3-6:公開実験
特許を一度断られ、リンデンから帰ってきたアルバートは、サニーも初めて見るほど険しい顔をしていた。整っている分、口を結んで前を睨むと、とても迫力が出てしまう。
ベアトリスが助力を申し出たが、アルバートは固辞する。事業家ベアトリスには、公開実験の手続きと、町全体への宣伝、それに『人足』の手配をお願いしたい、と。
――公開実験。
それは文字通り、大勢の前で行う実験だ。
自説を知らしめたい場合に行われる。前世の地球でも、コリオリ力の証明に巨大な振り子が建造されたり、ガリレオがピサの斜塔から物体を落とし着地時間が同じであることを示したが――それらも、一種の公開実験だろう。
つまり若様は、気圧の証明のため大勢の前に出て行こうというのだ。
「サニーも、お手伝いします!」
何度も何度も、屋敷や山小屋で顔を見かけるたび言うのだが、実際のところサニーにできることはほとんどなかった。
実験のやり方について説明を受けた後は、器具作成と、説明方法になる。こうなると、元王立学会の秀才アルバートの独壇場だ。
「すまないが、無用だ。君には、領地の気象観測を頼む。実験法はもう考えてあって、後は錬金術で器具を作るだけなのだ」
錬金術は、間に『金』の文字が挟まる通り、冶金にも使える。溶鉱炉を使わなくても、金属塊を好きな形に変えられるのだ。『変質』の魔法だが、ガラスを始め、個体を操るには才能と熟練が必要という。
彼が朝から山小屋にこもるのは、集中して魔力を使うため。出てくる時は夕方で、汗びっしょりになっている。
そんな調子で3日が過ぎ、4日が過ぎ、一週間が経った。公開実験の予定日まで、あと10日ほどとなる。
作業は順調のようだが、淡々と推し進めていくアルバートに、不安にならずにはいられなかった。
(お役に、立ちたいのに……)
異世界にやってきた時は、誰かの『お役に立ちたい』と思っていた。
でも今は一人一人の顔が浮かび、特に若様には――おそらく特別に、お役に立ちたいと思っている。人に近づくということは、きっと特別な誰かができることなのだ。
「すまない、今日も遅くなる」
その日も、若様が
すでに夏の陽は傾いているが、若様はさらにひと頑張りをするつもりらしい。助手として、サニーはアルバートのシャツを引く。
「……リタさんも、セシル様も、心配しています」
本当は自分も心配だ。ただ、子爵夫妻が『死にはしないだろう』とおおらかに構えていることは、黙っておいた。
「君は、覚えているか。私が最初に、君の協力を乞うた時――互いに『交換条件』といっただろう」
「は、はい」
若様は自嘲的に笑った。
「私も、魔法と気象の関係について、検証を続けている。だがまだ、論文にできるほどの完成度にはない。一方『気圧』の理論は、検証すれば検証するほど、価値が高まっていく――今の私は、君がくれた知識をなぞっているだけだ」
そんな、とサニーは思う。
まるで合理的ではない。2人でやった方が早いなら、結局協力すべきではないか。
「気にするな。すでに天秤は、君の方に大きく傾いている」
「でも、若様は――とってもすごいですよ! 論文も、気圧計も、若様がいたから、この世界でもできたんです! 気象と、魔法の関係だって――」
「……うむ。魔法と気象は、成果がないわけではない。気象変化に応じて、空気中に存在する魔力量も変化している。魔力量を遠くから感知する術があれば、遠くの雨や嵐を検知できるかもしれんな」
サニーは呆れた。
(この人、雨雲レーダーの原理を話してる……)
なんだかんだで、発想の天才である。
説明に没頭するアルバート。サニーがじとっと見ていると、そのうち我に返った。
「……すまん、心配をかけた」
「まったく」
青いワンピースの腰に、両手を当てる。ここ一週間は、アルバートが熱中しサニーがブレーキをかけるという、逆の役回りになっていた。
「だが、夜作業は今日が最後だ。君は休んでくれ」
「……ほんとですかぁ? 嘘ついたら引っ張り出しますよ」
「器具は完成し、微調整をするだけなのだ」
アルバートは、『公開実験』の説明方法や手順を話す。
前よりもさらに改良が加えられていて、青い目を見開いてしまった。
「――すごい、そんなこと、考えていたんですね」
「うむ。作りながら、説明法や、考えをまとめる必要もあった。だから、おそらく――『答え』を知っている君とはあまり話したくなかったのだ。君の知識は、おそろしく未来の分、時に過程を省いてしまう」
今回に限っては、彼は試行錯誤して、伝わりやすい説明を考えたかったのだろう。確かにそれなら、サニーの未来知識は意味がない。教科書の回答欄を先に見るようなものだから。
そうならそうと、早く言ってくれれば――思ったものの、サニーは柔らかく笑う。
「今、相談してくださったので。でも、よくそんなやり方を思いつきましたね」
アルバートは、目を逸らして咳払いする。
「周波数、だ」
それは、かつてサニーが用いたたとえ話。
「君にならって、私も考えていたんだ。なぜ、都で失敗をしたか……それはおそらく、技術を開発することだけに夢中だったからだ」
若様は、頬を緩める。
「ある意味、私も周波数が合っていなかった。今回は、違う。助かる人が、確かにいる。だからまず、その人たちに納得させるよう、使ってほしい人に届くよう――器具も説明も工夫したい」
アルバートは、かつて発明を受け入れられず追放された。気象で両親を失ってもいる。公開実験は、彼に特別な意味があるのだ。
「力が入りすぎてしまったようだな。過去の失敗を取り返そうと、私としたことが――もうしない」
「いえ、若様が一生懸命なのと同じくらい、サニーもお役に立ちたいと思っているのです」
これで仲直りだ。ふっとエメラルド色の瞳が細められる。
「あと少しなんだ。任せてくれるか」
「――信じてます」
アルバートは微笑して、扉を閉じる。最後の視線のやりとりにドキリとして、鼓動の乱れはしばらく続いた。
準備は順調に進み、実験の日がやってくる。
◆
公開実験は、最初にリンデンを訪れてから20日後に行われた。
ギルドが集まる庁舎は、裏手に広場がある。季節の出し物や公演のための場所らしい。
夏の日差しを受けながら、広場の中央にアルバートは堂々と立っていた。
口元にはうっすらと微笑さえ浮かべ、周りの台座には実験器具が置かれている。直径60センチほどの、金属のお椀のようなもの。これは2つあって、まるで1つの球を半分に割ったかのようだ。いくつかのフック、それにパイプがついているのが、お椀や球と違う点だろうか。そして、持ち手とピストンがついた、巨大な注射器のような装置。
大通りも昼時で、人は続々と集まる。先だっての嵐もあり、気象を解き明かす実験に関心が高いのかもしれない。
ただ、客には笑い出す者もいる。サニーからみても、そのような器具に囲まれて立つ美形は――だいぶ変だ。
「うまくいくのかしらね?」
ポールで区切られた見物席で、口を曲げるベアトリス。蜂蜜色の縦ロールが、今日も元気よくカールしていた。
彼女とサニーも、群衆に混じって見守る。お天気令嬢に注目が集まらないよう、ステージにはあげない配慮だった。
「うまく、いきますよ」
金髪をぶんぶん振って、サニーは胸を張る。
「ものを大事にする方ですから、ものだってやる気を出すはずです!」
噴き出すベアトリスは、サニーの背中をぽんと叩く。
「いいですわね! あなた、なかなかよくってよ?」
やがて、太陽が正午にさしかかり、遠くの教会が鐘を打った。
アルバートは声を張る。
「私は、クライン子爵領の錬金術師、アルバート!」
通りのよい声が、広場に響き渡る。
見物人には、特許を審査した2人もいた。若い方が錬金術ギルド側の担当官で、でっぷりした年配、おまけにニヤニヤ笑いをしているのが商業ギルド。
「気象について研究をしている者だ。今から、空気が私達を押す力『気圧』について、証明の機会をいただきたい!」
動き出すのは、錬金術ギルドの職員ら。臨時で助手に雇ったのだ。
彼らは金属の半球同士を、ぴたりと合わせる。中身が空洞の金属球が、一つ生まれた形だ。外れないよう金具で仮留めすると、注射器のような装置を金属球から飛び出たパイプに接続。やがて、職員らがピストンを前後させる。
人だかりがざわめいた。
球中の空気を吸い出しているのだが、気づいているのは察しのいい錬金術師か、サニー達だけだろう。
(真空ポンプ……ですね)
原理は、領地の洗濯場にあった手押しポンプと同じ。あれを注射器型にして、水ではなく空気を金属球から排出している。
「この街を、少し前に嵐が襲ったと思う!」
アルバートの声に、群衆が少し息をのんだ。
まだ記憶に新しい、嵐で横転した馬車――それが発ったのもこのリンデンである。同じことが起きないよう、天気予報を信じてもらうためにも、若様は実験に臨んでいるのだ。
「空気にも物体を押す圧力があり、その強い地点と、弱い地点がある! その違いが風を生み、嵐を起こす! この実験では、空気が物体を押す力が存在するか、それがいかに強いか、確認をしたい!」
半球同士から、仮留めの金具が外された。それでも、ぴたりと半球同士は組み合わさったまま。
まるで見えない巨大な手が、金属球が割れないよう押さえつけているかのようだった。
「ここで、手伝いを求めたい」
アルバートが手を挙げると、大男達が10名ほど、群衆を割って現れた。
「運河の積込士、樽ワイン運搬人、それに候爵令嬢の協力で港街の船員も来てくれた。いずれも、力仕事の男達だ」
ベアトリスの家――フローレンス侯爵家が用立てる船、そこで働く予定の船員達も実験に加わる。彼らは晴雨計に命を預ける。『ぜひ試したい』と意気込んだのだ。
「協力に感謝する。では両側から、この綱を引き、半球同士を引き離してくれ!」
「いいのかよ?」
群衆でヤジが飛んだ。
「壊しちまうぞ!?」
「――構わない。できるものなら」
その言葉で、大男達の目に火が灯る。
金属球には、両側から引っ張れるようフックがついていた。そこに縄がかけられると、綱引きのように男達が引っ張る。
おう!と野太い掛け声。
大男達は鉄球を引き剥がそうとするも、全員ガクンとつんのめった。左右5人に引っ張られても、金属球は割れなかったのだ。
「――!」
ざわめきが、どよめきに変わる。
錬金術師ギルドの担当官も、驚きに口を開けていた。商業ギルドの担当官も、同じく唖然としている。
「ふむ、加勢したい者はいるか?」
『加勢』とくれば、職人たちが黙ってない。
ギルドを訪れていた力自慢の職人たちが、次々と実験に加わった。でも引く人数が左右10人になっても、鉄球は外れない。
手を組み合わせて見守りながら、サニーは若様を改めて見直した。
(アルバート様、やっぱり、すごい……!)
金属球を押さえつけているのは、大気圧だ。
内側の空気は注射器型ポンプで吸い出され、真空。だから1気圧の力が、金属球を押さえつけている。
1気圧といっても、1平方センチあたり1キロ。半径およそ30センチの球に対しては、切り口の断面積30×30×3.14(円周率)として、およそ3トンもの力がかかっているのだ。
大男が10人くらい集まっても、外れる力ではない。体重60キロの人間が全力で引っ張るなら、左右50人くらい必要な計算なのだ。馬でもいないと無理だろう。
「――こりゃ、外れねぇ!」
1人が音をあげると、ばらばらとロープが放り出される。アルバートは微笑して、金属球に空気を戻すノブをひねった。すると、がらん、と嘘のように2つの半球に戻る。
集まった男達は、呆然と金属球を見つめていた。
「これが、大気圧――空気が地上の物体を押さえつけている力。我々の上にある空気にも、力があることが、感じられただろうか?」
その後、アルバートは原理を説明する。
水圧がかかるように、空気にもまた重さがあり、アルバート達を押していること。
周りの群衆、何より実際に引っ張った大男らは真剣に聞いている。
錬金術師アルバートは、彼らに大気圧と筋力を競わせることで、実感させたのだ。船で働く人達には、きっと体で感じることが大事だから。
「この空気が地表を押す力の弱い場所を、『低気圧』という。反対に、強い場所を『高気圧』という。圧力の低い側に風が流れ込むのが、嵐で風が荒れる原因となる」
もちろん、群衆には困惑する人もいた。タネがあると思ってか、アルバートを疑わしそうに見る人もいまだにいる。
「わかったよ、先生!」
肩で息をしていた大男が、むくりと起き上がった。
「俺ぁ生まれは港、次の春、ベアトリス様の船員になるモンだが……確かに、空気には力がありそうなことはわかった。『
実際に空気の力を感じた男達は、アルバートを信じたようだ。
「ウチは馬車御者ですが、この人達は確かに嵐に備えてて、仲間を助けてくれました!」
見物人から上がる声に、サニーも胸が熱くなった。
握手を交わしながら、アルバートは、サニー、ベアトリス、そして商業ギルドのでっぷりした男に順々に目をやる。
エメラルドの瞳は、きっとこう言っていた。
――原理は明らかで、買い手もいる。
――ならば、『特許』は可能だろう?
商業ギルドが突っぱねたのは、『誰も信じない』という理由なのだから。
「……むう」
でっぷりした担当官が、鼻を鳴らしてきびすを返す。ベアトリスは肩をすくめた。
「もともと理論はあります。これだけ需要も明らかなら、特許は大丈夫ですわね」
自らポンプを操作しようとする人、アルバートに質問し出す人、会場は大盛り上がりだ。
「アルバート!」
2人の男性が、叫びながら群衆をかき分けていく。アルバートに近寄ると、その肩を叩いた。
「
「お前、この街に来てたんだな!? 実験するっていうから、びっくりしたぞ!」
サニーはほうっと息をつく。アルバートの義兄らは、この街の執務を手伝い、領地経営を学んでいるのだった。彼らも義弟の公開実験に駆けつけたのだろう。髪色は赤と銀で、血のつながりを感じさせる。
(アルバート様の、ご家族……)
兄弟たちに、誇らしげに微笑み返すアルバート。
彼の近くには、天気を求める人が集まる。太陽に照らされて、もう失敗の陰はない。
(よかったですね、若様……!)
アルバートと目があって、互いに笑い合った。
数日後、改めてサニーらはギルドを訪れる。気圧計は『
基本となる気圧計の仕組みについては、アルバートが論文等で公表済み。ゆえに、特許文言に『悪質な偽物等で気象観測を害しないなら、この仕組みは誰でも使ってよい』と明言した。儲けを投げ捨てているが、きっとサニー達には、これでいい。
ベアトリスも船舶用の付属部品、揺れを軽減する機構を申請中である。
まだ前世並みの天気予報にはほど遠い。実験も面白半分で見ていた人が大半だろう。それでも『船舶』というニーズを掴んだことで、気圧の考え方は海にも広まり始めた。
思わぬ副産物として、リンデンの街にも『百葉箱』の設置が決まる。
――ご面倒をおかけしましたので。
そう百葉箱の運用を買って出てくれたのは、特許出願の場に同席していたあの若い担当官だった。
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