第8話 少年犯罪

 自宅に駆け込んだ勝は、まるで空き巣に入った泥棒かのように、武器になりそうものを探し回った。


 台所の刃物類、洗面所の洗剤、延長コード、画鋲が詰められた透明な箱、そして、勝の殺意。


 手当たり次第に物色した後には、家の中で竜巻でも起こったのかと疑いたくなるほどに、あらゆるものが散乱したいた。


 勝は準備した武器をリュックサックに突っ込むと、背負い、玄関まで向かった。


 玄関ドアを開けると、大きく息を吸って体に満たす。

 

 そして、これから行われる死刑執行について想いを巡らせる。


 まず、最初は岩崎だ。


 すべはあいつが始めたのだから。


 あいつの靴の中に画鋲を入れてやろう。


 そうすれば痛みでうずくまるだろうから、後ろからコードで首を締め上げてやる。


 血が溜まって、耳まで真っ赤に腫れ上がるだろう、まだまだ緩めない。


 あいつの両腕が、力を失って地面に落ちるまで締め続けるんだ。


 仰向けに倒れた岩崎のことを、初めて見下ろすことができる。


 その時の岩崎の顔は、目が血走って、顔面は、針で刺したら破裂しそうなくらいパンパンになって、さぞ気色が悪いだろうな。


 次は、田代だ。


 あいつには洗剤を飲ませよう。


 あいつが部活で使っている水筒の中身を入れ替えれば、何百メートル走った後、乾いた喉を潤すためにガブガブ飲むはずだから、いくら不味くてもある程度飲み込んでくれるだろう。


 不快な舌触りに気づいた時にはもう遅い。


 あいつはゲロをあたり一面に撒き散らかして醜態を晒して、舌は痺れて体は震えて、打ち上げられた魚みたいにもがき苦しむことになる。


 最後に大岩。


 あいつは体がデカくて強いから、後ろから刃物で襲う。


 どれだけ強かろうと、後ろから首を一突きされればお陀仏だろう。


 いや、一突きじゃ終わらず、倒れた後も何度も刺してやるんだ。


 鼓動に応じて血液が吹き出して、白い壁を赤く染める。


 勝のイメージは実に鮮明だった。


 『よし、断罪の時だ』


 冷静になった勝は、学校までの道のりを歩き出した。


 平日の午前10時、出歩いている人は見えない。


 家々の駐車場にも車はなく、皆んな勤労に勤しんでいるのだろう。


 静寂に包まれた住宅街の一本道、その向こう側から、一台の車が向かってきた。


 その車は、明らかに異質な雰囲気を纏い、見る者を畏怖させる特別な緊張感を放出していた。


 「あー、多分あれですね」

 「うーし、声かけよか」


 白と黒のツートンの車の中でそんな会話が交わされると、車両は、勝の数メートル手前でハザードランプを点滅させて停車した。


 すぐさま助手席のドアが開かれ、中から若い女性警察官が姿を現した。


 「君、佐藤くんだよね。学校の先生から連絡あって探してたんだよ。

  お母さんも電話出ないみたいで…って血出てんじゃん!?どうしたの?!」


 一歩遅れて運転席からのっそりと出てきたのは、色黒で長身、それでいてかなりの筋肉を纏わせた男性警察官だった。


 「あー、ほんとだね。これどうしたの?」


 「あ、さっき転んだんです」


 勝はこんなところで足止めを喰らうわけにはいかなかったので、咄嗟に嘘をついた。


 男性警察官は、はぁとため息をついて両膝に手を当てて膝を曲げると、勝と目線を合わせた。


 「あのね、お巡りさんももう長いから、はっきり言って、わかるんだよ。

 殴られた怪我でしょ?言いにくいかもしれんけど、正直に話してくれないかな?」


 勝は、いっそ走って逃げ出してしまおうかと思ったが、鉄骨のような存在感を放つ警察官とガードレールに挟まれて、身動きが取れなかった。


 「えー現在少年を発見し声かけ中ですが、暴行の形跡あり。

  よって、せーあんかいんの派遣を願います。どうぞ」


 少し離れた位置で女性警察官が肩につけた無線機に向かって話しかけている。


 聞きなれない単語が耳に入ってきて興味を惹かれたが、どうやらまた人が増えるようだ。


 勘弁してくれ、僕は早く学校に戻り、刑を執り行わなければならないのだ。


 「とりあえず学生証見せてもらっていい?」


 男性警察官が口を開いたので、勝は渋々それに従った。


 それからは、女性警察官を交えて、他愛もない世間話をしながら、不毛な時間がすぎていくばかりだった。


 すると、一台の車が、パトカーの後ろに停車した。

 

 パトカーではなく、灰色のセダンで、勝から見れば普通の車だ。


 中からは、私服の男性と同じく、私服の女性が降りてきて、勝たちと合流した。


 どうでもいい会話を続けていたのは、この人たちの到着までの時間稼ぎか。


 勝が察すると、私服の女性が口を開く。


 「こんな格好してるけど、私たちは生活安全課っていうところの警察官だよ。

 単刀直入に言うと、今から警察署に行って、なにがあったかお話聞きたいの。

 もろ殴られてるでしょ?それ

 悪い奴らは捕まえないといけないからさ」


 なるほど、先ほどの「せーあんかいん」とは、「生活安全課員」の略称か。

 

 勝は納得すると同時にハッと閃いた。


 『悪い奴らは捕まえないといけない』


 警察と言えば、法の執行者の代名詞である。


 常に悪と戦い、この世の醜悪を日々目にしている彼等であれば、勝の思想にも賛同してくれるはずだ。


 勝は、警察署に赴いて自身の主義思想と今までの岩崎たちの悪行、そして今後の計画を演説することにした。


 そうすれば、警察官たちは皆んな感動して、勝の背中を押して学校まで送り出してくれるに違いない。


 「わかりました。ど、どうすればいいですか?」


 「じゃあ警察署行こうか。学校とお母さんにも後で連絡しておくから。

  とりあえず、パトカーじゃなくて、こっちの車乗ろっか。」


 勝は灰色セダンに案内されると、私服警官が後部座席のドアを開け、勝が奥に乗り込むと、先ほどの女性警官が隣に座った。


 2人の男性警察官が乗り込むと「シートベルトしてねー」と一声かけて、発進させた。


 その後ろをパトカーが追う。


 そうして2台は、警察署の駐車場に着くと、勝は降ろされ、警察署の中にいざなわれた。


 警察署というのは、近づきがたい雰囲気がある。


 何も悪いことをしていなくても、立ち入るとなると、一呼吸おき、軽く覚悟を決めなければならない。


 それは、警察という存在が、犯罪に対する確かな抑止力となっており、畏怖される存在であることを示している。


 勝は案内されるがままに歩いて行くと、「事情聴取室」と掲げられた部屋に通された。


 中は簡素で、中央に机があり、向かい合うようにパイプ椅子が置かれていた。


 勝は奥の椅子に座らされ、リュックサックは椅子の下においた。


 「じゃあ佐藤くん、顔の怪我について教えてくれるかな?」


 この途端、勝は、真っ暗なステージの上でスポットライトが当てられたような感覚がした。


 「この怪我についてですか。

  それにはまず、半年ほど前まで時間を遡らなければなりません。」


 それまで口数が少なく、聞かれたことについてしか発言していなかった勝が、流暢に話し始めたのを見ると警察官は驚いたが、手元のメモ用紙にカリカリとメモを取り出した。


 「まず、私のクラスメイトの中に、岩崎、田代、大岩というか三人の人間がいます。いや、人間と呼ぶのもはばかられるような、ただのクソやろう共です。奴らは私の身体の障害を侮辱し、それは日に日に激しくなり、ついには暴行、傷害は日常茶飯事、物を取られたりもしました。まあ、いわゆる『いじめ』に合っていたわけです。どうですか、こんなカスども、生きている意味などないでしょう。今後こいつらは社会に出て、仕事につき、家庭を持つことになる。そんなことあってはならないのです。なぜなら不幸を産むだけだからです。こんな親に育てられた子供は同じ道に進むに決まっています。そして、その子供もまた不幸を生み出し、負の連鎖を引き起こすのです。私は毎日嘆きました。どうにかこのカス共をギャフンと言わせることはできないか、と。そんな時私は『法律』を知ったのです。あれは素晴らしい。皆さんはよく勉強されていると思いますから、この気持ちがわかるでしょう。あの厳かで美しい文章の羅列を見た時、私の心は浄化されたのです。

それと同時に、どうにかこの存在を自分だけのものにできないかと葛藤しました。そこでです。

私は自分のための法律、その名も『自己防衛法』を作成するに至ったのです。厳格な規定を定め、厳格に審判してきました。そしてついに、規定に基づき、奴らを死刑に処する日が来たのです。」


 勝は、選挙カーの上に立つ政治家のように、まだ続ける。


 「それは今朝のことです。奴らは私による正当な処罰に対して逆恨みをし、私を痛めつけたのです。この傷はその時つけられたモノです。これは法律に対する反抗です。それは許されることではない。体の怪我などどうでもいいのです。私はただ、私が愛してやまない法律を侮辱されたことだけが許せない。だから奴らは死ぬのです。これは正当な処罰です。あなた方になら、分かってくれると思いますが」


 勝はひとしきりまくし立てると乱れた息を整えながら女性警官を見つめる。


 この長文で、吃音の症状が現れなかったことに驚いた。自分の思想を他人に主張するというのは、なかなか気分がいいモノなのだな、と勝は高揚した。


 「うーんとね…」


 女性警官が沈黙を破り、口を開く。


「んー、君の思ってることはわかったよ?いじめられてることも。ただ、物騒な言葉が聞こえてきたんだけど…『死刑』?人を殺そうとしているの?」


 「わかってないではありませんか。そうです。殺すのです。いや正しくは、『断罪』するのです。奴らは愚かにも罪を重ね続け、今日死刑の要件を満たしました。だから私が執行するのです。」


 女性警官が眉間にシワをよせて言う。


 「いや、分かんないな。何の権限があって、そんなことができるの?」


 「私が法の立案者であり、執行者だからです。」


 そう言うと勝は、椅子の下にあったリュックサックを机に置くと、チャックを開き、あのノートを誇らしげに見せつけた。


 しかし、警官たちの目線はノートではなく、カバンの中身に釘付けになった。


 「ちょっと待てお前、なんか色々入ってるけど、中身見せて!」


 「いいですよ」


 勝はカバンの中の執行用具を順番に机に並べると、警官たちの顔つきが険しくなった。


 全て出し終えると、「危ないから、預かっとくから」と全てどこかに持って行かれてしまった。


 「とにかく、私は一刻も早く学校に戻らなければならないのです。理由は先ほどの通り、刑を執行する為です。さあ、早く帰してください。」


 それまで黙って腕組みをしながら聞いていた男性警官が沈黙を破った。


 「あのなあ、いじめが辛いのはわかる。やり返してやろうってのも理解できるよ。でもな?自分で作った法律なんてなんの意味もないんだよ。はっきり言うけど、ただの自己満足だよ。なんで警察に相談しなかったの?これじゃあ君が犯罪者になっちゃうよ。」


 「私は今まで、いじめを苦に自殺した若者とお咎めなしの加害者という構図を何度もニュースで見てきましたよ。教員は隠蔽体質、警察も取り合ってくれない。だから彼らは死ななければならなかった。相談するより、自分の方が信頼できる。それに、自己満足とは聞き捨てなりませんね。辛いだけだった学生生活も、この法律のおかげで乗り越えることができたんです。

これは私の生き甲斐で、心の支えなんです。

それに、奴らは間違いなくこの世から消し去るべき存在です。皆さんも日々極悪人と戦っているからわかると思いますが、この世には必要の無い人間が多すぎる。成熟した悪を滅するのは困難です。しかし奴らはまだ学生、早いうちに消しておくべきです。雑草を間引かなければ美しい花が咲けなくなってしまうでしょう。」


 勝の力説に、警官たちは頭を抱え、各々口を開く。


 「君の言ってること全部間違ってるよ。

  正直に言うと、馬鹿げてる。

  でも、君が怪我を負わされたことや、今までされてきたことについては、捜査するよ。

  犯罪だからね。」


 「そもそもね、君の自作法律を見たところ、刑法を参考にしてると思うんだけど、刑法の方が絶対的に上の存在なの。つまり、刑法に反する規定は全て無効になるから、この処罰の方法も無効になるってこと。

 君のやってることは、どうやっても正当化できないんだよ。」


 予想外の返答に、勝はあっけに取られた。


 なぜ伝わらないのか、それに、勝の行為は間違っている?


 法律のプロである警察官が、軽々と言ってのけたその言葉は、コンクリートブロックを投げつけられた様に、勝の心をえぐった。


 空白の頭の隅っこに、小さく、ある考えが黒く湧き出てきた。


 『僕がやってきたことは、間違っていた?』


 『そんなはずない、だって僕は…』


 勝の瞳は光を失い、ただ一点のみを見つめていた。


 そんな中、部屋の外では、勝に初めて声をかけた2人の警官が


 「あれ、完全に『持って』ますね」


 「ほんと、まじで厄介なの連れてきちゃったな」


なんて会話を繰り広げていた。


 勝の頭の中は白と黒とが押し合い、勢力争いをしていた。


 自分の行いを正当と信じていた自分。


 そして突如現れた、間違っていたのは自分の方であるのではないかという疑念。


 勝の心の揺らぎを感じ取った警官はすかさず問いかけた。


 「君が本当に法律を愛しているのであれば、自分の間違いを認めるべきだ。刑法という法律によれば、人を殺すために凶器を準備することは、『殺人予備』っていう犯罪なんだよ。

 そして法律のさらに上の『憲法』には、上級のルールに反するルールは無効になるとも定めてある。

 君の法律愛はよくわかった。ある種の信仰みたいなものを感じたよ。

 もう君も理解しているはずだよ。君の作った法律は何の効力も有さない。だから君がいじめの加害者にしてきた『処罰』も当然罪になるんだよ」


 これは効いた。


 勝は法律を崇拝し、心酔している。


 その忠誠心は、決して消えることはない。


 そんな自分が、最も法に背いていたとは、受け入れ難い現実であった。


 だがここまでか。


 勝は、法に睨まれているのを感じた。


 法律、それは常に厳しく、時に優しく、いつでもどこでも、我々のそばに佇んでいる。


 今まで法に忠誠を誓ってきた勝であったが、それ自体が、法に対する裏切りであったことを理解してしまった勝は、全身の力が抜け、何も考えられなくなってしまった。


 「ぼ、ぼくは、どうすればいいですか?」


 力なく勝が呟くと


 「そうだね、もう少し落ち着いて、話を聞かせて欲しい。

  君がやってきたこと、やろうとしたことはもちろんだけど、君をいじめて苦しめた奴らについても、しっかり捜査するよ。

  このノートに、いつ、だれが、何をしてきたかって詳細に書いてあるから、証拠になるしね。」


 警官は続けて、


 「そのあとは法律に従って裁きを受けて、君はそれに従うだけだよ。」


 そんなこと言われなくてもわかっている。


 法が右に行けと言えば右に行くし、左に行けと言えば従う。


 勝は自分に失望していたが、法への忠誠心は消えてはいない。


 勝は、自ら手を下すことができなかった悔しさはあったが、これは、なるようにしてなったのだと理解していた。


 勝が「殺人」という大罪を犯す前に、法律の守り神が、引き止めてくれたのだと完全に信じていた。


 やはり法律は自分の味方なのだ。


 勝は安心した。


 これから勝の一件は少年事件として捜査され、岩崎たちにもその手は及ぶだろう。


 勝の体には奴らから受けた傷があるし、目撃者や、第二の被害者である小西も協力すれば、それなりの裁きを受けることになるだろう。


 これが本来の、法適用だ。


 勝は、窮屈な部屋の窓から外を見た。


 窓ガラスの前には鉄格子が設けられ、随分見にくかったが、もう夕方も深くなり、太陽はほぼ沈んでいる。


 勝は沈みゆく太陽を見届けると向き直り、対面の女性警官に向けて


 「何から話せばいいですか?」


と問うた。


 これから、勝への断罪が始まる。


 

 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 

 


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

断罪の星 日本在住 @NPZJ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ