3-7:星を追った娘

 特許の出願、そして公開実験は、天気予報にとって絶好の宣伝になった。気象への問い合わせが、一週間後に3通、そのまた一週間後には9通と、どんどん増え始める。

 子爵領に訪れる行商人たちは、今は必ず広場の予報看板を見る。そして傍らの百葉箱にも『これが噂の計器類か』と感心して、旅路の土産話とするのだった。

 サニー達は、忙しい。それはもう、忙しい。


「若様ぁ! またお手紙ですぅ!」


 お昼前、メイドのリタが手紙の入った編みカゴを背負って、山小屋にやってくる。サニーとアルバートはげんなりして、机に伏せった。


「……またか」

「計算の書きすぎで、サニー、右手痛いです……」


 もともと手狭の実験室アトリエには、手紙を置くスペースもなくなりつつある。リタが頬に手を当てると、また扉が開いた。


「アルバート、お天気令嬢!」


 縦ロールを揺らして、ベアトリスが入ってきた。後ろには義弟セシルと愛犬ロビンもいて、どうやら彼らが侯爵令嬢を案内してきたらしい。


「エスコート、感謝しますわ」

「――!」

「わんっ」


 緩く手を振るセシルは、最近、少し変わった。半年前、出会った頃のぼんやりした印象は薄くなり、日焼けして心なしかがっしりしてきている。避けていた魔法の勉強にも、最近は積極的のようだ。


「ベアトリス、リンデンで工房を見ているのではなかったかね」

「そうですけれど! 特許について追加資料の要請が」


 ベアトリスが突きつけてきた書状を、サニーも読む。人工衛星の計算力で、添付された数式も検算した。


「新たに気圧と天気の観測データを追加すること、大型以外の船舶でも実証すること――たくさんですね」

「当然だな。リンデンで行ったのは、あくまで特許の出願だ。『気圧』は新規の理論であるし、審査を受けながらもさらに特許に足る証拠を積み上げていくことになる」

「あ、そういえば……」


 呑気なサニーに、若様は眉間に皺を寄せ囁いた。


「……サニー、念のため聞くが、未来知識があるにも関わらず、特許がたった数日で認められると思ったかね?」

「い、いえいえ……」


 目を逸らすサニー。

 実験会場がとても盛り上がったので、あれでいけると思っていた――とは言えない。

 リンデンに行ったのも、そもそもは事前相談が目的である。確かに前世でも、『出願』と実際に特許が認められる『審査』はまったくの別物で、後者は数年かかった。

 出願さえ渋った担当官は、やはり頑なだったといえる。


「今後、追加的な証拠は要る。公開実験は『気圧』をリンデンに知らしめたい目的もあったが、少なくとも審査の価値はあると思い直してもらうため」


 要は器具作成の発想と技術で、うまくアピールしたということか。

 サニーは手紙のお尻に、特許審査担当官からの私信があるのに気づく。『当方も口が悪かったが、そちらも強引なやり方は慎むように』――これは商業ギルドの担当官から。


「……ご、強引だったんですね」

「担当官は『普通』と言っただろう。どうやら、仕事も確からしい」


 サニーはなんともいえない顔になった。

 ちょっと感動したのに。


「とはいえ、出願は済んだ。特許は先願で優先が主張できるゆえ、一先ず『晴雨計』はベアトリスに任せて問題あるまい」


 しかし、と言葉を切るアルバート。


「手紙で済みそうな要件だが――あなたはこの確認だけで、子爵領に?」

「そ、それは……」


 ベアトリスは、紫色の目を泳がせる。

 いつもと違う様子に、アルバートとサニーは顔を見合わせた。


「お二人共、この領地でたくさんの流れ星の話を、聞いたことはありませんか?」


 かつてサニーに尋ねたことを、ベアトリスはもう一度尋ねた。



     ◆



 予報といっても、それは宇宙から来るものの予報だった。


「ベアトリス様が探しているのは、ですね」


 気象研究をひと段落させ、午後、サニー達は子爵家の書斎にいた。書架が壁を覆い尽くし、天井までびっしりと本や巻物が詰まっている。インクと羊皮紙の匂いもした。

 やや埃っぽい部屋をぐるりと見渡して、ベアトリスは呟く。


「師匠からは、『たくさんの流れ星』としか聞いていませんが――」

「お話を聞く限り、流星群です。定期的に観測されること、夜空の一点から流星が飛び出してくるように見える、つまり放射点があること、どれも流星群の特徴です」


 ベアトリスは目を瞬かせた。


「……ずいぶん、お詳しいのね。お天気令嬢は天文もご専門なの?」

「え、えっと」


 アルバートが咳払いして、引き取る。


「――古来より天文と気象は近しい学問とされた。どちらも空に関わるし、魔法と気象が結び付けられて以降も、星と気象を関連付ける動きは多かった」


 ゆえに、とアルバートは書架を見渡す。


「この書庫には、クライン子爵領代々の予報者による天体記録も残っている」


 サニーは、少し前世の記憶をたどる。ずいぶん人間の思考が身についてきたせいか、Wikipedia情報を思い出すのは少し苦労が要った。

 地球でも、古くは天文と気象は同一視されていた。『星占気象学』は、天体から気象を予想しようとする学問である。『占』の字があるとおり実態は占いとそう変わらないものだったが。


「私も、実験室アトリエの望遠鏡で天体観測もやっていたことがある」

「あ――あれ、使ってたんですね」


 確かに、若様の実験室には天体望遠鏡があった。


「過去、同じ天体現象があったかどうかは、この書斎でわかると思うが――ベアトリス、あなたはなぜ星を?」

「わたくしの師匠が、そう予言したのです」


 そういえば、彼女は先程も師と言っていた。

 アルバートが目を伏せ、ベアトリスは寂しげに肩をすくめた。


「失礼した。あなたの師は、たしか一昨年――」

「ええ。亡くなりました。わたくしにとっては、大きな恩をいただいた、立派な方です」

「当時、私のクレメンス師も悼んでいた」

「ありがとう」


 揺れる縦ロールにも、心なしか元気がない。


「わたくしの師も古くから空を探求し、天文にも興味がありましたの。特に、この領地が思い出深かったようでして。峠で見たたくさんの流れ星に願いをかけたら、研究がうまく行きはじめた、と」


 苦笑しながら語るが、その分、ベアトリスと師匠は本当に親しかったのだと伝わる。


「そのためか、同じ峠で流星群が見える次のタイミング、周期を記録から予想していたようなのです」


 気丈に振舞ってはいるが、この人にとって、きっと大事なことなのだ。でなければ、サニー達を頼ったりはしまい。


「周期? 流星に、周期があるのか?」

「――師は、そう考えたようね」


 ベアトリスは手袋をした指を立てる。


「わたくしが、星を探す理由は2つ。1つは、師の予想が正しかったか、確かめて差し上げたいこと。もう1つは、好奇心です。どうせなら師と同じものを見て、事業の安全に願をかけたいの」


 浮かぶのは、自嘲的な笑み。


「どちらも、利益にはつながりません。正直、星が来るかどうかもわからない。ですから、他の方を巻き込みたくはなかったのですけど……」

「とんでもない! そういうことでしたら、サニーをお使いください」


 きょとんとするベアトリスに、サニーは青い目をパチパチさせる。宇宙のことなんて、お魚に海のことを尋ねるようなもの。


「――ベアトリス様、その流星群がいつ頃確認されたか、覚えていますか?」

「見られるとしたら今年、その前は……」


 令嬢は顎に手を当てる。


「確か、22年ごとだったかと。数字が揃っていたから、よく覚えています」


 ありえそうだ、と直感したのは、この世界が地球とよく似ているから。

 流星群は、彗星の残すチリが大気で燃焼、発光するもの。前世の地球と同じように、周期的に近くを通る彗星があってもおかしくない。


「記録を辿ってみましょう」


 サニーはアルバートに手伝ってもらいながら、記録を探す。毎年、毎日の観測となれば膨大だが、幸いにして特徴的な天体現象だけをまとめた年鑑形式で整理されていた。

 サニーは、開いた扉に『流れ星』の記述を見つける。


「……確かに、来ていますね。22年前の夏です」


 22年前の年鑑には、天頂を中心にした当時の天体図も残っていた。『流星が雨のように降り注いだ』という言い回しがあり、特に多くの流れ星が見える大出現に当たったのかもしれない。

 若様が開いていた本から顔を上げた。


「こちらの44年前の記録にも、1行だけだが、夏の流星に記載がある。ふむ、まさに今の季節か……」


 アルバートは唸った。


「しかし、周期性など本当にあるのか? たまたま同じような流星があっただけとも思えるが……」

「師は、110年前の古い記録まで当たったようなので……」


 サニーは、年鑑の天体図を上にかざす。


(北があっちだから、来る方角は南から……?)


 人工衛星の記憶が刺激される。日付から流星群の周期日数を計算し、前世の記憶をもとにありえそうな振れ幅も加味した。

 獅子座流星群や、ペルセウス座流星群などと同じように周期性があるとしたら、夜空への現れ方も似かようはずだ。


「――ベアトリス様、またすぐにリンデンに戻るんですよね?」

「え、ええ」

「今日、待てませんか?」


 サニーは青い目をきらめかせた。


「もしかしたら、今日から見えるかもしれません」



     ◆



「うそ、合ってた……?」


 ベアトリスが呆然と呟くのは、空の一点から、カーテンのように流星が注いでいるため。夜空に青い線が現れ、空中で弾けて消える。

 あれは成層圏で燃え尽きたのだな、とサニーはぼんやり考えていた。

 青い線の数は増える。夜空に星が降り、光り輝き、弾けて消える。

 サニー達は、今、クライン子爵家から離れ、峠の中腹にいた。天候変化に備えた山小屋がいくつかあり、夏の間は旅人たちが気軽に泊まっているらしい。『見えるなら遠慮する手はありませんわ!』とベアトリスがそんな山小屋へみんなを急かしたのである。

 今、流星群を見ているのはサニーとアルバート、ベアトリスと護衛、そして山小屋で一晩を明かす行商人ら。子爵領でも、大勢が今日の天体ショーを見ているだろう。


「……さすがですわね、脱帽だわ、お天気令嬢。そして、さすがは我が師」


 ベアトリスがサニーの傍に並んでも、視線は空から外せなかった。


「きれい……!」


 これは物理的な現象だと、わかっているはずなのに。


(わたしも、こういうふうに、この世界に来たのでしょうか……)


 ぎゅっと胸元を握る。空に神秘があるのではなく、神秘にざわめく心が神秘なのだと、サニーは思った。


「明るくていいな」


 アルバートが非常に無粋な感想を漏らし、力が抜けた。人工衛星より朴念仁。

 一方、ベアトリスは夜空に向かって目を閉じる。


「全能神よ。海をゆく船員に、安全な旅がありますように……」


 唱え終わって、ふっと柔らかい笑みをサニーに向ける。


「ありがとう、おかげで、肩の荷が下りましたわ」

「いえ――」

「アルバートも、よい助手さんを持ったものねぇ。今からでもわたくしのところに来ない? 給料、2倍にしますよ?」


 冗談に微笑み返すも、胸がちくりとした。

 ちらりと若様を確認すると、少し離れたところで星の動きをメモに残している。

 聞きたいことは、今のうち――かもしれない。


「ベアトリス様、アルバート様の研究仲間だったんですよね」

「そう……気になる?」


 にんまり笑って、手袋をした指先で口元を隠す。さぞいい笑顔なのだろうな、とサニーはちょっと睨んだ。


「は、はい」

「ふふ、アルバートとは、師匠同士が親しくてね。王立学会は若手も少ないですし、研究仲間となったのですよ。心配しなくても、関係はそれだけですわ」


 ベアトリスはふっと目を細める。


「あなたに師匠は?」

「……独学で、アルバート様が先生のようなものです」


 師匠についてはそう答えるよう、事前に若様と打ち合わせてある。なにせ転生者で、魔法に先生なんていない。


「なるほどね。わたくしは、9歳の頃から師事していましたわ」


 夜空を見上げながら、ベアトリスはぽつりと付け足す。彼女にとって大事な記憶を、ディレクトリを参照しているように思えた。

 美しい景色は、思い出を呼び起こすものなのだろうか。


「わたくし、子供の頃に魔力の操作を誤って、騒ぎを起こしてしまいましたの。高位貴族同士のパーティーで……ね」

「魔力……?」

「高位貴族には、幼い子が魔法を見せ合うお披露目会があるのです。幼少期に優れた魔法を使える子は、『生まれつき魔法が上手い』。貴族は、その生まれつきの才能を見るのです」


 遺伝だ、とサニーは思う。魔法について、優れた遺伝子かどうか見るために、訓練が少ない幼子の魔法を見るのかもしれない。


「……わたくし、そこで、大きな火を出して倒れてしまいまして。おまけにその事故のせいで、しばらく魔法が使えなくなったの。『才能なし』とみなされて、けっこう大変でしたのよ」

「ちょっと、今からでは想像もできないです……」

「今は魔法が使えますものね。師匠が、薬を調合してくださったの。当時からあの方は素敵なレディでしたけど、わたくしも後ろにくっついていたものですわ」


 小さな縦ロールをつけた少女が、てくてく師匠の後を追うのが思い浮かぶ。

 ちょっと微笑ましい。


「師が魔法を教えてくださったおかげで、むしろ人より魔力操作が上手くなれることがわかったの。一度に動かせる魔力が多いから、力を使い切って倒れてしまったのね」


 ベアトリスは指を立てると、そこに、いつかのように水球を生み出す。水は渦を巻いて竜巻状になり、やがて蒸発して消えた。


「――貴族では、それでも一度ついた評価は消えません。『要らない血』ということなのでしょうけれど……師匠には感謝しています。錬金術を教わらなければ、無力な末子のままでしたもの」

「ベアトリスさん……」

「貴族としての結婚なんて、こっちから願い下げ! 人生の黒字は、自分で稼ぎ出してやりますわ!」


 ぐっと手を握る事業家に、サニーは思わず噴き出した。

 偉い人だ、と思う。現に船を買えるほど稼いでいる。

 ベアトリスは不意に顔を近づけ、ニンマリした。


「さて、タダでこっちの事情を話したわけではなくってよ?」

「え?」

「あなたは、アルバートとはどこまで……」


 言いかけて、ベアトリスは言葉を切った。サニーはどんな顔をしていたのか。熱い耳たぶで想像するしかなく、人間の体にはエラーが多いと思う。


「それが、あの。まだ、わたし、わからないのです……」

「わからないって……」

「たぶん、その……『好ましい』のだと思います。でも、それが正しいのか、続けていいのか、わからなくて……!」


 女性は結婚して家を残したり、ベアトリスのように強く生きたりする。

 好き? だとして、伝えていいのか? 結婚とか、そういうことも考えないといけないのか――。

 目を瞬かせるベアトリスは、やがて『そう』と優しく笑った。


「あなたには、まだまだ秘密があるみたいね」

「っ」

「そんなあなたに、幸がありますように――」


 夜空を通り過ぎる流星群に祈ってくれる。


「実験室で、彼、スケッチしてるでしょ」

「え、はい……」

「もし、あなたの気持ちに名前がついたら、それをこっそり見てみなさいな」


 若様は、少し離れたところで、行商人らから百葉箱の質問に答えている。山小屋の近くにも、観測用に置いているのだ。子爵領では、もう計器だけで、ある程度の雨予報を確立させている。

 サニーの負担が減るように――若様のそんな努力だ。

 こくんと頷きながら、サニーもまた夜空に向き直る。手を組み合わせ、かつて自分がいた場所に祈った。


(こんな幸せが、続きますように……)


 空を、また1つ流星が横切った。



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お読みいただきありがとうございます!

これにて第3章は終了、次話からは『第4章:魔科アンサンブル予報』を始めます。

一応、最終章の予定です。


少しお休みをいただきまして、1月上旬から再開、同月中に完結を見込みます。


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人工衛星サニーの冒険 ~転生した〝元〟気象衛星がお天気令嬢になるまで~ mafork(真安 一) @mafork

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