金の泉

オカン🐷

時を告げる

 昔、むかし、時を告げるものがまだない頃のお話です。

 

 


 里山の誰も入り込まない森の奥深くに、水がこんこんと湧き出る、大きな泉がありました。

 

 与平は森の木の枝を斧ではらい落とし、背負子に積み上げました。


「どれ、もうこのくらいでええやろ」

 

 しまおうとした斧の刃先に茶色い樹液がつき汚れているので、泉の水で洗おうと、竹の筒で水を汲み上げようとしたときのことです。

 あろうことか左手に持っていた斧を泉の中へ落としてしまいました。


「あっ、しもた」

 

 あわてて手を伸ばしますが、どっぽん、という音とともにみるみる沈んでいってしまいました。


「えらいこっちゃ。あれがなければどないもならん」


 与平は着物を脱ぎ捨てて、泉の淵に腹ばいになり、肩まで水に浸かって腕を伸ばせるだけ伸ばしましたが、手に握りしめるのは水草ばかりです。


「もっと、こっちやったかいな」


 躰の位置を変えてなおも掻き回します。 

 すると、森の鬱蒼とした木立に囲まれた薄暗い泉が、ぱあっと明るくなりました。


「誰や。わたしの泉を掻き回すんは」

 

 与平は驚いて、声のする泉の真ん中あたりに目をやると、なんとそこには光輝く女人が立っていました。女人といっても、あまりにも眩しくてしかとはわかりませんが、縄をほどいたようなうねった髪が足もとまであり、顔の輪郭が曖昧で、向こうが透けて見えるような白くて薄い衣を身に纏い、いや、ほんとのところ、躰の向こう側の木々の葉の濃淡までが透けて見えるのです。

 

 もののけ。そう気が付いた与平は、一目散に逃げようとしますが、腰が抜けてしまって動けません。足だけをばたばたともがいておりました。


「も、もののけさま、おかえりなさいませ。も、もののけさま、お、おいえではござらん。お、おもどりください、もののけさま」

 

 震えてなかなか合わせられない両の手をやっとかっと合わせ、早くにみまかった父親に子どもの頃教わった、もののけ退治のまじないを口にしました。


「ほら、これであろう。おまえが落とした物は」

 

 おそる、おそる見上げますと、もののけと同じように燦然と輝く金の斧でした。


「め、め、めっそうもおまへん。そ、そないな上等なもんやのうて、は、刃先が欠けた、こ、小汚い斧だす」

 

 与平は裸の躰にさぶいぼを立てて、恐ろしいのと寒いのとで歯の根も合いません。


「違うとな。もろておけばよいものをなんという正直者や。褒美にこの泉を金に替えてあげましょう」

 

 もののけがふっと姿を消すと、泉は水の代わりに金の粒で溢れていました。


「ひぇー、金や、金や」


 こないなことしてくれるのは、もののけとはちごて泉の神さんや。きっとそうに違いない。


「ありがたや、ああ、ありがたや」


  与平は泉に向かって、今度はしっかりと両の手を合わせると、あわてて着物を着、袂に金を詰められるだけ詰め、家路を急ぎました。


次の日、与平は金を持ってどこかへ出かけて行きました。

 帰ってきたときは、牛の背に鶏の入った籠や米俵をくくりつけ戻ってきました。

 妻のお米、娘のお稲には艶やかな反物の土産まであります。

 金があればなんにでも交換できました。泉の金は取っても、取ってもなくなりません。

 

 ある晩のこと、どこに行っていたのか、娘のお稲が戸板をがたがたと開けて転がり込んできました。息を切らしています。


「おとっつあん、ひどい。あんまりや」

 

 泣きじゃくるお稲の話はこうでありました。

 数日前、お米が熱を出して寝込んでしまいました。

 お稲は汲み置きしてある水でなく、ちょっとでも冷たい水で冷やしてあげようと、森の奥の泉に出かけました。

 

 ここには「もののけが住んでいるので決して近付いてはならぬ」と、子どもの頃から厳しくいわれておりましたが、村の子どもたちは「もののけ退治に行こう」と、親たちには内緒でよく入り込んでいたのです。

 

 泉に辿り着くと畔に、月明かりを背に佇む人影があったのです。

 はっ、と息を呑むお稲に気が付いて振り返り、月明かりに照らし出された姿は、いかにも実直そうな顔立ちの凛々しい若者でした。


「どないしたんや、こない遅く」

 

 若者の声がとても優しかったので、お稲がわけを話しますと


「なんと親孝行な娘さんなんや」

 

と、懐から出した乾いた草のようなものをひとつまみ、お稲の掌にのせました。


「おっかさんに、これを煎じて飲ましてやり」


 そして、その若者と約束を交わしたのです。


「わたしはこれから、あの山を越えて、もうひとつ向こうの山も越えて、薬草を届けにいかなければならんのや。明るくなって、暗くなって、明るくなって、また暗くなって、それを五つ繰り返したら戻ってくる」

 

といい、泉の畔の葉が一枚もない枯木を指さしました。


「ほれ、あの木が泉に映り込んでいるやろ。あのてっぺんの枝の先に月がかかる頃、ここで待っといてくれへんやろか」


 お稲は、こくりと小さく頷きました。


「きっとやで」


 若者はお稲の手を取り握りしめました。お稲は頬を紅潮させ、慌てて手を引っ込めようとしましたが、若者の情熱のほうが強かったのです。


「ええ、きっと」


 若者からもらった薬草で、お米の熱はすぐに下がりました。そんな命の恩人との約束なのに、泉を金に替えてしまっては、月が映り込まなくなってしまい、若者との約束の時がわからないというのです。


与平は腕組みをして思案しました。お稲の涙を見ることほど辛いことはありません。


 与平は金の泉へ行って、泉の神様にたのんでもとの泉にもどしてもらいました。


 泉の神様は与平の欲のなさに感心して、その水を飲むと元気になる泉にしました。


 それから、お稲は若者と再び会うことができ、皆幸せに暮らしました。


 今では、長寿村として有名になり、その泉の水をもらいに遠方からも人々がやって来るようになりました。




                 【了】


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金の泉 オカン🐷 @magarikado

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