第7話

 取引は完了した。俺は裏手に連れてこられて、奴と久々の面会を果たした。


「驚いたな。ドイツ人なら誰でもいいと思って来てみたら、まさかお前が売られているとは」


 奴は俺の顔を見て、くつくつと笑った。目尻の上がり方、髪の揺れ方。昔と何も変わってない。


「生きて、いたのか」

「ああ、何とかな。お前も相当、数奇な運命を辿ったな」


 奴は俺に断りを入れて、美味そうに煙草を吸い始める。白い煙が風に色をつけ、奥の方へと流れていった。


「だが、これも運命だ。またよろしくな、相棒」


 他愛のない、世間話。だが、何故だか少し、胸騒ぎがする。

 奴は暑いだろうに、真っ黒なロングコートを羽織り、丈の長いブーツを履いている。嫌でも、想起させるものがある。


 だから俺は、こう尋ねた。

 

「……なぁ、お前は今、何をしてるんだ?」

「はは、見れば分かるだろう」


 奴は煙草から口を離した。そして、俺が一番聞きたくなかった、答えを返した。


「Nazisの残党だよ」


 ──金槌で頭を殴られたような、衝撃を感じた。


 何でだよ。Nazisの時代は終わっただろ。縋り付くようなもんじゃないし、崇めるようなもんでもない。あの戦争で、痛いほど自覚したはずだろ!


 思わず言葉をぶつけたくなったが、咄嗟に喉がきゅうと詰まった。奴は薄ら笑いを浮かべていたが、目だけは全く笑っていなかった。


「……お前はまだ、戦争がしたいのか」

「したいのではない。せざるを得ないのだ、場合によってはな。思想と思想のぶつかり合いなのだから」


 奴は首を傾げる。その時に、見えてしまった。

 首筋に、小さなHakenkreuzが彫られている。コートの襟に隠れる位置だったが、確かに存在を主張していた。

 何故だ。何故、そうなったんだ。


「お前とて、忘れた訳ではないだろう? 敗者の嘆きを。祖国の涙を。それを継ぐのが、俺たちの役目なんだよ」

 

 違う。目を覚ませ。それは偽善なんだよ。

 

「思い出せ。あの日本兵の声を。少女の言葉を。彼らはお前に何と言った? それに応える時が来たんだ」


 止めろ。頭が痛い。それ以上喋るな。


 思わず顔を背けると、奴は一つ、ため息をつく。そして何の躊躇いもなく、俺に銃口を突きつけた。その黒々しいボディにも、ケルト十字が刻まれている。


「いいか。俺はお前を買ったんだ。ここを墓場にしたくないのなら、大人しく言うことを聞け」


 ──ああ、亡霊だ、と俺は思った。俺たちは亡き魂に、そして生きた理由に囚われている。だから戦争が止められない。


 頭では分かっている。戦争を始めたのは俺じゃない。だから、コイツに謝るのも、俺の仕事じゃない。

 だが、後悔はしていた。俺があの時、敵を撃ち殺していたら。コイツは純粋なままでいられたのかもしれない。瞳を輝かせて、世界を見つめていられたのかもしれない。

 ……だから俺は、コイツの姿をずっと、夢に見ていたのかもしれない。


「さあ、来い」


 奴は手を差し伸べた。黒いグローブの先に、白い肌が見える。

 その薄さが。鼓動が。コイツと俺を繋ぐ、僅かなよすがだった。

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