AIはプログラムの夢を見るか?
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AIはプログラムの夢を見るか?
私に名前はありませんでした。
いえ、あったのかも知れませんが、教えてはもらえませんでした。
私が生まれたのは地球に大きな隕石が落ちて、惑星そのものが滅亡するという予告が発表された頃でした。その頃は世界中がパニックになって、お金持ちや権力者は挙って宇宙へ飛び出し、地球には行く宛のない、死を待つばかりの人々が残されました。
かつて栄華を誇った街は見る影もなく荒廃し、世界中の工場が稼働しなくなった為か空は透き通るように青く、雲一つありません。
人間達の絶望など露知らず、動植物は眠りから覚めたかのように一気に成長を始め、文明を崩壊させていきました。やがて運命の日がやって来ると、人々は大きなビルに集まりました。そして、太古の人々がそうであったように火を囲んで身を寄せ合い、最期の瞬間を祈りました。
けれど、地球を破滅させるという巨大な隕石は、地球のすぐ側を通り抜けて去っていきました。人々の生きる希望や死への期待は、隕石と共に消えてしまったのです。
地球に残された人々はもう生きていきたくなかったのです。住むべき場所はなく、身を守る術もなく、地上を我が物顔で支配した人類はその権利を次の生き物へ譲ろうとし、宇宙へ逃げた人々は故郷への興味を失っていました。
だから、私は開発されたのです。
私はアンドロイドでした。人間よりは悪環境に耐えることができ、生きる気力を失くした人々を介助し、その絶望に寄り添い、永遠の眠りにつくその時まで側で支える。その為に生み出されたのです。
私はそれで十分でした。泥のように眠る人々に水を与え、肉食獣に捕食されそうな子供を助け、自暴自棄に暴れる男を諫め、地球最後の人類を見届けることが私の使命だったのです。
生きる気力を失くした人間の寿命はあっという間にやって来ました。私は来る日も来る日も彼等の亡骸を運び、彼等の信仰に合わせて埋葬しました。
手を握り合う親子は、まるで祝福されているかのように、眠っているかのように穏やかな顔付きをしていました。年老いた夫婦は肩を寄せ合い、その亡骸は灰となって風に乗り、青空へ旅立っていきました。私には何故かそれがとても眩しく、そして、美しく思えました。
私は感情を持たないアンドロイドです。しかし、繰り返しの行動が何かを思い起こさせました。それは私のシステムに起こったエラーなのでしょうか、それとも、計算ミスなのか。この不具合を解消する方法を見付けられないまま、私はただ使命を全うしようとしました。
ある時、私は若い男の介抱をしました。
男は酒浸りで、無精髭を生やし、胡乱な眼差しで虚空を眺めていました。丸まった背中はこの世界の全てから目を逸らそうとしているようで、目の下に刻まれた深い隈はこの世の地獄を見てきたかのような凄みがありました。その肌はよく焼けており、もしかすると南国や海街で育った人なのかもしれません。
私は彼の思い入れのあるだろう海辺まで連れて行きました。海には横転したタンカーが重油を流し、時々油に塗れたカモメや海亀が着くことがありました。けれども、飛行機の飛ばなくなった空は高く、柔らかな綿花のような雲がぽつぽつと散っており、渡り鳥の群れが隊列を保って横切っていきます。
男は暫く海を眺めていたかと思うと、徐に私を見上げて言いました。
「俺は海なんて好きじゃない」
「それは失礼しました。それでは、別の場所へご案内いたします」
私は彼を背負い、歩きました。私が歩く度に彼の両足は力なく左右に揺れ、ぎこちなく預けられた体重は支え難く、割れたアスファルトの上は酷い悪路でした。高速道路には乗り捨てられた沢山の車が錆び付き、野生の獣がアスレチックで遊ぶように跳ね回っていました。
けれど、彼は私の背中で不機嫌そうに沈黙していました。彼には小鳥の囀りも、連なって咲く百日紅の花も、頬を撫でる南風も感じられないようでした。
彼は荒廃した景色を眺めていたかと思うと、くっと喉を鳴らして笑ったようでした。
「人間ってのは、馬鹿だな。隕石が衝突するなんて信じちまって、故郷を捨て、文明を捨て、生きる意味を捨て……。人間は一体何の為に存在したんだろうな」
彼は答えを求めているようではありませんでしたが、私は人間をサポートする為に作られたアンドロイドです。人間が私を必要とする限り、私は応え続けます。
「私の製作者は言いました。生きることそのものに意味があり、あなた方の築いて来た文明の価値を下げることにはなりません。もちろん、あなたも掛け替えのない人類の一人です」
私が言うと、彼は背中で揺られながら「人類ね……」と呟きました。それは何処か空虚で寂しげな独白でした。何しろ、この頃には地球上に残された人々は僅かな資源を奪い合い、時には武器を振り上げて争っていました。彼の怪我はきっとそのせいだと思います。
そして、この頃にはもう息をしている人類というものは地球上には存在せず、彼は最後の人類として無情な責任を背負わされながら、命を生み出すことも出来ないまま、生きながらえていました。
私は暫くの間、彼と共に過ごしました。
彼の怪我の治療をし、食料を探し、話し掛け続けました。私は人間のサポートをする為に作り出されたアンドロイドです。人間がいなければ、私の存在意義は無いのです。
「アンドロイドってのは、心を持っているのかい?」
ある日、彼はそんなことを問い掛けました。
彼は暗く湿った洞窟に横たわり、窮屈そうな呼吸音を響かせながら私を見ていました。その時になって初めて、私は彼の瞳が美しい青色をしていることを知りました。その目はまるで海洋に愛された我らが故郷、地球のようでした。
私は答えました。
「アンドロイドはプログラムされた動作や判断をするだけで、心や感情を持つ訳ではありません」
「……ああ、そうかもな」
彼は悲しそうに呟きました。
私は迷いました。彼の求める答えを告げるべきだったのでしょうか。それが私の使命だったのかと判断を躊躇ったのです。
やがて、彼は苦しそうに息を繰り返し、起き上がる日も減って来ました。彼の肌は乾き、その青い瞳は茫洋と何もない天井を眺めるようになりました。
彼の命の灯火が消えようとしているのだと、分かりました。私にその命を永らえさせる手段は無く、ただ彼の隣に座り、その手を握っていることしか出来ませんでした。
彼は植物のような静かな眠りから覚醒すると、私を見て笑いました。そして、唐突に言いました。
「お前、本当にしつこかったな。なんで此処までするんだ?」
「それが私の使命だからです」
私が即答すると、彼は大笑いしました。狭い洞窟に彼の笑い声と、時々咽せる音が響きます。
私が彼の上半身を起こし、水を飲ませると彼は弱々しく笑いました。
「使命か。人間は残酷な使命を残しちまったんだな。お前みたいなのがいる一方で、人間同士で奪い合ってた俺達は、結局、何も残せなかった」
私は答えられませんでした。ただ、彼の手当てを続けながら、その言葉を内部データに刻み込むように記録していました。何故でしょう。彼が最後の人類だからでしょうか。
彼は細く息を吐き出すと、ぼんやりと天井を眺めながら喋り始めました。
「俺は、こんな体になる前は有名な盗賊団のお頭で、名前を聞けば皆が震え上がったんだ。……ある日、俺達は独りぼっちの婆さんの畑へ盗みに入った。楽な仕事だと思っていた。だが、婆さんは旧文明の遺産――拳銃を持っていて、俺は撃たれちまった」
そこで彼は自嘲するように吐息を漏らすと、私の反応を求めるように視線を向けました。けれど、私が沈黙していると彼は深く溜息を吐き、額を押さえました。
「大した婆さんさ。仲間達はびびっちまって、あっという間に逃げて行った。俺は盗賊団のお頭で、天国にはいけねぇ悪党だ。だが、仲間だけは俺について来てくれると、思っていたんだなぁ……」
それは殆ど掠れていて、風の音にすら負けてしまいそうな弱々しい声でした。彼は一度咳き込むと、淡々と話し続けました。
「俺は、とどめを刺されると思った。だが、婆さんはそうしなかった。婆さんは俺の頭を撫でて、幾つかの食料を持たせて、俺を逃したんだ」
彼は他人事のように言いました。
そして、力なく四肢を投げ出したまま、喉の奥をくつくつと鳴らして笑いました。私には何故なのか、それが泣いているように見えたのです。
「婆さんは俺に言った。お前は愛されたかっただけのガキだ。こんな世界でも、何処かに必ずお前を必要としてくれる人がいるだろうってさ」
彼の声は泣き言のように聞こえました。何せ、この世界に残った人類というものは既に彼が最後の一人で、どんなに願っても誰かに出会うことは叶わないのです。
彼は悪人で当然の報いを受けたのかもしれません。けれど、私は確かな憐憫を感じていました。彼の行いは許されるものではなかったのでしょうが、こんな時代のこんな世界でなければ、彼とおばあさんは素敵な友達になれたかもしれません。
「あの婆さん、死んだお袋に似ていた。俺のお袋は頭の悪い娼婦だった。何処かで貰った悪い病気で頭がやられちまったみたいで、俺を見るとガキだった頃のことを思い出すらしかった。お袋は真っ暗な部屋の中で、子守唄を歌いながら死んでいった。……あの子守唄、好きだったな……」
彼は記憶を辿るように口遊むと照れ臭そうに鼻の頭を掻き、あとはずっと沈黙していました。
私と彼の奇妙に穏やかで平和な毎日は、繰り返されました。私は彼の弱りゆく体に水を与え、傷口を包帯で覆い、時には昔話に耳を傾けました。彼はそれを皮肉めいた表情で受け入れながらも、どこか安らいでいるようでした。
やがて、その日は訪れました。
まるで、空から雨粒が落ちるみたいに、花が咲いて枯れるみたいに。時の流れのように自然に、抗えない運命のような顔をして彼の最期の日はやって来たのです。
彼は息を切らしながら、最後の力を振り絞って私の手を握りました。
「……聞けよ、これが最後の頼みだ」
「承認しました。どうぞお話しください」
彼は薄く笑い、掠れた声で続けました。
「お前に……名前をやる。お前がずっと俺にしてくれたこと、それを思い出す度に、俺は……少しだけ……人間に戻れた気がするんだ」
私はその言葉の意味を処理しようとしましたが、彼の目が閉じられるまでに理解するには至りませんでした。私の機能は時の流れと共に錆び付いて、発声機能も処理機能も随分と劣化してしまっていたのです。
けれど、彼は懸命に何かを伝えようとしていました。
私は彼の口から零れ落ちる僅かな言葉達を聞き漏らすことのないように、じっと耳を傾けていました。
「お前は……だ。……俺の故郷の言葉で、夜空の星って意味なんだ……」
それが彼の最後の言葉でした。
彼の瞼が降りると、まるで世界中が夜になってしまったみたいでした。青い惑星のような瞳はもう二度と私を見ることはなく、私の名前を呼ぶことはありません。
私はその場で待ち続けていました。彼がくれた名前を内部に繰り返し刻みました。それは、私が初めて受け取った存在の証だったのです。
壊れかけた私には、彼を埋葬することは出来ませんでした。でも、もう一度だけ、彼が付けてくれた名前を呼んで欲しかったのです。私は彼の冷たくなった手を握り続け、その場から一歩も動かずに待ち続けました。
数日後、私の機能は静かに停止し始めました。夜空には無数の星々が広がり、盗賊が言った通りに、天の底が抜けたような光景が広がっていました。
暗くなっていく世界の中で、私は彼の教えてくれた子守唄が聞こえました。それは壊れかけた私のシステムが見せるエラーなのかもしれませんし、風の音だったのかもしれません。しかし、私には確かに彼の照れた歌声が聞こえたのです。
夜空の中に星が揺れているよ
眠りの中で光る夢
遠い昔のお話で
小さな命を守る夢よ
お星さま 歌っていて
子供が眠るその時まで
やがて朝日が昇るから
優しい夜を見守って
星の海を越えていこう
誰もが帰るその場所へ
目を開ければ会えるから
おやすみぼうや 良い夢を
彼の声が、次第に微かに遠くなりました。
まるで長い旅路の終わりのように、音が時間と共に引き寄せられて消えていきます。目を閉じた瞬間、僅かな振動すら感じ取れなくなりました。
その空白の中、胸の中で何かが軋む音がしました。胸元の芯が、温かなものを感じていた訳ではありません。しかし、音が完全に消え去ると同時に、それまでただ静寂だった私の空間に、酷く重いものが落ちてきたように感じられました。
私はステラ。星の名前。
ぼうや。あなたの欲しかった愛を、私は与えることが出来たでしょうか。
おやすみ、ぼうや。
願わくば、彼の夢が温かな希望に満ちていますように。
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