第40話 村の掟とささやかな宴
マーサから知らされたり、イグニカが初めて言及したり、突然オーファルトが登場したりといったことがあって初めて知った「お前ら実はめちゃくちゃ怪しまれてたぞ」という話でちょっと凹み……。
さらに、人を雇う商店主になるということに改めて向き合うという重たい話があったが……。
まあそれはそれで、今やれることはもう済んだ! と無理やり結論づける。
そして、俺とイグニカは引き続き雑貨屋での買い物に取り組んでいた。
今、見ているのはチーズと乾物の棚だ。車輪のような形のものや、壷が並んでおり、そこからはちょっと独特な匂いがしている。
「チーズ、家にもあるけど。こっちで食べるチーズとは味が違うよなぁ……」
「主、主。酒場で出てくるオレンジ色のチーズを家でも食べられないでしょうか」
「んー? カボチャチーズのことー?」
「カボチャ? カボチャなんか入ってるのか?」
「違う違う。色がカボチャ色なだけ。旨味が強くていいんだよねえ。あれはねー、これかな」
どっこいしょ、という乙女らしからぬことを呟きながら、マーサはしまってあるチーズから一つを取り出してくる。
「酒場のエリーゼさんが置いてくれって言うから仕入れてるやつ。東の寒いとこで作ってるやつ。味が濃くて塩が強いのが特徴〜。あーしも好きだけど、どっちかというと、こっちの村のヤギチーズのほうが好きだなー。やわらかいしもちもちしてる」
そんな事を言いながら今度は手近なツボに手を突っ込んで、白い円盤のようなチーズを取り出してきた。
さらにマーサは話を続けながら、半月型に切られた抱えるほどのチーズをずるっと引き出してくる。
「あーとーはー。よく売れるのはこれかなー。こっちは中の色が薄め。こってりした味が売り。削って使うやつ」
「それ、前に試し切りに使ったチーズじゃないか?」
「そう? よく覚えてんね。 これは味付けによし、かじってよし、涼しいとこに置いとけば長持ちもする。大体の家に置いてあるんじゃないかな。やたら売れる」
「味付け……。乗せて焼いたり、振り掛けたりするだけじゃないのか」
「そういう風にも使うー。煮込みに入れてスープを美味しくするのとかねえ。キノコと合うんだ」
イグニカと俺に試食を渡しながら、自分の分もちゃっかり切り分けたマーサはチーズを齧りながらうんうんと頷く。
「主。全部買いましょう。全部」
「じゃあ、全部買うか……。この大きいやつは調味料に使うんなら多めのほうがいいかな」
「あいあい。毎度。ヤギのやつは水気多くて悪くなりやすいから早めに食べてね。白いカビは食べても大丈夫だけど、黒とか青のが生えたらダメだよ」
マーサは俺達が出した袋の中にチーズを切り分けてひょいひょいと入れてくれる。
半生だというヤギのチーズは木の皮で包んである。カマンベールチーズっぽいなと思うが、あれほど粉を吹いていない。
「そういえば、この村で肉類を買うときはどこに行けばいいんだ?」
「それって家畜買うってこと? それとも塩漬けとか燻製を買うってこと?」
「いや、生肉……」
「ああ、加工前のを買いたいってことか。酒場で言ってみたらいいんじゃない? でも何日か前に注文しとかないと、ガラか内臓ぐらいしかないと思うよ」
「肉屋とかないのか?」
「肉屋って、狩人衆の切り売りでなくて、肉だけ売るやつ?」
「切り売り……。ああ! あの剥き身の獣をいきなり広場でさばくやつか! 突然のマグロ解体ショーみたいなやつ!」
「マグ……なんて? ──肉だけ売るのはないなー。漁場があるとこの魚屋みたいなのでしょ? 街にならあるのかなー。もしもお祝いで振る舞うとか家の保存用を作るなら、牧場行って買ってきたらいいよ。お金払えば潰してもくれるー」
そういうもんなのか。やっぱり想像してるようなのとは結構違うものらしい。
街と村でも違うというのだから、気になることは気になる。城下町以外のところなら行ってみたいところだ。
「燻製のおっきな奴とか腸詰なら酒場に行けば売ってくれるよー。焼いてないのちょうだいってエリーゼさんに言えば大丈夫」
「じゃあ、こっちにいるときは相変わらず酒場の世話になりそうだ」
「エールも売ってくれるよー。瓶持っていけば大丈夫。樽で欲しいなら前もって言っとくと買えるー。お祝いのときとかはそうしたらいいよ」
いや、樽ってどうやって持って帰れってんだよ……店主は肩で担いでたけどあれはさすがに例外だろう……。
「主、生肉が欲しいなら私が狩ってきますよ?」
「村の近くで勝手に狩りするとまずいのでは……?」
「うちらだと誤射とかあるし、そもそも危ないから森には入んなって言われるなー。狩りしたいときはおじさんに聞けばいいかも」
……元の世界みたいにオレンジ色のやつを着ろとか言われたりするんだろうか。あと免許が要るとか……。
「決まり事とかは、家のことが片付いたら村長に聞きに行ったほうがいいな。好き勝手にやるわけにはいかないしな」
「村長、絶対そこまで頭回ってなかっただろうなー……。エレナさん、あ、村長夫人ね。本格的に暮らし始める前にもう一回聞いたほうがいいよ。あ、ゴミ捨てとかは知ってるんだよね?」
「なんか急に生活じみてきたな……。月曜はプラスチックゴミ、火曜は燃やせるゴミの日……粗大ゴミは処理券買うとか……?」
「カッツィオ、時々よくわかんない現地語をボソボソ言うよね……。カルチャーショックってやつ?」
「カルチャーショックって言葉が聞けたことに俺は今驚いてるよ」
「一体どんなとこから来たのさ……。割と浮世離れしてるよね二人とも」
「えっ、私もですか?」
イグニカが心底から意外! という声を出して、マーサはにへらーと笑って「カワヨ」と呟いたが、それは聞かなかったことにする。
イグニカも浮世離れして見られているというのは、わかるようなわからないような。……そう考えると、俺達の取り合わせは不審そのものだったんだなと今更ながら思うところだ。
マーサいわく、ゴミ捨ての基本は「糞尿とか腐ったやつ、毒物以外はだいたい全部汚水溜めに持って行けばOK。風呂水などの汚水は汚水路に流してもOK」だそうだ。また、腐ったものや毒物はスライム槽があるのでそこに直接入れろとのこと。
狩人衆が交代で番をしているので、指示に従って捨てるのだそうだ。
なお──落ちると非常にまずいらしい。
他にも、糞尿は堆肥にするので回収があるという。そのため家の外にある汲取口の近くに物を置いてはいけないそうだ。この回収は村の権利なので勝手に捨てたりしてもいけないらしい。生ゴミや骨などを入れるのもご法度。
あまりに無体をすると玄関に糞尿をぶちまけられるから絶対にやめろとのこと。しかも、そのぶちまけは村で認められた公式の刑罰なので、復讐したりすると村から出ていくことになるらしい。
一体、糞尿を巡ってどんな争いがあったのか、想像したくないものだ。
回収はそれぞれの家に月に一度で、家を買ったら取りに来る決まりになっているので家にあまりいないなら回収戸口に硬貨を入れておくのが礼儀なのだそうだ。これを無視すると下手するとぶちまけ刑らしい。
──そういうことは早めに言ってほしいものだ。我が家の玄関が大変なことになるところだった。
◇◆◇
「よっこいせ!」
井戸から汲んできた水をキッチンの水瓶にザバーッと流し込む。
「よーし、これで満杯だな」
色々な衝撃はあったものの、とにもかくにもマーサの店での買い物を終えた俺達は村の住まいに戻ってきていた。
水を汲んできた手桶を床において肩を回す。
しかし、水運びというのはなかなか重労働だ。キッチンに置いた水瓶にそこそこの量を入れるのに三往復もしてしまった。だが、家で水くらい飲めないとやっぱり寂しいものだ。苦労する価値はある。
ところで、この井戸の水。
煮炊き用の水というので飲んでみたが、結構おいしい。前の世界の水道水と比べるわけではないが──というか、もう思い出せなくなってきているが──澄んだ味と口の中がスッキリする後味は、学生時代に過ごしたド田舎の湧き水とよく似ている気がする。
家の中は相変わらずがらんとしているが、買ってきた簡単な調理器具や薪、水瓶、皿、それから塩や乾燥ハーブを入れた素焼きの壷などを置くと、なんだかちゃんとした生活感が出てくるものだ。
「水汲みって、割と重労働だよなあ。駆り出されてる子どもたちも大変そうだしなぁ」
「朝と夕方は桶を持った子どもたちがよく歩いていますもんね。よちよちしていて可愛いです」
「お手伝いとしては、なかなかポイントが高いと見た。でも、5歳くらいの小さい子がよちよち運んでるのは見てて心配に──」
ん? ちょっと待てよ。いま俺が汲んだ桶一個でも結構な重さだったが……なんか普通に子どもも運んでなかったか?
「主?」
「いや、なんでもないや……」
頭に浮かんだ疑問をとりあえず横において、マーサの店で買ってきたチーズ類を皿に盛り付ける。ドライフルーツとナッツの類もあるのでそれも一緒だ。
鉄鍋も売っていたので、こちらは薪で熱していって燻製肉を焼く。ぽってりしたフォルムのフライパン、というかスキレットとかいうのだろうか。これは何だか、そのまま食卓に出てきても格好が付きそうだ。
端的に言えば、映える……というやつだ。合っているかは知らないが。
イグニカは荷物から大きな布を出してきて木箱の上に広げて敷いてくれている。
この木箱はマーサから「収納にどう?」と声を掛けられて貰ってきたものだが、思わぬところで役に立ってくれた。
椅子にする分は、収納部屋に残っていた小さな木箱を持ってきておく。
急ごしらえ感が否めないが、間に合せとはいえテーブルがあり、釜戸に火が灯っているお陰でわびしくはない感じに仕上がった気がする。
良かった……いや、本当に良かった。
夕方になる前に落ち着ける程度には真っ当な感じに仕上げられた……。
最初に過ごした思い出がわびしい食卓というか酒盛りになったらどうしようかと思っていたが、なんとか回避できそうだ。
ただ、ベッドはないので寝るのは難しい。晩鐘が鳴ったら酒場で宿を取ろう。
そして、ちょっと奮発して買ったガラス製のゴブレットをテーブルに並べる。古めかしい形だが、ちょっと特別な気分になれて実にいい。
イグニカもワインをすぐに取り出してくれて、開けるために瓶にスッと手をかざしたが、慌てて止めてT字型のコルク抜きを見せる。
今まで買っていなかったがせっかく調理器具を買うのなら、ということで買ってみたのだ。
初めて見つけたときはコルク抜きが異世界にもあるのか! と驚いたが、よく見ると形が違う。これは刃をそのままブッ刺して回して引っこ抜くやつだそうだ。
ネジ型のはないのか? と聞いてみたところ、マーサ曰くそういう形のものは見たことがないらしい。
ないものは仕方ない。教わった使い方通りにグサッ! と遠慮なくコルクに刃を刺して、奥まで入ったら瓶を持って……──
「──……ごめん。イグニカ。瓶、切ってもらえるかな」
「おまかせください! では──」
俺はそっと千切れたコルクと、破片にまみれたT字型のナイフをテーブルに置く。
ないなら作ろう、コルクスクリュー。細工スキルで作れるはずだ。
コトン、コロロ……という慎ましい音がして、また一本の瓶が首を刎ねられた。
なんてこった。俺が下手くそなばかりに……──ま、いいか。もう見慣れたし。
「じゃあ、慎ましいけれども……我々の頑張りに乾杯!」
「乾杯!」
「──ああ~、やっぱりこれ甘酸っぱくて美味しいなあ」
「主は甘党ですよね。私は、もう少し酒の匂いが強いもののほうが好みです」
村で買うワインは家にあるものと比べると、果汁っぽさが強くて酒の匂いが薄い。初めて飲んだ時は不思議な感覚だったが、元の世界でも別に詳しくなかった俺としては、こっちのほうがむしろ馴染みやすくてうまい。
「なんなら葡萄を絞ったままのジュースのほうが俺には馴染みがあるよ。そもそも大体の果物はジュースで飲んでた気がする」
「そうなんですか?」
「そうそう。リンゴに、オレンジに、洋梨も多分ジュースになってるな。シュワシュワするソーダなんかもあったよ」
「しゅわしゅわ、というと、どういうものでしょう?」
「んー……言葉で説明するの難しいな。なんて言えばいいんだろう、こっちでも飲んだよな……」
一口大に切ったチーズと、ドライソーセージを重ねて齧る。
この強い塩気と発酵した匂いはなんとも、ザ・酒のツマミという感じだ。
これと村のワインを合わせると……絶妙に合わない。単品では美味しいのだが。
酒場でつまみと合わせるならエール! という人が大半だというのも納得だ。
なお、マーサはこの甘いワインにドライフルーツを入れたものが好きなのだそうだ。ドライフルーツも余さず食べると美味しいのだという。
「そうだ! あのエールのしゅわしゅわだよ。──あー……エール買ってきたらよかったなあ」
「そうですね。このチーズと肉だとエールが欲しくなります……今度買ってきて樽で置いておきませんか?」
「た、樽からジョッキで延々と飲んじゃだめだよお?」
「──……気をつける、つもりではいます。でも、樽で買うべきです…! ご褒美は必要だと思います!」
そういえば、俺が宿屋でひっくり返ってるときに設置されたあのエール樽……。次の日にはなかったな。
……もしかして? 飲んだ? あれ全部?!
「……お値段次第、かな」
「──くっ……わかりました。頑張って売ります」
静かに闘志を燃やすイグニカである。
しかし、予想外とはいえかなりの金貨が入ったし、今度必ず買うことにしよう。
貯蓄している分も考えると結構いい額がもう貯まっているのだ。エールを樽でいくつか買ったところで揺らがない……と、思いたい。
ひょいと奥の収納を眺め、そこにエールの樽をいくつか積み上げる様子を想像してみる。
これは……絶対いい気持ちになれるやつだ。クリスマスから年末は外に出ないぞ! という決意を込めて買い出しした日に感じる、あの満足感が味わえそうな気がする。
「……エールの樽。3個は買おう。ちょっと無理しても。あそこに積み上げたい」
「主、3個も買って大丈夫ですか?」
「積んでるところが見たくなってきた。──買った分はどんどん飲んでもらっていいし、俺も飲むよ」
「それは──楽しみです!」
次の行商は大変なことが多そうだと気分が重くなっていたが、楽しみができると気分が軽くなってきた。
こっちの住まいの家具なんかも材料を集めて作っていくとしようかな……。
次の更新予定
2025年1月10日 19:00
伝説の鍛冶師になりましたがスローライフでほのぼの暮らします 鍛冶屋おさふね @osafune_kaji
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