酒のみのサンタさん

広河長綺

酒のみのサンタさん

段々激しくなってくる降雪の中、森を歩くサンタさんは、山奥の小屋に帰宅したら玄関から即座に冷蔵庫へ直行する、と決めていました。


もちろん、お酒を飲むためです。


ただ、だらしない生活をしていても、本来はキレイ好きではあるので、靴から玄関に落ちた土はサッサっと箒で掃除してから、キッチンへ向かいました。


狭い山小屋の中の、狭い台所です。

カップラーメンを食べる時のお湯を沸かすためだけの汚れたコンロの奥の、グチャグチャに皿が放り込まれた食器棚の横に、冷蔵庫があります。


冷蔵庫の扉を開けると、缶チューハイが詰め込まれていて、そのうちの1つを飲み干しました。


「例年なら禁酒してる時期じゃないのか?何でお酒飲んでるんだ?」

サンタさんの背後から、突然、誰かが尋ねてきました。


揶揄うような、非難するようなしわがれた声。


サンタさんがゆっくり振り返ると、リビングにトナカイが立っていました。(玄関からわき目もふらずにお酒の元へいったせいで、気づかなかったのだろう。自分も年だな)と反省して、サンタさんは苦笑いしました。


確かに見逃すにしては、大きすぎるトナカイです。立派な角の横幅は1メートル近くあり、リビングの食卓より大きいです。足も長く、天井からぶら下がる裸電球に頭がぶつかりそうでした。


あまりにトナカイが大きいので、サンタさんにとって馴染みのある山小屋のリビングが普段より狭く見えた程です。


そして苦笑いを浮かべつつ、サンタさんは少し驚いてもいました。

トナカイが部屋の中にいて人間の言葉を喋ることに、ではありません。


サンタさんの相棒であり、空飛ぶソリを引っ張ってくれるトナカイたちは、普通のトナカイではなく魔力を帯びた動物であり、人の言葉も喋りますし、気に食わないことがあれば勝手に家に上がり込むこともあります。


でもそういった交流があるのは、当然のことながら、毎年のクリスマスシーズンです。


今はまだ11月。サンタの山小屋にトナカイが来る時期ではありません。クリスマス前のタイミングでトナカイが訪問してきたことに、サンタは驚いたのです。


「なんでこんな時期に来た?今はまだ山で草を食ってる時期だろ?」とサンタは尋ねました。本気で戸惑っていました。


「お前が、サンタを引退するんじゃないかと思って駆けつけたんだ」お前と言うタイミングで指をさすように、大きな角をサンタに向けて、トナカイは笑います。「もちろん根拠はないぞ。老トナカイの勘ってやつさ。そしたら案の定、お前はクリスマスが近づいてきたのに酒を飲んでる?なぜだ?」


サンタさんは答えに詰まりました。


老トナカイは知っているのです。


大酒飲みのサンタさんが、毎年11月から禁酒して、クリスマスのプレゼント配達に備えてきたことを。


他にもありとあらゆるサンタの生活や事情を、ベテランのトナカイは把握しています。

年をとり腰が痛くなってきたことも、最近歴史小説を読むことにハマっていることも、全てお見通しでした。


普段と違うところがあれば、目ざとく見つけて「どうしたのかい?サンタさんよ」と容赦なく、無遠慮に聞いてくるのです。


サンタさんの隠し事が、トナカイに対して成功したためしがありません。


きっと、今も、クリスマス前に酒を飲んでいるということはサンタさんが引退しようとしているな、と気づいています。


観念してサンタさんは、「もうオレは時代遅れなジジイになっちまったからだよ」と正直に告白しました。


「スマホとかかい?」


「ああそうだ」サンタさんは大きくうなずきます。「タブレットとかいう意味わからん板まで出てきやがった」


「でもお前は、サンタとして、わからないなりにタブレットをクリスマスプレゼントとして箱に入れて、ソリに乗せて運んだじゃないか。」


「それで対応できてると思うのは、お前がトナカイだからだ。それが正解なのかすら、オレには判断できない。なにせ今の子どもは小学校でタブレット配られて、それで授業してるんだぞ!そんなことも知らずにプレゼントにタブレットを配ったオレはバカだろ?」


「でも、時代が変わっても、子どもたちはみんなサンタさんが好きだ。それは変わらない」

そう言い放って老トナカイは、サンタさんをジッと見つめました。


穏やかな、それでいて、サンタさんの辞職を絶対に認めないという圧も宿した目。


サンタさんは、このトナカイを説得できる言葉を賢明に探しました。でもお酒のせいか、口が上手く動かなくて理由を一言も言えません。


一方のトナカイも静かに見つめ続けるだけで、何も言いません。


沈黙に耐えきれなくなり、サンタさんは顔を逸らしました。


この時何気なく玄関の方を視界に入れることになり、サンタさんは不自然さに気づきました。


それは玄関がキレイだったことです。さっき帰宅した時、サンタさんは、サッサッと箒を動かすだけで、玄関の土を片づけることができました。つまり玄関にあった土は、サンタの靴から落ちた土の量しかなかったのです。


どうしてトナカイから落ちた土が玄関に全くなかったのでしょう?

トナカイは森から、この小屋まで歩いてきたはずなのに。


「お前、…」

サンタさんが言葉に詰まってうまく質問できないでいると、老トナカイがあっけらかんと「そうさ。オレは、死んだ。老衰だ」と言いました。


「お前がサンタを辞めちまうんじゃないかっていうのが心残りでねぇ。わざわざ幽霊になってここまで来たんだ。感謝しろよ」老トナカイは静かに笑いました。


卑怯だ、とサンタさんは思いました。死んだ相棒からの頼みとなってしまうと、断ることなどできません。サンタ業からの引退が、出来なくなってしまいます。


そんな心すら老トナカイは分かっているようで「別にどうしても辞めたきゃ辞めればいいんだ。死んだトナカイに口出す権利はねぇ」と言ってくれました。

「でもよ」老トナカイは続けます。「お前だってもうそんな人生長くねぇだろ?どうせあと少しで死ぬなら、死ぬまでサンタやってやったぞって感じで死ぬのもイケてると思うぞ」


「あぁあとな、死んで良かったこともあったぞ。幽霊になったおかげで、普通の人間には見えない姿で、街の中に行くことができたんだ。そこで、サンタを楽しみにしてる子どもたちを見たんだ。さっき、いつの時代も子どもはサンタが好きって言ったのは、出まかせじゃないってわけだ」

そう言いながら老トナカイは、ゆっくりと、山小屋の出口へ向かって歩き始めました。


「おい」サンタさんは、思わず呼び止めましたが、自分でも何て言いたくて呼び止めたのかわかりません。ただ、どういうわけか、視界が涙で滲んでいました。


「じゃあな、相棒。死ぬまでサンタ続けてみろよ。そしたらブランクがないから、あの世でサンタをスムーズにできるぞ。その時は俺がソリを引く。先に行って待ってるぞ」

老トナカイはそう言い残して、いつの間にか姿を消しました。雪の結晶のように、静かに消えていたのです。


サンタさんは、数分間、呆然と立ち尽くしたあとで、洋服ダンスから赤と白のサンタ衣装を取り出し「クソがよ」と笑って呟きました。



外の雪はますます激しくなってきました。クリスマスが近づいてくる気配がしています。

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酒のみのサンタさん 広河長綺 @hirokawanagaki

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