3-5:人工衛星、都会へゆく
ベアトリスの慌ただしい来訪から、2週間後。
サニー達は『特許』取得のため、馬車で東の都市リンデンを目指す。車窓には、のどかな丘陵地帯が続いていた。朝早く出たというのに、もう太陽は真上にさしかかっている。
(人間って、少し動くだけで大変なのですね……)
頭に天気図を思い描けば、街と領地は20キロほど。打上ロケットなら2秒で通過する距離だが、地上をゆくと半日もかかる。
隣にはアルバートが座り、向かい席はベアトリス、そして護衛2名。旅慣れた令嬢らは平気そうだが、サニーは正直じっと座っているのは辛い。せっかくの手足が、鈍ってしまいそうだ。
「リンデンか……久しいな」
隣に座る若様も、身を揺する。
「
「都でお勤めなのでしたね」
「うむ。クライン子爵領は、リンデンを治める伯爵家の下についているからな」
クライン子爵の実子――つまりセシルの兄達は、リンデンで領地経営の修行や、人脈作りの最中らしい。
サニーも、なんとなく貴族は大変そうという感想を抱く。
窓枠に腕を乗せたまま、ベアトリスが顔を向けた。
「商業
「……兄上達も忙しい。先触れもなく会わない方がよいだろう」
また会話が途切れ、サニーは護衛が持つ木箱に目をやる。
特許のために改良と小型化を施した気圧計が、その中に納まっていた。
大雑把に言えば80センチほどの木板に固定されたガラス管で、今までの気圧計がアルファベット『J』型だったのに比べ、『I』型にして横幅を減らしている。形状がシンプルになった分、ガラス管そのものも細くなった。
魔導銀の液面高で気圧を計る原理は同じだが、今までは『J』型の曲線部分に液を貯めていたところ、製品版では『I』の最下部に液だまりを設けている。その下部は、液が漏出しないよう、木箱と革袋を組み合わせた小型液槽だ。
とりあえずこの『I』型を標準とし、船舶用の固定装置もアタッチメントとして装着可能である。揺れる海上で正確な目測ができるよう、設置法は天井からの吊り下げとし、気圧計の重みで自然と地平との垂直が得られるようにした。
このような発想は、さすがアルバートもベアトリスも錬金術師だった。
重力は自然のジャイロである。アルバートもすごいが、ベアトリスも充分に天才といえるだろう。
馬車は、ゆるゆると緑の丘を抜けた。だんだんとすれ違う旅人が多くなり、畑も増え始める。彼方にはきらめく運河が見えた。
窓から振り返ると、子爵領の山がずいぶん遠い。頂上に笠雲がかかっているから、午後は雨だろう。予報通りだが、風は少し心配だ。
前から鐘が聞こえて、都市を囲う城壁が見える。
「新しい街です……!」
思わず声を出すサニーに、アルバートが咳払い。
「あら。まるで初めて馬車に乗るみたいね」
ベアトリスの言葉で、サニーはカチコチになってしまった。
◆
立派な門で、さぞ厳格な身元確認があると思いきや、入市税を払うとあっさり街へ入れた。馬車に刻まれた『山と杖』の紋章――子爵領、
石畳の敷かれた街を、馬車は軽快に走ってゆく。
サニーにとっては全てが新しい。左右の建物はどれも3階建て以上で、石造り。Wikipediaで見た中世ヨーロッパの街並みに似ているが、錬金術の存在のせいか、道は清潔で、大屋敷では透明ガラスも珍しくない。当然、人工衛星時代の街並みとも違うはずだ。
それでも、とサニーは思う。
それでも人の活気は、前世と同じはずだと。物売りが声をからせて歩き、屋台では夏の果物が並んでいる。パンに甘味に、色々な匂いも好奇心を楽しませた。
(また屋台! あ、楽器も鳴らしてます!? え、あれ、クレーン!? この時代、足踏みで動かしてるんですね!)
口を押えているのは、叫んでしまいそうだからだ。
許されるなら、今からでも馬車を跳び下りて、街中を自分の足で巡ってみたい。
魔法を使っている人もいないかと探せば、ローブ姿が空中に光を出している。
――さぁ、ご覧あれ! 降る星の物語!
空中で小さな火花が散ると、観客は拍手を送った。
「新米の錬金術師だな」
と、アルバート。
「あのように、人に見せて魔法を修行する者もいる」
「上手なんですか?」
「まずまずだな」
そんな折、ベアトリスが小さく呟く。
「降る星、ね……」
サニーが首を傾げると、令嬢は首を振った。
「なんでもない! さぁ、錬金術
馬車を降りると、大きな建造物に圧倒される。
錬金術
入口の横に『商業ギルド』、『錬金術ギルド』ほかいくつかの表札が並んでいる。なんとなく、『合同庁舎』という言葉が浮かんだ。
(ギルドは、錬金術師や、商人のような、同業者が集まる組合――というものですよね)
最も大きいのは、やはり商人達が属する『商業ギルド』らしい。契約を保証し、かつては王や教会にも対抗したという。
『特許』も、もともとはこの商業ギルドの仕組みだったが、発明は色々な組合で生まれる。ガラス職人でも、パン職人でも、製法に改良があるのは同じだろう。
そのため、各組合がバラバラに持っていた発明者の権利保護の仕組みは、商業ギルドを中心に統合、整理。特にきっかけになったのは、150年前に『錬金術』が発展し始め、今までにない製品が生み出されるようになってからとか。
「色々なギルドが、ここに……」
宇宙を飛んでいた自分が、二本足で立って、技術者たちの庁舎を見上げている。
なんだか不思議な気持ちだ。
アルバートが教えてくれる。
「特許を始め、ギルド間で調整することも多い。錬金術ギルドは、魔法を使える者が限られているゆえ、規模はそこまで大きくない。間借りした方が都合がいいのだ」
いざ中に入ると、ざわめきがまたもサニーを圧倒した。
壁際の掲示板に、商人をはじめ、さまざまな人が集まっている。奥にはカウンターがあって、こちらにもやはり相談者の長い列ができていた。
子爵領よりもみんなずっと足早で、サニーは何度もぶつかりそうになる。方向指示器がいるんじゃないか。
「錬金術ギルドは――」
「あちらですわね」
奥に、ぽつんと看板だけ出ていた。試験管とガラス棒らしき印章が、表札のように掲げられている。
壁際には掲示板もあり、よくよく見ると、論文が貼りだされていた。
(あ、なるほど。アルバート様の論文は、こうして読まれているのですね)
驚いたのは、集まった大勢に読まれている論文が、まさにアルバートのものであったこと。どこか得意げに、美形の錬金術師は腕を組む。
「注目度が高い論文は、写本されて他の支部にも回覧される。おそらく私達の『気圧』にまつわる論文は、すでに相当な数が写されているはずだ」
「はぁ~!」
目をキラキラさせるサニー。
周りの人らが怪訝に見始めたので、アルバート達は慌てて中に入った。彼らもまさか、論文の著者と助手、それに名高い事業家がここにいたとは気づくまい。
「ここからは、気を引き締めて」
ベアトリスが手袋を直しながら、囁いた。彼女の護衛から、アルバートは気圧計――製品名『
「わたくしの情報では、ここのギルドは『保守的』と聞いています。まずは様子見のつもりで、何を言われても動じないように」
サニーは無言で頷き、街での高揚を鎮めた。気圧計がお役に立てるかどうかは、今日の結果次第だ。
若様が最初に入室する。
「失礼。先だって、相談の文を送っていたアルバート・クラインだが……」
「お待ちしておりました」
女性が、アルバート達を奥へ案内する。
別室で待っていた2人の特許担当官は、どちらも男性。片方が錬金術ギルドの関係者、もう1人が商業ギルドの関係者らしい。
特許の審査は、錬金術ギルド、商業ギルド、合同で行うようだ。これは商業ギルドを中心に発展した制度だから、だろう。
錬金術ギルドの担当官は線の細い若者で、一方、商業ギルドの方はかなり大きな……いうなれば太った年配の男だった。
彼らは女性が2人いることに面食らったようだが、片方が名高い『事業家』と聞いて、態度を改める。
入室、着席。
基本的に、説明はアルバートが行う。論文で『気圧』について開示はしてあったので、錬金術ギルドの担当官は要件をすんなり理解した。
「これはすごい……」
と、『晴雨計』の実物に感嘆したほど。
「確かに、天気が悪くなる前兆として、『船』にはこの器具が必要かもしれませんな。数時間先の、予想、いや、予測というべきでしょうか……」
サニーは、アルバートと視線を交わす。
「わたし達は、予報といいます」
若い担当官は、目を瞬かせた。
「予報、なるほど……天気の予報ですか」
一方で、商業ギルドの担当官はでっぷりした顎を揺らす。
「いけませんな」
アルバートが問うた。
「というと?」
「『気圧』について、どうも私はしっくりきていない。『大気圧』とやらは、本当に存在しているのですかなぁ?」
その担当官は顎をなでた。
「確か……この街にも、妙な警告が来ていたとか? 『嵐が来るから馬車を出すな』と」
心臓が跳ねた。サニー達が送っていた、嵐への警告である。
「大げさだと、一部で笑われたものです」
若い方の担当官は、真っ青な顔。一方、商業ギルドの男は譲らなかった。
「確かに嵐は来た。しかし、まだ偶然と考える人も多い。要は信じられていないんですよ、現状で商品化に耐えうるとは思えない。特許は『使われるもの』に出すもので、ハッキリ需要がなければムダですよ?」
薄ら笑いが、錐のようにサニーの心に刺さる。
怪我をした人も出たというのに、それを笑うのも怖かった。この人は、嵐の時に街道で助けを待ったことがあるのだろうか。
(信じ、られてない……)
ぐっと胸に力を込めつつ、こらえる。
人になってから四か月が経ち、子爵領で色々な仕事をして、人を知った。『周波数』が合ってすぐ話せる人もいれば、そうでない人もいる。
サニーは、思いが言葉としてまとまるまで、そして聞いてもらえるタイミングになるまで、待つことを選んだ。
若様が口を開く。
「仮に新たな理論でも、応用発明まで繋げてあれば、受理の先例は多くあったはず」
「だから『誰も使わない』って言ってるんですよ」
「ふむ――」
アルバートの微妙な間で、サニーは『助手』として意見を求められていると悟る。
「こ、根拠もお出しできます。論文も、子爵領での観測データも、遠隔地での検証も。確かに、最初は信じてもらえないかもしれないですが……前例がないからで、前例がないからこそ特許になるのでは」
「……っ!? だが、商品としては話になりませんなぁ」
錬金術ギルドの担当者は目を伏せ、ベアトリスは微苦笑を浮かべた。『保守的』の意味がやっとわかる。商業ギルドという立場のせいか、前世の特許より商業性が重んじられている気もした。
アルバートが小さく頷く。
「礼を言います」
子爵令息は不意に立ち、とても紳士的に一礼した。美形なので、所作だけで場を制してしまう。
商業ギルドの担当者は、呆けた顔になっていた。
「今のご発言は、こういうことでしょう。人が大気圧を信じれば……つまり気圧計での嵐警報に需要が生じれば、特許に相応しい、と」
アルバートはすらすらと理屈を積み上げる。
「人が大気圧を信じると、証明できればよい――でしょう? お気に召していただけるよう、努力します」
サニー達は、一回目の相談を後にする。
収穫はゼロだが、ベアトリスとアルバート、2人の足取りは軽かった。
「普通だな」
「そうですわね。あれが普通です」
端的に告げる2人の錬金術師。
「……フツウ?」
「やや手厳しいが、想定内だ。錬金術師は、魔法で色々な物体を作れる。動作する気圧計を見せられてもトリックがないとも言い切れんし、信じない担当官もいるだろう」
サニーはすぐに問うた。
「どう、するんです?」
まただ、とサニーは思う。この人といると、時たまに知らない気持ちになる。
入口をくぐり、みんなで陽を浴びた。
「私は技術者だ。当然、実験をしてみせる。ベアトリス、錬金術
若様は、シンプルな対応を口にした。
「公開実験を行う」
この街に、『気圧』を信じさせる――その決意に、サニーは胸が高鳴った。
技術者は、サニー1を宙へ上げた人たちはとても強いのだと。
「もう、同じ失敗はしない……」
熱を帯びた呟きが、かすかに、でも確かに聞こえた。
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