二.邂逅  ⅲ.福岡-東京

福岡へと向かう飛行機の中で、典弘は理香のことを考えていた。

典弘はIT関連の会社でマネージャーとして働いていた。抱えている案件の中に、札幌・東京・福岡で使われているパソコンのセッティングをするという仕事があり、典弘は半分管理職ではあったが、気分転換も兼ねて自ら出張して作業をすることにしたのだった。典弘は飛行機に乗る時、できるだけ窓側の席に座るようにしている。そして多くの場合それは、夜の便だ。その日も仕事が終わった後、夜の便に乗っていた。もう、理香のことが頭から離れなくなっていた。


典弘を乗せた飛行機は滑走路で離陸を待っていた。典弘は普通座席よりも少し広い席間が置かれたシートに深く座り、窓の外を見ていた。ポン、という音が二回機内に鳴った後、飛行機は唸りを上げ始めた。動き出す振動が微かにシート越しに伝わってくる。飛行機は加速を続け、思い出したようにふわりと機体を浮かせた。東京羽田を離陸するとすぐに、飛行機は左に旋回した。典弘は窓越しに、東京の光を見ていた。この光のどこかに理香が暮らしているのだな、と思った。そんなロマンに満ちたことを考えるのは、初めてだった。東京の光は次第に遠ざかり、やがて飛行機が雲の中に入ると靄の向こうに消えた。


夜の飛行機は考え事をするのに適している、と典弘は思う。窓の外を見れば純粋な夜が広がっているし、なんだか機内の様子も落ち着いているような気がする。考え事、と言っても好きな女のことを考えるだけなのだが、


福岡空港についたのは二十一時過ぎであった。空港に着くとすぐに、見計らったかのように吉田から電話がかかってきた。福岡拠点を担当する、典弘の先輩にあたるマネージャーだ。


「成田さん、福岡着きました?僕、まだ仕事してるんですけど、よかったら軽く飲みませんか。」


典弘は少し迷った。移動で疲れていたし、早く休みたかったし、何より理香に早く連絡をしたかった。しかし、思い直して彼と会うことにした。なんとなく、会っておいた方が良い気がしたのだ。そして実際、吉田は典弘と理香の関係を語る上で欠かすことができない存在になる。典弘はもちろん、そんなことは知らないが。


典弘と吉田は博多駅で待ち合わせた。典弘は福岡に来るのは二回目で、右も左もわからない状況だった。吉田に言われた待ち合わせ場所にやっとのことで辿り着いて五分ほど発った後、吉田が颯爽と現れた。電話やテレビ会議では毎日のように会話していたが、直接会うのは二回目であった。そこから二人は博多駅前を何軒が巡り、席が空いていた飲み屋に入った。二人の会話の内容はといえば、仕事の話がメインだったが、それ以外のことも多く語り合い、互いに気が合うということがわかった。


吉田はその時四十三歳だったが、四人の子供がいた。二人はすでに成人している、前妻との子供だった。吉田は前妻と別れた後、男手一つで二人の子供を育て上げた。典弘は吉田のその話を聞いて、大した男だな、と思った。派手ではないし、特別容姿が優れているわけでもない。しかし、典弘には魅力的な男に感じた。彼の中に一本の軸があるように思えたし、その思考回路の広がり方は尊敬に値するものだった。


さらに、話は本や映画の話にも及んだ。ちょうどその前日、典弘は三島由紀夫の『憂国』を読んで感銘を受けたという話をしていた。『憂国』で描かれた、性、もしくは生への渇望と、死への衝動に典弘は深く感動していて、それは生きるということに対する畏れさえ抱くほどだった。死を覚悟し、人生最後にして最大最高の快楽を味わい尽くし、そして筆舌に尽くし難い苦痛と共に割腹自殺を遂げるという対比と描写。なぜだろう、快楽よりも苦痛と死の印象ばかりが典弘の中に残っていた。


その話をすると、吉田は答えた。

「わかります。三島由紀夫の作品は何冊かしか読んでいませんが、「金閣寺」はとても印象に残っています。成田さんのいうように、やはり対比がとても印象に残っているし、美しさと破壊の対比・・・それを対比と呼ぶことが適切かはさておき、その中で言えばやはり破壊の方が印象にのこっています。ま、金閣寺燃えるとか、意味わからないですけどインパクトありますからね」

典弘はジョッキに残った不味いハイボールを飲み干してから

「ですよね。破壊とか終末が印象に残るってのは、他の人もそうなんでしょうかね」

と言った。吉田は短くなった煙草を灰皿の縁でぐしゃぐしゃにして火を消した。

「どうなんですかね。順番も関係あるかもしれませんね。エンディングがバッドだと、やはりどうしても結末が残りますからね」


典弘はふと、ビョークが主演した美しくも救いがない映画を思い出した。

「バッドエンドと言えば、ダンサーインザダークっていう映画知ってますか?綺麗なんだけど、とにかく救いようがないほどの不幸に満ちていて、劇中を通して主人公に何一つとしていいことがなくて、最後は無実の罪で死刑になるっていうやつなんですけど」

「知っています。っていうか、今まさにその映画の話をしようと思ってたとこだったんですよ」

典弘は吉田に対して、完全に信頼していたし、心を許していた。吉田はそのまま話を続けた。

「あれ、何にもいいことないじゃないですか。でも一応、ビョークには子供がいるっていう救いはあるんですよね。救いというか、唯一かけがえのないものというか。それでも、最終的には死刑になるっていう。最後、ビョークが死刑台に乗せられて、最後に一言喋っていい、みたいな場面あるじゃないですか。そこで、ビョークが何を言うのかと思ったら歌い出す」

典弘はその映画のそのシーンを思い出していた。遠い昔に見た映画だったが、あまりの衝撃だったためか、鮮明に思い出すことができた。歌い出した瞬間、その美しい歌声を断ち切るかのように死刑台の床が開き、ビョーク・・・というかその映画の主人公の頸椎が折れる、という場面だ。

「覚えてます」

と典弘が答えると、吉田はさらに続けた。

「良い映画ですよね。後味最悪だけど。個人的にですが、あのストーリー、途中で別な結末に行く可能性があった場面もあると思うんです。つまり、『あのときこうしていれば、こうはならなかったのではないか』と思う場面が、僕としてはいくつかありました。だから、僕としては結構教訓に満ちた映画なんです。悪い結末が見えていたとしても、変えられる可能性が今ならある」


二人が店を出たのは二十三時頃だった。二月の福岡は典弘が想像していたよりもずっと寒かった。予約していたホテルにチェックインすると、典弘は理香にメッセージを送った。


『二十一時過ぎに福岡について、同僚と飲んで今ホテルの部屋に着いた。飛行機の中で君のことを想っていた』

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