第2話 怪奇

地面にあいた大きなくぼみの中から空を眺めている。吐き出す息が白い。冬か。手袋をしていても指がじんじんしている。星がきれいだ。星が。

ざっざっと、落ち葉を硬い靴底が踏みつける音がする。僕は穴の中で息を殺してそれを待ち構える。夜間の森の中だ、一人で行動している可能性は極めて低い。木々の隙間から、音の主たちが垣間見える。一人…二人…。二人か。しばらく、それを眺めていたが、他に人影は確認できない。夜の森は音が響く。異国語が小さく聞こえてきた。黒だ。小銃を構えて、照門を覗く。引き金の遊びを指でギリギリまで絞り、息を止める。バン!森に銃声が響く。異国語の叫び声と冷静さを欠いた足音が聞こえる。引き金を引いた指は流れるように次の弾を撃ちだせるように準備する。そしてまた、引き金の遊びを引き絞り息を止める。バン!僕の撃ちだした弾は、伏せようとした敵の頭に吸い込まれた。敵はそのまま倒れて動かなくなった。しばらく時間をおいて、塹壕からよっこらせと這い出る。着剣した小銃を構えて、できるだけ音を消しながら、先ほど撃った敵のもとへ向かう。弾の消費はできるだけ最小限に抑えたい。いかんせん、物資が乏しい。節約したい。

敵のもとへ近づくと、両方とも事切れていた。しかし念には念を。油断大敵火はぼうぼうだ。先ほどまで生きていたそれに、僕は銃剣を突き立てる。自分のためにも、仲間のためにも、与えられた仕事は万全を期すべきだ。

ガサガサ、後方の茂みから何やら音が聞こえて振り返る。視界に敵の軍服見えた時には大体もう遅い。僕はすぐに来るであろう衝撃に目をつむった。


バン。


夜の闇に音が響く。ん…痛くない。恐る恐る目をあけると、敵は地面に倒れ伏している。

『危なかったな。無事か?』

ガサガサと駆けてきたのは…。


『ちょっと、ちょっと!大丈夫?』

はっ!っと目覚めた。酸素を求めて息を吸う。何度か大きく呼吸をして、少し落ち着いて手汗が酷いことに気が付く。変な夢。僕は人を…。助けてもらったのに、顔が…。無事か?と声をかけてくれた相手の顔は靄がかかったみたいに見えてわからなかった。ああ、すごくリアルな夢だった。


『うなされてたよ。怖い夢でもみたん?』


そして変なことがもう一つ。ぬいぐるみが僕を心配しているという現実。頬をつねってみるが普通に痛い。こちらはやはり夢ではないらしいのだ。

 先日、失恋して帰って、疲れた僕は部屋に入るなり布団に倒れこんだ。ぼふっと、布団に倒れて膝を抱えるように丸くなる。疲れたから、このまま寝てしまおうか。そうおもって、傍らにあるだろう毎晩一緒に寝ているくまのぬいぐるみ、通称ジュリエッタを抱っこするために手探りで探す。

『…あれ…なくね?』

探そうとおもい起き上がろうとすると…ぼふん。何か、ふわふわで柔らかいものが顔に押し当てられる。この落ち着く匂いと毛並みは間違いなくジュリエッタ。あれ、灯台下暗し?僕の下にあったのか?

『おかえり。ずいぶん遅いお帰りだったな。』

んん?誰か、だれかいますか?何かが耳元でしゃべっている。しかもなかなかのイケボ。誰だよ。僕は布団から跳ね起きて、電気をつける。マジで、お前はだれだ?

『おかえりっていってるのに、まったく返事もなしかよ。』

僕にしゃべりかけているのは、ジュリエッタだった。

『な、な、な、なんで!』

『そりゃ、驚くか』

『なんで!そんなにイケボなんだよぉぉ!』

『お前突っ込むとこそこかよぉぉぉ!』

ジュリエッタは、布団をバシバシとたたきながら言う。

『いや、突っ込むところおかしいだろ!まずぬいぐるみである俺が、しゃべっている不思議に突っ込めや!仕事しろや違和感!』

『すいません、あまりにイケボだったもので。そもそもカワイイから女の子の名前つけたつもりだったのに、なんでそんなにイケボに?いや、なぜに?』

『そういうとこだぞ!だから、他人に心をもてあそばれんだよ!仕事しろ違和感!』

ぐぅのぐの字も返せない。その通りだ。なにか気になる点があるたびに都合のいい解釈をつけて、違和感を無視してきた。おかしい。変だ。不自然だ。この三年間、違和感がそう訴えるのを僕は無視し続けてきたのだ。にしても、ぬいぐるみが喋って動いてるって、夢。夢なのか。僕は頬をつねる。うん。痛い。現実?もしかして、痛いのもリアルな夢?

『夢じゃねぇから、もうそれ離せ。結構いたそうじゃんか。』

そういわれて、頬をつまんだままさらにツイストさせていた手を離した。うん、痛かった。ジュリエッタはポンポンと布団をたたく。

『ほら、もういいから。こっち来て寝ろ。まったく夜遊びばっかしやがって。もう深夜だ、お前明日仕事だろ。』

『睡眠時間短くてもちゃんと起きれるんで大丈夫です。』

僕は布団にもぐりながら答える。

『お前ね。自分に大丈夫って言い聞かせてるけど、実際心ってそんな単純なもんでもねーですよ。一つ世界をぶっ壊して来たんだから、たまには自分労わってやってもいいんじゃねーの?』

『僕は無理はしない主義です。適度にガス抜きして生きてますからご心配なく。』

ジュリエッタは僕の隣に寝ころび、ポンポンと頭をなでてくる。

『知ってるよ。こちとらお前が生まれた時からずっと一緒にいるんだ。だけどな、そんなお前が、割と無理して毎週通ってたのも、相手のために考えて食事作ってたのも、掃除やその他もろもろ一生懸命やってたのも俺は知ってるんだよ。』

『…それでも、ずっと都合よく使われて、僕は馬鹿で間抜けだ。僕は僕が嫌いだよ。』

『でも、お前なんか頑張ってたじゃん。一生懸命だったじゃん。』

『…。』

『そこは、俺ちゃんとわかってるから。自分の事を都合のいい人間だとか、下げてやるなよ。』

鼻と口と目。それらは全部つながっている。

『誰かに何かしてあげようって純粋な気持ちって、なんにも悪いことないだろう。たとえ、都合のいいように使われていいたのが真実だったとしても、それは関係ない。お前は相手を愛していて、相手のために純粋に行動に移した。これは、愛と呼ばずに何と呼ぶ。お前はすごく愛情深いやつだよ。』

目に集まる水分とが、きっと鼻の方にも流れて、のどの方にも流れている気がする。

息ができない。そう、頑張った。頑張ったのだ。でも、結果の伴わない頑張りなんて無意味だとか、そんなことをあの子から常日頃聞いていたこともあって、結果の伴わない頑張ったにずっと蓋をしていた。ああ、そうか。僕は頑張ったんだ。

『俺は、頑張ってたの見てたぞ。』

なんかずっとモヤモヤしていたけれど。頑張ったことを、そんなこと当然だって、自分に鞭を打っていたんだ。

なんだか、モヤモヤがすっと晴れたのと、安心する匂いと頭をなでられているので、目からぼとぼとと水分が滴った。

『泣いてもいいけど鼻かんでから寝ろよ。お前、泣きながら寝ると鼻詰まって呼吸できなくなるんだから。』

その晩僕は、ジュリエッタのふわふわの身体を抱きしめていつのまにか眠りについていた。


そんなわけで、僕のぬいぐるみは何故かしゃべって動く不思議ちゃんになってしまった。









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君の世界をぶっ壊した日 @sanzunokawa1186

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