ソウルブレイズ

@motosawa8235

第1話 感染

冷たい雨がフードを伝い、ソウの頬を滑らかになぞる。

路地裏は無放浪者と雑多なごみでむせ返り、悪臭と獣の泣き声に埋もれていた。

ぐう、とおなかの虫を聞いたソウは、一週間前に食べたカビ塗れのパンの味を思い出し、無意識によだれを垂らす。

ソウは重い腰を上げると、隣のごみ箱を漁った。

「ちっ」

小さく舌打ちをすると、路地裏を抜け、近くに目星をつけているパン屋に近寄る。

貴婦人、鉱夫、商人の間をぬるりとすり抜け、物音を立てずにパン屋の前を通る。

パン屋の店主が通りに向けていた目を伏せた瞬間、ソウの手はぬっと伸び、ホットドッグを1つ、握りしめた。

しめた。

ソウがそう思った瞬間、腹に重い衝撃が加わるのを感じた。次には、地面に打ち付けられ、口の中に砂利が入ってくる感覚を覚えた。

「っしゃあ。今日こそ捕まえたぞ。おい、化け物。てめえの汚い面、見せてみろ」

ソウは腕と足を取り押さえられ、仰向けになると、目の前には警官服の中年男が馬乗りになり、顔を歪ませながらソウのフードめがけて手を伸ばした。

「やめろ!」

ソウの叫び声に一瞬、警察官の顔はひるんだが、手の勢いは止めず、ついにはソウの顔が明らかになる。

すると、広場は悲鳴で覆われた。

ソウの顔半分は、好青年の暗みが濃い顔。

もう半分は、皮膚が鋼鉄の漆黒を、は虫類のうろこを思わせるうろこに覆われていた。

「やっぱ、てめえか。親父、今日のツケはこの拳で、な!」

警察官が右の拳をパン屋の店主に掲げると、ソウの人間の顔半分に目掛けて無理下ろす。

瞬間、ソウは反射的に鱗に覆われえている顔半分で拳を受ける。

ガンっ。

「ああああああ!痛ってえええ!」

警察官の拳から流れ出る血を顔全体に浴びたソウは、高速が緩くなったの機に、身体をおこして逃走する。

パン屋の怒号を背に、自然と道が空くのを目にしたソウの眼は、暗闇の虚構を映しながら、鱗に覆われた眼の瞳孔は限界まで開き、人々の露になった顔の肌、腕の血管、足の筋肉を肉食動物のように眺める。

ホットドッグが失われた右手で必死に左手を抑える。今にも通行人の喉を掻っ切る勢いで暴れそうな左腕に、右手の爪を血がにじむほど食い込ませ、痛覚で何とか理性を保ち、路地裏に逃げ込む。

「ちくしょうちくしょうちくしょう。あんなやつ、いっそこの手で」

ソウは自身の左手を見る。

腕の全体が黒のうろこに覆われ、指の先の爪は鋭くとがっている。

俺の心臓に届けば。

ソウの心臓は鱗に覆われた、左半身に位置している。

自殺は何度も試みたが、舌、頭皮、首、心臓のある身体の皮膚は鋼鉄の鱗に追われ、結果は失敗におわるばかり。

魔族にもなれず、人間にもなり切れない。半端もの。混ぜ物。化け物。

街に行き交う人間の口は、ソウの見た目をそう口を紡ぐ。

魔族の血が流れる限り、或いは人間の血が流れる限り、俺は孤独だ。

ソウは目を虚空に向け、空腹と逃走の疲労に、一人、行燈の眠りに落ちた。


翌朝、ソウの耳に騒がしい人間の話し声、泣き声が聞こえる。

なんだ?

ソウは目覚めると共に、目の前の吐しゃ物が自身のものであることを把握した。

ほとんど液体のそれは、ソウの眼の前でうようよ蠢いている。

なんだこれ、生きてんのか?

ソウは訳が分からず、それから距離を置こうとすると、身体がバランスを取れず、転んでしまった。

普段、重い鱗で覆われた左半身のバランスをとるために、右半身に重心を置いていたが、今日のソウの左半身は異様に軽く、いや、右半身と同じ重さになっていることに気づかなかった。

「あれ?俺の鱗、ない」

ソウは左腕を見ると、鱗の無い、人間の肌が露になっていた。

ソウは顔の左半分に指を這わせる。

「顔も。…。俺は人間になったのか?」

ソウはいわれのない喜びを感じた。

「これで、ついに人間に成れたんだ!」

暗い路地裏にソウの泣き声が響いている。今日は虚しさの感じられない、ソウの泣き声が響いた。

「ていうか、これ、なんだ?」

ソウの泣きはらした目は、黒いうようよに向けられる。

それはまるで一つの生き物のように蠢いている。

ぐう、ぐうう。

ソウの腹が豪快になる。

不意にめまいが起こるほどの空腹に襲われたソウは、その場に倒れた。

ソウの倒れ込んだ先に、ぴたりと黒いうようよの表面がソウの顔に付着する。

ソウは自身の口が無意識に、その黒いうようよを飲み込むのを感じる。

ごくごくごく

瞬間、いわれのない恐怖、支配欲、そして満足感がソウの脳を支配する。

これ以上は、なにか、なにかがまずい。

黒いうようよが舌から喉を通る度、ソウのその思考は黒くよどんだように曖昧になり、ついには意識を失った。


次に目覚めたとき、彼は静けさのある人通りの中で血まみれになり、立ち尽くしていた。

彼の目の前には、警察官の胸に穴の開いた死骸があり、鱗に覆われた両手の中には、ドクンドクンと波打っている心臓があった。

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