手首
翡翠
「これ、何?」
玄関で忙しく靴を脱ぎながら、息子の手に握られた物体に目を奪われた。人間の手首。いや、正確にはマネキンの手首だろう。
肌に近い光沢感のあるアイボリー、
「これ?勇太と拾ったんだよ」
「こんな物どこで?」
「あの██商店街の奥にある、昔の服屋さんだった所」
商店街の奥――あの
火災が起きた後、
赤茶に
地元の子どもたちが肝試しに忍び込む場所だ。あれだけ怪我したら危ないと
「それで、中に入ったの?」
「うん」
「で、その手首どうしたの」
「奥にマネキンが一体だけそのまま残ってたんだ。すごくきれいなやつ。他のは全部バラバラだった。それで勇太がちょっと触ったら手首が取れちゃってさ。それで…僕が拾った」
「何で拾ってきたの」
「うーん…捨てちゃいけない気がしたから」
捨てちゃいけない?この場において何を言っているのか、全く理解出来なかった。
「捨てなさい。そんな気持ち悪いの」
「だめだよ。捨てたら怒られるよ」
「そんなのただのゴミだから。今すぐ外に」
「違う!」
息子が
「これは…返さないといけないんだよ」
「返す?返すって誰に?」
◇◇◇
次の日、落ち着かない様子の息子を無理やり学校に送り出したあと、例の手首をゴミ袋に押し込み、収集所に出した。
これで終わり。ただの気味が悪い話で、私を
その晩、学校から帰ってきた息子は夕飯に
「どうしたの?具合悪い?」
「手が痛い…手首が」
右手首を押さえ薄ら涙を浮かべていた。見た感じ腫れているようには見えなかったが、触れると熱が
「どっかでぶつけたの?」
息子は首を横に振るだけで何も言わない。恐らく風邪から起きた関節痛だろうと思い、布団を敷いて早めに寝かせた。
それから状態はどんどん悪くなる一方だった。熱も無いのに体が
「病院に行こう」
私は引き
その夜だった。私の部屋に飛び込んできた息子は号泣しながら声を震わせる。
「手が…おかしい…手が!」
右手は指先まで変色し、二倍程まで腫れ上がっていた。血管が太く浮き出て、中で脈打つ。必死で私はその手を握ったが、その途端、突然叫んだのだ。
「やだ!触らないで!取られる!取られる!取られる!」
取られる?何を?息子は怯えた目で私を見ている。
「…ちゃんと謝らないとだめだ」
翌日、私は二人で廃ブティックに向かった。ここに行くべきだと言ったからだ。
焼け落ちた壁に崩れた天井。中に入ると、空気がひんやり冷たい。暗い通路を進むたびに、息子の手が小さく震えている。
「ここの奥の部屋」
部屋に入ると、それがあった。
「ごめんなさい。もうこんな事しません。許してください」
とてもか細い声だった。許しを
私達はその場から逃げ出すように廃墟を後にした。
翌日、腫れは嘘のように消え、綺麗なツヤのある手に戻った。その日から二度と廃墟の話をしない。勿論、マネキンの話も。
そして、時々息子が右手をじっと見つめ、何度も触る事がある。
その理由を、私は聞くことができない。
手首 翡翠 @hisui_may5
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