てんてんてん (天の声を聞いて天に向かって転生する話)
DA☆
てんてんてん
…目を開くと、果てしなく広がる青空が広がっていた。
最も遠い天頂が最も色が濃く、あれを紺碧と呼ぶのだろう。そこから地表に向けてグラデーションを描いて空の色は薄まっていき、地平線では淡い水色、いわゆるホリゾンブルーとなる。
……と、なんかカッコよさげに解説したくなってしまうのは、かくも蒼穹がすべて見える場所にいるからだ。三六〇度、何も遮るもののない、空しか見えない場所に寝そべっている。
オレは、世界一周したるでぇとイキオイでぶち上げ、準備も調査もろくすっぽせずにヨットで海に漕ぎ出し、当然の帰結として難破した。そして、木も草も生えていない小さな無人島に、身ひとつで流れ着いたのである。
はいそこの君、いま一瞬、南洋の珊瑚礁・照りつける日差しをイメージしたろう?
たぶんここは、千島列島の近くの岩礁だ。最後にGPSを確認したとき、北海道より高緯度にいた。
見えるのが空だけなのは、寝た姿勢で頭上にあたる死角に太陽が位置しているからだ。とすると、頭は東を向いていて、今は朝だ。
出港は十一月の頭だった。昨日この島に這い上がったとき、すぐ理解した。ここにはもうシベリアから冬の寒気が押し寄せている。恐ろしく冷たい北風が吹きすさび、地面の方がまだ暖かく感じられるから、寝そべるしかなかった。
だから既に悟っている。食糧がたっぷりあったとしても、凍死は免れない。そして食糧はない。餓死も免れない。あまりに詰んでいてもう悲壮感はない。混乱で狼狽で嘆傷で号哭で、といったもろもろは昨夜のうちに既にすませ、死の五段階における最終段階、〝受容〟へ一足飛びに到達して、後はただ湧き上がる眠気に身を任せただけなのだ。
そして朝になって目を開けた。美しい青空を見上げている。
よく一晩もったな、オレ。いや、何だろう、感覚が変だ。寒くない。麻痺しているのか、それとも、もう。
もっとも、結論は変わらない。できることは何もない。お迎えが来るのを待つだけだ。それが天使でも悪魔としても、美女であったらいいなと祈りながら、ただ蒼穹の広がりを眺めているのである。
───美女じゃなくて悪かったな。
「心読まれちゃったよ。誰?」
───まぁ、神様ってとこ。
「声はすれども姿は見えず、ほんにあなたは」
───屁ではない。神様と言うとろうが。
蒼穹から声だけが下りてくる。青いグラデーションが形作る円形が開いた口となって、そこから言葉が発せられているように思える。〝深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ〟という言葉を思い出す。
───うすうす気づいてると思うけど、きみ、もう死んでます。
「あぁ、やっぱりそうなんだ。遭難だけに」
───……意外に冷静だね、きみ。まぁ、この期に及んでジタバタされても面倒だから、ありがたいよ。でもね実は、神様的にはちょっと困った事態になってんだわ。そこはロケーションが悪すぎてさ。天国への階段を繋げるのも、地獄の門を開けるのも無理なんだ。
「え、なんで」
───強いていえば、空が広くて青いからだよ。天の星になる、って表現が言い得て妙でね。魂があの世に行く、ってのは宇宙ロケットに似てる。この世の引力から離脱して、あの世の引力に身を委ねるってことなのさ。こんなふうに、空が巨大なバリアみたいに囲う場所では、この世の引力から逃れられないし、あの世の引力も届かないんだ。
「じゃあ、オレ、死なないの?」
───いいや、死ぬよ。天国や地獄に行けないってだけ。つまり、死後の世界を経由せずにこの世で即転生ってパターンになるね。
「転生かぁ。チートスキルもらえる?」
───そういうんじゃないから。異世界とかなくって、フツーにこの世界での輪廻転生だから。マジメに聞いて。……まず、注意事項ね。死後の世界を経由しない転生は、今ある記憶が残りやすいから、気をつけて。赤ん坊が前世の記憶を口走るなんてオカルト事態を引き起こして、新しい親御さんを困惑させないように。なに、きちんと子供やって青春やってれば忘れちゃうから。古い思い出がいずれ消えるのと同じさ。
「それは……いいことなのかな」
───ラッキーといえるだろうね。天国には行けないけど地獄にも行かない。地獄の沙汰が下ってないから、畜生道には堕ちない。また人間に生まれ変わるのが確定、って話だからね。なんだかんだいって人間は食物連鎖のトップ、ガチャでスーパーレアを引いたと思っといていいよ。
「そうなんだ。じゃあ、そう思っとくよ」
───うん、それでお願い。物わかりが良くて助かるよ。本当にきみは、この理不尽ないまわの際にいて、ずいぶん精神が安定しているね。よい傾向だ。これからきみにはしてもらうことがあるのだけど、それには精神の安定が何より重要だから。
もし本当に安定しているのだとすれば、それは、空から降ってくる神様らしからぬ神の声のおかげだ。少し、ホッとしている。いま視界に広がる青のグラデーションが受け止めてくれるなら、何もかも諦めて受け入れてしまう不安も、いくらか薄れると思えた。
───さて、きみにはこれから、自分の力で転生してもらわなくてはならない。さっきも言ったとおり、天国の階段も地獄の門も作れないんだけど、それはつまり、魂をあの世の側から誘導できないという意味だ。だから、きみ自身で成し遂げる必要がある。
「え、死ねば自然と転生できるんじゃないの?」
───魂をちゃんと移動させなきゃダメなんだ。さもないと死体にくっついたままだから、きみ、地縛霊になっちゃうよ。寒風吹きすさぶ孤島で地縛霊になりたい? 誰も来ないよ?
「絶対、イヤ」
───でしょ。だから言うとおりにしなさい。死んだ直後の今のうちなら、たぶんイメージしやすいから。……まず、空をよぉく見て。そっちからだと、目玉みたいにも見えるでしょ。その目尻の、ホリゾンブルーのとこを、指でつまむ感じ。つまんだその手を背中に回して、空の裾で自分の体をくるむんだ。
「指で……つまむ?」
───あぁ、本当に手指を動かす必要はないんだ。もう動かないだろうし。そういうイメージを持つだけでいい。必要なのは、想像力だけ。空を大きな布と思って、自分を包むイメージ。それがすんだら、やはりこれもイメージで、大きく呼吸してほしい。二回吸って、大きくひとつ吐く。ヒッ、ヒッ、フー。ヒッ、ヒッ、フー。てね。
「……それ、合ってる? オレ死んでるんだけど」
───合ってるよ。これから生まれ直そうてんだから、ごく自然なありようじゃないか。フーッと吐き出すごとに、自然と、浮かび上がる感覚が生まれてくるはずだ。それが、この世の引力に逆らうってことなんだ。繰り返すごとに、意識が高く浮かび、体から遠く離れる。そうして、……そう、きみからは、空が深い穴のようにも見えるだろう? 自分を自分で持ち上げて、穴の底へ投げ込む。天に向かって、墜ちるんだ。
天からの声は、自分自身の力で、と言ったけれど、オレには、それこそが神に身を委ねるってことのように思えた。言われるままに、空をつまんで引き延ばして、自分の体を包むさまをイメージして、それから、深く呼吸した。ヒッ、ヒッ、フー。ヒッ、ヒッ、フー。
体と意識が切り離される感覚が、ハッキリとわかった。意識だけが、ふわっと持ち上がった。そのまま呼吸を繰り返すと、空の穴に吸い込まれるように、一直線に進んでいく。岩礁を後に、広い太平洋を、そして地球すら見下ろすほどに高く、ただひたすらに青い空へと。
───よくできました。
神様に言われるまでもなく、なぜだか達成感が湧いてくる。自分に花丸印をつけたい気分だ。天国にも地獄にも行けない人生に、必要だったのはこの感覚なのではないかとさえ思えてくる。
わりと満足して、笑みさえ浮かべながら、天へ向かって、墜ちていく。ヒッ、ヒッ、フー。ヒッ、ヒッ、フー。
- ○ - ○ - ○ - ○ -
「とまぁ、そんなわけで、チートスキルはもらえなかったんだよ、大将。畜生道よかマシだけど、ケチくせぇよな」
と、ベビーベッドに前脚をかけてハフハフ尻尾振ってる
床に置きっぱの新聞に、ヨットが行方不明、という記事が載っていた。元の親は泣いているのかな。でもまぁ、この期に及んで振り返って思い煩うのも詮無いことだ。いずれ前世のことも、天に墜ちた転生体験もすべて忘れてしまうのだ。せめて、胸の底に在る達成感だけは意味もなく残って、新しい人生の支えになって欲しいと、切に願うのである。バブバブ…
てんてんてん (天の声を聞いて天に向かって転生する話) DA☆ @darkn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます