第1話 『異形』――1

『陰陽特区』内、居住区。


 雑居ビルに挟まれた路地は薄暗く、陽の光は届かない。

 放置されたゴミの生臭さと湿度を持った埃臭さに包まれた路地に、二人の子分を引き連れたヤクザが立っていた。


「よぉあんちゃん。約束のモノは持って来ただろうな?」

 日焼けした顔のヤクザがニマニマと笑いながら目の前の青年に訊ねた。

 柄物のシャツにこの辺では手に入らないようなブランド物のスラックスにベルトとサングラス。黒い髪はきっちりとオールバックに整えられ、露わになった腕の傷を見せつけるようにポケットに手を突っ込んでいた。


「あぁ。そっちこそ、約束は違えていないだろうな」


 ヤクザたちが対するのは、新品の、しかし安物のスーツを着た二人の青年だった。

 堂々たる面持ちでヤクザの言葉に応じる青年が、背後に控えるもう一人の青年を振り返り視線で合図を送る。

 しかし背後の青年は大きなスーツケースの持ち手を抱えたまま狼狽していた。


「ほ……本気でヤツらと取引する気ですか」

 訊ねる声は震えていた。しかし訊ねられた青年は小さく舌打ちをして、その手からスーツケースをひったくった。

「腰抜けが。俺たちが生き残るにはこうするしかないんだ」

「っ……はい」

 吐き捨てられた言葉に、青年が肩を縮める。

「お前が前線で『異形』と戦えるのは、お前の先輩たちがこうして反社共と取引していたからだぞ」


 青年がスーツケースをヤクザに突き出す。にやけ面を見せながらサングラスのヤクザがスーツケースを受け取った。

「倉庫番を懐柔するのに手を焼いたぞ。お前たちの要求通り、拳銃と銃弾だ」

「へっ、助かるねぇ」


 スーツケースの中身を確認し、ヤクザが子分に「おい」と指示する。子分が彼らに渡したのは、アタッシュケースだ。

「壁の中の民間人を――次いでに壁の外側にへばりつく俺らみたいな反社ゴミも守ってくださる『神域しんいき祓魔ふつま軍』の軍人様だ。必要なものは何だって渡してやるぜ。まぁもちろん、タダでとは言わないがな」


 青年が受け取ったアタッシュケースの中身を確認すると、袋に入った白い粉がぎっしりと入っていた。

 違法薬物。いくら『壁の外』が無法と呼ばれようとも、これが何者からも咎められない訳がない。

 ここらを牛耳るヤクザと、『神域祓魔軍』の下士官による裏取引。

 当然、そんなものが許されるはずもない――が、


「あぁ、そうだ。シラフであんなバケモノと戦うなんて、無謀なんだよ」

 スーツの青年は、袋を一つ持ち上げてそう吐き捨てた。

 戦いの恐怖を薬物で紛らわせる。その手法は、人道的とは言えないが人類が戦で用いた戦法の一つだ。


「……っ」

 背後で腕を抱える『神域祓魔軍』の青年もまた、このクスリの常用者だった。

 後ろめたさは感じている。だが、こうでもしないとまともに戦えない。『神域祓魔軍』が相手にする『異災』は、それだけの狂気を孕んだ脅威だった。


「帰るぞ」

 部下にアタッシュケースを押し付け、『神域祓魔軍』の青年が踵を返す。

 自分は今、軍規違反の行いをしている。バレたらただでは済まないのは明白だ。

 だが――今はこうするしかないわけで――――


「――え?」

 青年が受け取ったアタッシュケースが突如、解体された。

 部品が外れたとかではない。アルミでできたアタッシュケースが、カッターナイフで解体された発泡スチロールのようにバラバラになったのだ。


 直後、目の前に黒い人影が降って来た。


「うわっ!?」

 恐らく隣のビルから飛び降りてきたのだろう。突如現れたその人物に、思わず青年は声を上げて尻餅をついた。

 黒いスーツに黒いネクタイ。左の腰からは刀の鞘が提げられている。


 ヤクザの子分たちも素っ頓狂な声を上げて後ずさりした。

 が、その中でただ二人、『神域祓魔軍』の上司の青年とヤクザの親分だけは動揺することなくその人物を見ていた。


「そのタグ、アンタ『干渉者』か」

 ちゃり、と胸元で揺れるドッグタグに目をやり、ヤクザが口の端を吊り上げて笑う。一方で『神域祓魔軍』の青年は振り返ると怪訝そうに目を細めて舌打ちする。

しい崇耶たかや。アンタか」


 崇耶と呼ばれた男が立ちあがる。右手に握った刀を鞘に納めると、『神域祓魔軍』の青年の元へ歩み寄った。

 その表情は、緊張の糸が張り詰めた路地裏の空気とは裏腹に、朗らかな笑顔だった。


「わざわざフルネーム呼びとか堅苦しいなぁ実長さねなが

 崇耶は気安く実長と呼ばれたその青年の肩を叩く。

「もうお前は『神域祓魔軍』の人間じゃないだろう。部外者なら部外者らしい礼儀で接するのがマナーじゃないのか」

「礼儀とかマナーとか感じられない喋り方すぎない?」

 けらりと笑う崇耶に、実長が肩に置かれた手を振り払った。

「……まぁ、本当にお前がヤクザと取引してただなんて、目の前で見たってのに信じられねぇよ」


 何やらこの二人は旧知の仲らしい。

 この隙にずらかろうと、ヤクザとその子分は逃げの態勢を取ろうとした――が、そうはいかなかった。


「はぁいお兄さんたち。こっちは通行止めだよ」

 年相応に元気な少女の声。

 ショッキングピンクのインナーカラーにウェーブしたブラウンの長い髪。黒のキャップに白いパーカーワンピから伸びる足は程よく筋肉が付いて健康的であった。

 パーカーワンピの上から袖を通したスーベニールジャケットのポケットに手を突っ込み、整った顔立ちで不敵に笑っている。


「んだこのガキ……!!」

 子分の一人がナイフを取り出し、少女へ斬りかかろうか腕を振り上げる――が、直後に子分は悲鳴を上げる。


「い゛っ、痛ぇぇぇぇ!!!!」

 ナイフを握った右手の甲に釘が突き刺さっていた。

 もう一人の子分は見ていた。ビルの壁に刺さっていた釘が突然抜け、それが子分の右手に刺さったのだ。

 誰も釘に触れてなどいない。だというのに、釘は一人でに浮いて動いた。

「ま、まさか……お前も『干渉者』なのか……?」

「ご名答~」


 少女は上着のポケットから一枚の名刺を取り出した。

「ウチは『便利屋「椎」』の社長、しい陽鞠ひまり。人探しから身辺警護、張り込みに、条件が合えば殺しだってやっちゃう『何でも屋』で~す。あ、そっちの崇耶はウチの従兄弟で社員ね」

 はいこれ連絡先、と、右手を負傷した子分に名刺を手渡そうとした。


「こんなところでも営業とは仕事熱心だなぁお嬢ちゃん」

 ヤクザが陽鞠に歩み寄り、その手に持った名刺をひったくった。

「俺たちのシマで好き勝手やってるって噂のガキ共はお前らか?」

 それまでの笑みを消し、冷たい声で陽鞠を見下ろした。


「好き勝手だなんて恐縮ですぅ~ウチら、最近この辺に開業したばっかでまだシマとかよくわかってないんですよぉ~」

「陽鞠ぃ! ヤクザ相手に挑発すんのやめろ!!」

 さっきまで旧友を相手にしていた崇耶が飛んできて陽鞠を諫めた。


「すんませんお兄さん、うちの社長に言って聞かせますので……」

 愛嬌のある笑みで崇耶がヤクザに頭を下げる。が、ヤクザはその謝罪を受け入れることなく懐からナイフを取り出す。

「いやいや便利屋さん、いくらアンタらが子供だからってねぇ。商売やってるんなら未成年だろうと社会人なんだからさぁ、謝るだけで許されるのは学生のうちなんだぜ?」

 ナイフを突きつけ、ヤクザが崇耶にゆっくりと詰め寄った。

「ヤクザに盾突いたらどうなるか、しっかり社会勉強と行こうかねぇ」


 にんまりと笑みを浮かべたヤクザがナイフを振り上げた。

 が、そのナイフが振り下ろされることはなかった。


 路地裏の奥で、金切り声が響き渡った。

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2024年12月28日 16:00

異郷にて 佐倉ソラヲ @sakura_kombu

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