事は完璧にこなした。


 後はお小遣いで何を買うか。自分の楽しみの時間だ。


「美味しそうなものいっぱいだなあ」


 甘いお菓子。食べ応えのある肉。想像すればよだれが出てくる。

 コンビニはなんでも揃う夢のような場所。

 からあげやシュークリームの専門店も大好きだ。

 思い切ってどこかの店で食べていくのも捨てがたい。

 今なら温まる物が美味しいし、逆に冷たい物は贅沢な気分になれる。

 色んな物を少しずつでもいいが、好きになった物をとことん食べるのが薄墨のお気に入りだった。


 かさばる荷物も苦にせずウキウキと悩む。今までに食べた物を思い出しながら、ルンルンとあちこちを覗きながら歩くのが既に楽しかった。


「あら薄墨ちゃん」


 そんな時に知人と出会う。

 コートを羽織った、おっとりした印象の女性だ。


「一ヶ月振りかしらね」

「あ。うん、ひさしぶり」


 彼女は以前、稲荷神社で結婚式を挙げた、人間に化けたキツネである。

 それ以来、薄墨は何度も会っており親しくしている。自宅に招かれてご馳走になった事も何度かあった。


「今日はおつかい? 偉いわね」

「うん。あたしもこれぐらいできるよ」

「ふふ、そうね。もう帰りなの?」

「ううん。これからがお楽しみなの。何買おうか迷ってるんだ」

「あら素敵ね」


 楽しそうな薄墨を祝福するように微笑む。気持ちの良い彼女の雰囲気には薄墨も更に笑みを深くした。

 ただし、次の言葉は予想外だった。


「神使様にもお礼しなきゃね」

「えー。悪いキツネなのに」

「あんまりそう言っちゃダメよ。ホラ、そのセーターやマフラーだって神使様からもらったんでしょう?」

「むう」


 薄墨は口を尖らせる。

 十分に働いているのだ。その分の対価をもらうのは当然である。


 ただ、今まで神使にもらった物の数々を思い返せば、確かに恵まれている気がしてきた。

 森で過ごしていた頃よりずっと楽しい生活ができている。それは間違いなく神使のおかげだ。


「……少しぐらいはお礼してもいいかも」

「ふふ。仲良くしてね」


 難しい顔で考え直した薄墨には柔らかな笑みが向けられる。

 そして強風が吹いた事で、マフラーの温もりを強く意識するのだった。







 稲荷神社。

 日が落ちて、影は広く暗い。赤と引き立て合うそれもまた秋の情緒か。

 薄墨は行きの時よりも楽しそうな雰囲気で帰ってきた。


「ただいまー」

「おかえりなさい」


 神使は早速出迎えた。急ぎ足は心配の表れか。渡された品物を確認して安堵していた。


「揃っていますね。助かりました」

「あたしがいて良かったでしょ」

「ええ、そうですね」


 ふと薄墨が持ったままの箱に目をやる。


「ドーナツですか」

「たくさん買えたよ」

「あなたらしいですね」

「いいでしょー」


 詰まった箱の中身は全部同じ、キャラメルのオールドファッション。見せびらかすようにふふんと胸を張る。

 呆れたような感心したような顔の神使だったが、続いた言葉に表情を変えた。


「一個あげる」

「……はい? 私に? あなたがですか?」

「うん」


 予想外の言葉に固まる。

 パチクリと瞬きする。

 そして眉を寄せて空を見上げた。


「害獣だったあなたが他者に与えるとは……明日は雪でも降るのでしょうか……」

「やっぱりあげるの止めよううかな」

「ああ、いえ。済みません。ありがとうございます」


 神使の謝罪と感謝を薄墨は聞いていたのかいないのか。さっさと食べ始めている。夢中に頬張る彼女はひたすらに幸せそうだ。

 その様子を見て、神使は温かく微笑む。


「これが親の気持ちなんですかね……」


 彼の呟きにはしみじみとした深い感情がこもっていた。

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