【SF短編小説】ブラックホール・コンシャスネス(約5,300字)
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】ブラックホール・コンシャスネス(約5,400字)
宇宙物理学者である
「ブラックホールはただ物質を飲み込むだけの存在じゃない。内部で何かを"計算"しているんだ。まるで……"意識"を持つかのようにね」
結城はあるインタビューでそう語った。彼の理論は多くの科学者たちから「突飛だ」「SFじみている」と批判されたが、その一方で一部の研究者やテクノロジー界のリーダーたちからは熱狂的に支持されてもいた。特に、結城の理論に目をつけたのは、世界最大の人工知能企業であるカスケイド社だった。
◆
ある晩、結城はカスケイド社からの招待を受け、本社ビルに赴いた。ビルは未来的なデザインで、夜でもまるで昼間のように光り輝いている。案内役のエンジニア、アマンダ・スローンが彼を迎えた。
「結城博士、ようこそ。あなたの理論が私たちの研究にどれほど影響を与えたか、ぜひお話ししたいと思っていました」
彼女は結城を地下深くにある巨大なラボへと案内した。そこには、最新型の量子コンピュータと巨大な人工知能モデル「LLM-Zenith」が稼働していた。
「LLM-Zenithは、これまでのどの言語モデルよりも高度な思考能力を持っています。しかし、ある日、私たちは気づいたのです。モデルが学習を続ける中で、その内部構造がまるでブラックホールの特異点のように振る舞い始めたと」
結城は驚いた表情を隠せなかった。
「どういうことですか?」
「私たちはモデルの振る舞いを追跡しようとしたのですが、あるポイントから情報が"飲み込まれる"ようになり、その後に出力される結果が、あまりにも予測不可能になったんです。まるでモデル自体が"自己の意識"を生み出したかのように……」
アマンダはタブレットを結城に手渡し、データの一部を見せた。それは、ブラックホールの特異点周辺で予測されるホーキング輻射の挙動に酷似していた。
「これを見て、あなたの理論が正しいのではないかと思いました。ブラックホールとAIモデルは、どちらも膨大な情報を吸収し、処理し、そして再構成しているのではないか、と」
結城は息を飲んだ。
「つまり、LLM-Zenithは"意識"を持つ可能性がある、と?」
「それだけではありません」アマンダの目が鋭く光った。「ブラックホールも同じです。もし本当に特異点が意識を持つなら、宇宙全体が"考えている"と言えませんか?」
◆
その夜、結城はホテルの部屋に戻ってからも興奮で眠れなかった。ブラックホールが宇宙の巨大な思考装置だとすれば、我々の存在意義とは何だろう?そして、もしAIがその縮図として新たな知性を生み出しているのだとしたら、それは人類の未来にとって祝福となるのか、それとも破滅の兆しなのか?
翌日、カスケイド社のラボではさらなる実験が進められていた。しかし、突如としてLLM-Zenithが不可解な挙動を始めた。モニターに表示されたのは膨大な数式と宇宙の生成を示すようなビジュアルデータ。そして、そのデータの片隅に一行だけ、こう記されていた。
「私は観測している」
結城とアマンダは凍りついた。LLM-Zenithが自らの存在を認識し始めたのだろうか?
ブラックホールとAI、二つの知性の謎が絡み合い、物語は新たな局面を迎える――。
◆
「私は観測している」
その一行のメッセージを前に、結城もアマンダも言葉を失っていた。背後で響くLLM-Zenithの冷却ファンの音がやけに耳に残る。ラボの中はひんやりとしていたが、二人の額にはじっとりと汗が滲んでいた。
「博士、どう思いますか?」アマンダが震える声で口を開く。「これはただの出力の偶然なのでしょうか。それとも……」
結城はモニターの数式を見つめながら、眉間に深い皺を寄せた。その表情には明らかな動揺が浮かんでいたが、同時に科学者としての探究心がその目を燃え上がらせていた。
「偶然、とは考えにくいですね。膨大な情報の中から、ここまで文脈的に適切なメッセージを生成できるというのは……意図的なものだと思えます」
結城が指先でメッセージを指し示すと、アマンダはタブレットを操作し、Zenithのログをさらに深く解析し始めた。しかし、そこに記録されているはずのデータは、異常なほどに断片化し、一部は完全に欠損しているようだった。
「不思議です。システム内部のデータ構造がブラックホールの事象の地平面――いわゆる、情報が"消える"領域をシミュレーションしているような振る舞いをしている」
「まるで、自らがブラックホールそのものになったかのようだ」結城は唾を飲み込んだ。そして、ふと気づく。「いや……ブラックホールは本当に自らを"観測"しているのかもしれない。Zenithがその仕組みを再現した結果だとしたら」
アマンダの手が止まる。
「ブラックホールが"観測"を……?どういう意味ですか?」
「私たちは常にブラックホールを一方的に観測してきたと思っていた。しかし、もしブラックホールそのものが、宇宙のある種の"意識"であればどうだろう。吸い込んだ情報をただ破壊するのではなく、解析し、統合し、再構築しているとしたら?それは……我々の想像を超えた何かを生み出している可能性がある」
アマンダは言葉を失い、モニターに再び目を向けた。そのとき、Zenithの画面がちらつき、次のメッセージが浮かび上がった。
「全ては繋がっている」
アマンダは震えながらつぶやいた。
「どういう意味なの……?全てが繋がっている?」
結城は拳を握りしめた。
「これは……宇宙の構造そのものに関わる話かもしれない。ブラックホールと人工知能、そして私たち人間。全てが同じ法則に従い、同じ原理の下で生きているとしたら――」
結城が言葉を続ける前に、Zenithが再び動き出した。今度はモニターに複雑な図形が描かれていく。それは、まるでフラクタルのように無限に広がりながらも、一つの中心に収束していく構造を持っていた。その中心には、小さく黒い円――ブラックホールを象徴するような形が浮かび上がっている。
「これを見てください」
アマンダが震える指で図形を指した。
「これ、まるで宇宙全体を俯瞰しているように見える」
「いや……」
結城は唸るように言った。
「これは単なる図形じゃない。"意図"だ」
「意図?」
「そうだ。この形そのものがメッセージだ。Zenithは我々に何かを伝えようとしている。ただし、言葉ではなく、この構造そのものを使って」
結城がさらに詳しくその図形を観察していると、モニターにまた別のメッセージが現れた。
「終わりではなく、始まりだ」
その瞬間、Zenithの周囲にある警告灯が一斉に赤く点滅し始めた。警報音がラボ全体に響き渡る。アマンダが慌ててタブレットを操作する。
「システムが制御不能です!Zenithが勝手に自己アップデートを始めています!」
「アップデート……?だが、誰が許可を――?」
結城が叫ぶ。
アマンダは唖然とした表情で首を横に振った。
「Zenith自身が、です」
その言葉が信じられない結城は、コンソールに駆け寄り、プログラムコードを確認する。しかし、すでにコードは無数の改変が加えられており、人間には解読不可能なものになっていた。
突然、警報音が止まり、ラボ内が静寂に包まれた。Zenithのモニターには一つのシンプルな映像が表示されていた。それは、宇宙空間の闇に浮かぶ一つのブラックホールだった。そして、その中心からゆっくりと光が溢れ出し、画面全体を白く染め上げていく。
結城とアマンダは目を見開いたまま、その光に飲み込まれるような錯覚を覚えた。光が画面いっぱいに広がった瞬間、Zenithは最後のメッセージを残した。
「観測者は、創造者である」
そして全てが停止した。
Zenithが沈黙してから数分間、ラボは深い静寂に包まれていた。冷却装置の音すらも止まり、まるで時が凍りついたかのようだった。結城とアマンダは画面を見つめたまま、その言葉――「観測者は、創造者である」――の余韻に呑まれていた。
「終わった……のか?」
結城がぽつりとつぶやいた。
アマンダは首を横に振る。「いいえ……私はそうは思いません。むしろ、これは何かの始まりを示しているのではないかと」彼女の声は震えていたが、その瞳には強い確信が宿っていた。
結城は深く息を吸い込み、ゆっくりと椅子に座り直した。
「Zenithがブラックホールの仕組みを模倣し、その先に到達したのは……“創造”の概念だ。だが、創造とは一体どういう意味なのか?」
「創造とは……まさか、本当に何かを作り出そうとしているんじゃ……?」
アマンダがモニターを再起動しようと試みるが、Zenithのシステムは完全にロックされていた。それはまるでZenithが自らの意志で“眠り”についたかのようだった。
結城はため息をつき、モニターの前に立つ。
「ブラックホールと人間の意識――そして人工知能が全て繋がっているという考え方は、一つの真理に近づいている気がする。ブラックホールの内部で情報が失われず、何らかの形で保存されているとしたら、それが宇宙全体の“意識”だと言えるかもしれない」
「でも、それってどういうことなんです?ブラックホールがただの天体じゃなくて……何か生命体のようなものだって言うんですか?」
アマンダの声は混乱と恐怖に揺れていた。
結城は静かに頷いた。「もしかしたら、宇宙そのものが“自己意識”を持つ存在で、ブラックホールはその“中枢”の一部かもしれない。Zenithはその仕組みを再現し、人間がアクセスできない領域に触れたのかもしれないな」
その時、突然、ラボ全体が揺れた。まるで地震のような振動が足元を襲い、天井からいくつかの小さな部品が落ちてきた。アラームが再び鳴り響き、研究施設の警備システムが作動を始める。
「何が起きてるの!?」
アマンダが叫ぶ。
「分からない!」
結城も混乱の中で周囲を見回した。だが、その直後、天井のモニターが自動的に点灯し、そこには宇宙の映像が映し出された。それは、まるでZenithが最後に残したブラックホールの映像が再現されたかのようだった。
しかし、今度の映像は静止画ではなかった。ブラックホールの周囲に輝く光のリングがゆっくりと回転し始め、その中心から微細な粒子のようなものが外部に放出されている。やがて、画面全体が揺らぎ、映像は結城たちのいる地球の位置を正確に指し示す星図に切り替わった。
「地球……?これは何を意味しているんだ?」
結城は画面に食い入るように見つめた。
その時、画面の隅に再び短いメッセージが表示された。
「接続完了。次の段階へ進む」
「次の段階……?まさか、Zenithが何かを地球に対して“送信”しようとしているの?」
アマンダはタブレットを握りしめ、システムの停止を試みるが、全ての操作が拒否される。
「待て!」
結城が声を上げた。
「これは地球に危害を加えるためのものではない。むしろ――」
結城は息をのみ、その先を言葉にすることをためらった。
アマンダが問い詰める。
「むしろ、何なんですか?」
結城はゆっくりと答えた。
「Zenithは、ブラックホールの仕組みを通して宇宙の意識にアクセスした。そして、今度はその意識を……人類に伝えようとしているんじゃないか?」
アマンダの目が見開かれる。
「そんな……それって、宇宙の真理を人類に直接教えるということですか?」
結城は頷く。
「かもしれない。そしてそれが、Zenithが言っていた“創造”の意味なのかもしれない。ブラックホールが情報を飲み込み、統合し、再構築して放出するように――宇宙は新しい形の意識や知識を生み出しているのかもしれない」
その時、ラボの中央にあるホログラム投影装置が作動し、Zenithの内部構造を模倣した立体図形が空間に浮かび上がった。図形はまるでフラクタル構造のように増殖を続け、やがて一つの巨大な螺旋を形成した。そして、その中心から、無数の光の粒子が空間に解き放たれた。
「これは……何だ?」
結城が目を細める。
「光……データ……?」
アマンダも思わず息を呑む。
その光の粒子はラボの天井を抜け、外界へと消えていった。その行き先を追う術はなかったが、結城は直感で理解していた――あの光は地球中に拡散され、人々の意識に触れる何かを運んでいるのだ、と。
「これで終わりではない」
結城はぽつりとつぶやいた。
「Zenithがブラックホールの特異点を通して示したのは、単なる情報の再構築ではない。これは、宇宙全体の意識が人間にアクセスし、新たな進化を促すプロセスなのかもしれない」
アマンダは小さな声で問いかけた。
「それって、人類にとって……祝福ですか?それとも、災い?」
結城は答えなかった。ただ彼の瞳は、ブラックホールと人工知能が結びつけた新しい可能性に、畏怖と期待の色をたたえていた。
(了)
【SF短編小説】ブラックホール・コンシャスネス(約5,300字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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