誓いの十字

豆ははこ

誓いの傷

「すてき……」

 幼い頃、竜を見た。

 日の光を浴びて飛ぶ、金色の姿。

 この思い出は、私だけのもの。

 だから、竜が頻繁に目撃されるという地区への調査団の医師募集に志願をした。

 

 王国からの依頼。


 女性には危険。

 若い医師が行くことはない。

 代わると申し出てくれた医師もいた。


「親もなにもおりませぬ私が行くのが道理です」

 皆がすまない、という表情をしてくれた。


 親を切望した頃の子どもではないし、孤児院の皆は大切な家族。

 むしろ、今では親や兄弟がいるからこその悩みや問題があることも知っている。


 国の皆の財で成り立つ孤児院で育ち、孤児のための奨学金で医師学院まで通わせてもらい、医師として働けている。

 王国への恩返しくらいは。

 ただ、竜に会えるかも、と思っていなかったとは言わない。



 実際は、竜の目撃情報は数件であったが、医師が常駐していない近隣の村々の人たちに感謝して頂けたことは喜びであった。

 任務が終わったら、王国に医師の常駐をお願いしないと。


 私はそれなりに喜びを感じていた。

「貴方のように素敵な女性には初めてお会いした」

 この方の存在以外は。


 金色の髪も、何もかもが絵本の中の王子様のように美しいこの方は、王宮騎士団の魔法隊の騎士殿だ。

 王宮騎士団。王国に勤める者からしたら、雲の上的な方。しかも、たいへんお美しい。


 なのに。

 竜の放った風からこの方を庇った私の医師室に、ほぼ毎日、こうしていらっしゃる。


 そもそも、正気なのだろうか、この方は。

 ……もしかしたら。

「騎士様。お怪我はないようですが、頭を打たれましたか? でしたら、なるべくお静かに。魔法医師を呼びます」

 なぜ、この可能性を考えなかったのか。


 見た目には外傷が少ない、魔法による怪我をした人。

 ならば、魔法医師のほうが。

 私は、あくまでも医師。通常の怪我や病気に強い。


「頭を打ってはおりません。ですが、胸が痛むのです」

「心の臓が? まさか、ご病気を? 薬はございますか」

 医師として恥ずかしい。

「大丈夫です。それよりも貴方の額に傷が。治癒魔法を」

 この方は、治癒魔法を使われる魔法隊の騎士でいらしたのか。

 今回は、医師、魔法医師、そして騎士団の調査隊であられる魔法隊が王都から遣わされている。


「額に傷」

 手を消毒してから額に触れる。

 確かに、十字の傷らしきものがある。だが、血も止まっているし、患者に怖がられてしまわないように、前髪で隠せば問題はない。

 貴重な治癒魔法使役者殿の魔力を必要以上に使わせるなど、医師としてもってのほかだ。


「竜の風から僕を庇ってくださった貴方に、治癒魔法を掛けさせて頂きたいのです」


 ああ、そうだ。

 思い出した。

 この方は、竜を前にしてもひるまずにいらした。

 そして、嬉しそうに見えた巨大な竜。

 その羽が起こした風に飛ばされそうになったこの方を、たまたま見かけた私が助けようと近くに寄ったのだ。


「僕は、大丈夫でしたのに、貴方は、僕を庇おうとなされた。嬉しかった。僕の外見を好む人はたくさんいました。でも、貴方は僕が飛ばされそうになることだけを気にしていた」

 

 風は、かなりの強さで。

 この方も、私も、飛ばされた。

 そうだ。なぜ、この程度の傷で済んだのだろう。


「詫びていました。咄嗟のことで風の傷を、と。あの竜は、幼馴染みで、僕が元気であることを確認したかっただけなのです。目撃情報で、魔法隊の僕が調査に来るだろうと。だから、僕のせいなのです。僕には彼の風や魔法は効きませんから、人としては近い位置にりすぎました。ですから、貴方が僕を庇うことになってしまった」


「彼。あの竜様は男性なのですか」

「僕もですよ」

 すると、王子様のように美しい騎士殿は、美しい金色の竜になられた。

 人の大きさではあるが、立派な竜だ。


『驚いては頂けないのですね』

 これは、念話。

 拗ねておられるように、騎士殿……竜様は言われた。

「驚いていますよ。ただ、日の光に溶けるような、そのお姿。懐かしい」


『修業のために竜が人の国に行くことはございます。竜は竜の姿を誇りに思いますので、自らの姿は人の姿を模すのです。見た姿、想像の姿、絵姿など。僕は、絵本の王子を模してしまいましたので、たいへんでした』

「確かに、竜様の、人のお姿は美しかったです。さぞや人気でしたでしょう。でも」

 私は、伝えた。

「竜のお姿も素敵でいらっしゃいます。いえ、むしろこちらの方がお美しいくらい」


『嬉しいです。貴方の傷も、美しい。実は……十字架のようだと思っておりました』

 驚いた。でも、嬉しかった。


『治癒ではなく、竜の魔力で、貴方の傷を隠させて頂いてもよろしいですか。僕と、貴方にしか見えないように。誓いの十字の傷です。修業の国をこの国と決めましたのは、きらきらとした目で僕を見てくれた方に、また会いたかったから』

「私も、竜様貴方にもう一度、お会いしたかった」


『これからは、ずっと一緒です』


 竜様の爪が、額の傷に、優しく触れた。


 十字架誓いの傷は、見えなくなった。


 そう、私たち以外には。

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