3-4:発明と特許


 午後の陽が差し込む実験室アトリエで、ベアトリスは問い返した。


晴雨計せいうけい?」


 サニーは座ったまま、人差し指を立てる。


「気圧計の一種で、特に低気圧の接近を察知するためのものです。天気予報と違って、明日の天気ではなく、鐘一つか二つくらい先の『雨』や『嵐』が知れるだけですけど……」


 実際に嵐を経験したサニーには、わかる。

 それは大事なことなのだと。


 子爵領では今日明日の天気を掲示して、旅人の予定立てに供している。逆に言えば、1日以上未来のことでなければ活用してもらえないと、サニーは考えていた。前世の台風情報は1週間以上の長期予報で、サニーも同じ能力を目指したのである。


 しかし、船は事情が違う。

 海上では、嵐の危険度は上がる。しかも帆船は馬車よりも速く、低気圧もまた時速30キロ程度で進む。要は、陸地よりも早く嵐との距離が縮まるのだ。

 船乗りには長期予報より、数時間後の時化が大事となる。ベアトリスの望みは、いわば船用の『暴風警報装置』だ。


(そういうニーズがあるって、考えても、いませんでした……)


 サニーは、気象衛星がある世界の常識に囚われていた。同じことが――長期予報ができなければ、お役に立てないと。


(気圧の変化で、嵐を察知するだけなら、今の気圧計だけでやれます! 天気予報も、広まりますし……!)


 アルバートと並んで座りながら、サニーはぎゅっと手を握る。


「さいっこうっ!」


 突如、ベアトリスが叫んだ。紫の目をキラキラさせて、サニーの両手を握る。


「……え?」

「欲しかったものが、もう考えてあるなんて! あなた、なんて発想力! ああアルバート、この子、わたくしに下さらないっ?」


 離さないとばかりに、サニーの右手をブンブン振る。

 アルバートは冷めた目で言った。


「急に話が進んでいないか? 船? 侯爵家は、新たな事業をお始めに?」


 ベアトリスはすとんと椅子に座り直して、肩をすくめる。


「ええ。型落ちの商船が、手ごろな価格で手に入りそうですの」


 もちろん『船』というからには、相当な値段だろう。リタやアルバートから事前に聞いていたが、かなり儲けているらしい。


「お二人が揃ったところで、改めてわたくしの紹介をさせてくださらない? わたくしは、ベアトリス・フローレンス。これでも王立学会の錬金術師」


 ベアトリスは胸に手を当てた。


「といっても、研究もしつつ、錬金術で事業もしておりますの。一番は、やはりコレ」


 得意げに蜂蜜色の縦ロールをかき上げる。ふわりと甘い匂いがした。


「錬金術で調合した、高級洗髪料」


 あ、とサニーは思う。

 つまり『シャンプー』だ。なるほど、ベアトリスの縦ロールは美容だけでなく、商品の宣伝も兼ねているらしい。異世界で、現代のような上質なシャンプーを生み出せたら――確かに、きっと飛ぶように売れる。


「錬金術師に、女性は少ない。ペンダントやブローチ用の素材を錬金術で作ることはあっても、男性は化粧品に無頓着。なら貴族向けの美容に、チャンスがあると思ったのです」


 また髪をかき上げるベアトリス。


「貴族同士の縁で、船がお安く手に入りそうでして、フローレンス侯爵家と合同で貿易を。そろそろ工房も大きくなってきましたし、石鹼やシャンプーを輸出して、帰り荷で小麦や塩、木炭を運べば領地も潤います」


 堂々と語るベアトリスは、サニーが初めて見る人種だった。素材屋は商人だったが、彼女はより大きな資金を動かす経営者といえる。


「ただ」


 ベアトリスは、目を伏せた。


「船となれば、従業員の危険も上がりますわ。船乗りの方も、危険は承知でしょうけれど、だからこそ――雇用主として対策をしたいの」

「確かに、陸路よりは危険になるな。近海でも、嵐による座礁や難破はある」

「事業として、積荷の損失もリスクですわ。だから――」


 美女は片目を閉じる。


「天才錬金術師と、お天気令嬢の力を借りたいと思ったのです。論文も、観測器具も拝見しました。船を嵐から守る器具――作れませんこと?」


 サニーと錬金術師は、目線を交わしあった。自信満々で頷くサニーに、アルバートは場を譲ってくれる。


「それなら、やはり晴雨計せいうけいがいいと思います。原理は気圧計そのものなのですが、気圧の急降下から、嵐の接近を探知します」

「気圧――論文は、わたしくも読みましたわ」

「帆船の場合、帆に風を受けます。でも風には2種類あって、1つは高気圧が地上に空気を押し付けることで発生する風。もう1つは、雨を呼ぶ低気圧が空気を吸い寄せる風」


 前者を受けて船が進んでいるなら、問題ない。しかし後者、低気圧の風で進んでいるなら注意が必要だ。低気圧の中心には風が集まる。つまり、船が嵐に引き寄せられているのだ。


「気圧計を船に乗せ、気圧を計れば、船が『高気圧の風』か『低気圧の風』か、どちらの力で進んでいるかわかります。『低気圧の風』だった場合、嵐に引き寄せられています」


 アルバートが囁く。


「確かかね」

「実証試験は必要ですけど、サニーの世界でもそう使われたのです」


 そのため、17世紀頃の帆船には気圧計が積まれた。先行指標を気圧計と同じ『バロメーター』と呼ぶのは、気圧で嵐を探知していた頃の名残である。

 サニーが観測した限りでも、領地の百葉箱、そこに納められた気圧計は十分に雨予報の役割を果たしていた。


「気圧計を、小型化して、頑丈にして、船に乗せやすくすれば、十分に『警報装置』になるでしょう。気圧の変化が、警報です」

「――ふっふーん、なるほど? 儲かりそうですわね」


 ぼそっと呟くベアトリス。

 サニーは目を瞬かせ、アルバートはエメラルドの目を細めた。


「もし晴雨計が船舶に普及しそうなら、大々的に売り出すつもりだろう」

「それはもう。世の役にたつうえ、儲かるとなったら、やらない理由はありませんわ」


 厚めの唇で笑う。


「ですから、2人に会いたかったのです。もし晴雨計が実現しそうなら、設計から、生産工房、販路まで全てわたくしが手配します。ですから、協力してもらえませんこと? 一緒に大儲けしましょうよっ」


 ええっと、とサニーは視線を逸らす。話の行き先が妙だ。


(……観測器具が、色々なところに普及するのは、大歓迎なんですけど……)


 なにかのセンサーが異常を検知している。『この人を丸々信用するのはよくないぞ』、と。

 アルバートは銀髪をくしゃりと掴んだ。


「独占か」

「……ドクセン?」

「候爵令嬢ベアトリスは、晴雨計の生産と販売を押さえる――自分のところでしか作れなくするつもりだ」

「別にいいでしょう? 普及に協力するのですもの!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」


 サニーは慌てて割って入る。目をぎゅっと閉じて、両こめかみの金髪を人差し指で押さえた。


「それだと……ベアトリスさんを通さないと、誰も晴雨計を買えないってことになりません?」

「商売とはそういうものです。粗雑な偽物が出るより、ずっとマシではなくて? 逆に類似品が出回ったら、あっという間に利益が出なくなってしまいますもの」


 うーん、とサニーは腕を組んでしまう。

 まさに典型的な独占だが……異世界では、そうしないと利益を守れないのかもしれない。


「ベアトリス、あなたの利益も尊重するが、我々にも思いはある。気圧計を含めて、温度計、湿度計といった観測器具を普及させたい」

「でも、わたくしが関わればその普及速度は増しますわよ?」

「そちらは侯爵家でもある。資金もあるし、ゆくゆくは気圧計の顧客や、ノウハウ全体を囲い込むだろう」

「それも商いです」


 飛んでゆく言葉と、言葉。

 サニーはどうしていいかわからなかったが、1つだけ確かなことがある。


「お天気は、大勢に関わるものです。みんなで使えたほうが、サニーはいいと思います」


 儲けたいわけじゃなくて、お役に立ちたいのだ。それが周波数のずれた考えなのかは、分からないけれど。


「あら、お天気令嬢。それとも、これ以上に普及させる代案がありまして? 世に出なければ、どんな素晴らしいものも、無意味なのよ? 今のままでさらに広まったら、粗雑な偽物が出るかもね」

「そうだな」


 アルバートは手で令嬢を制す。その時、若様は初めて見る顔を――『かかったな』とでも言いたげな、少し悪い顔をしていた。


「普及に代案はある。『特許』だ」


 ベアトリスは目を鋭くした。


「……へえ?」

「錬金術ギルド、商業ギルドの特許に登録されれば、発明者の権利は保護され、一方で技術は公開される」


 サニーは若様を見つめる。力強い頷きは、彼がこの展開をある程度読んでいたことを示していた。


「気象については、私と……サニーの夢だ」


 胸が温かくなる。二人の夢と言ってもらえたことが、サニーには嬉しかった。


「提案に感謝する。しかし、多くの人に技術に触れ、改良に参加してほしい。そのためには、特定の工房が流通を独占するのはやはり避けたい」


 もちろん、特許の発行には時間がかかる。ただし出願しておけば、技術もノウハウも追って公開されるので、特定工房にだけ技術が囲い込まれるのは避けられるという。

 侯爵家の事業でもあり、なんらかの形で『公開』という形にしておかないと、研究者が尻込みするという配慮もあるようだ。

 特許の仕組みも、サニーがいた前世とほとんど同じである。


「……アルバート、あなたが気圧計の基本原理の特許、わたくしと工房は別のノウハウの特許……ということ?」

「気象観測については、論文で多くの錬金術師が議論し、参入できる状態にしておきたい」


 ベアトリスが事業を牛耳ってしまう――言葉は悪いが――リスクを減らしつつ、彼女も特許の一部に絡むので、利益も保護される。ただし、ノウハウは公開されるので、後発の研鑽も邪魔しない。

 特許とは、発明の『利益保護』と『公開』がセットになった仕組みなのだ。

 中世最後期、ルネサンス時代に生まれた仕組みが、異世界でも整備されていたのは、僥倖だっただろう。


 特許を取得しつつも、無償利用させることも可能であるようだ(QRコードが同じ仕組みで普及している)。液体金属で気圧を計る原理と、船舶用に転用する部品で、特許を別にし、前者を無償にすればよい。

 ベアトリスは、唇を尖らせた。


「――か、考えましたわね」

「気圧計に最初に目をつけるのは、あなただと思っていたよ」


 肩をすくめるアルバート。


「実を言えば、助かった面もある。特許は、実験器具には取得できない。なんらかの形で実用――製品としなければならないが、事業化の後押しをしてくれるなら、目途が立つ」


 錬金術師はふと気づいた顔をする。


「……なるほど。だから素材屋は、彼女に伝えたのか……?」


 ベアトリスは縦ロールを指に巻き付けていた。


「ふん! ま、いいですわ。人助けを邪魔してまで儲けては、家の名がすたりますもの」


 でも、と紫色の瞳で、強気な微笑み。


「全てはあなたが出願できないと事業が始まりませんわ」

「望むところだ。小型化に、説得用の実験器具だろう? 器具作成は、これでも得意だ」


 二人は勝手知ったる仲らしく、きゃいきゃい言い合っている。

 なぜかサニーは、胸がちくりとした。


「アルバート、では都のギルドに行く必要がありますわね?」

「私も準備を進めよう。1月後でどうか」

「遅い、1週間後! 最初は事前相談でしょう?」

「極端だな。書類の準備も、見せるための試作もいる。3週間だ」

「2週間! わたくし、嵐の修繕も護衛とお手伝いしましてよ!?」

義父上ちちうえからは後で請求が来たと聞いているぞっ?」


 むうとベアトリスが歩いたとき、風が起こって、実験室アトリエの机から一枚の紙がこぼれ落ちる。

 紙質からして、若様が普段描いているスケッチだ。


「あら、これは――」

「!」


 アルバートの顔が赤くなり、ベアトリスが反対ににんまりする。


「へぇ~。ふ~ん、ほぉーっ? あなた、助手さんにはこういう気持ちでしたのね?」


 とびっきりのオモチャを見つけた顔で、ベアトリスはアルバートに振り返った。


「ねぇ、サニーさん。彼ねぇ、こんなのを描いて――」

「わかった2週間後、街へゆこう」

「え!?」


 あまりにあっさり折れてサニーは目を瞬かせた。


 とはいえ次の目標は決まる。

 次は作った計器の一つ――気圧計を、船舶に載せる事業化だ。

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