第39話 支え合う人

 他方、前を行く馬車の面々──パウルと王女と護衛二名は、背後の騒ぎをつぶさに見ていた。


「王女様、あれは……!」


 パウルが問うと、


「きっと私を殺そうとしたんだわ。前も、暴漢に襲われそうになったことがあったの」


とブリュンヒルデが言う。パウルは驚きに目を見開いた。


「前も……!?」

「今回で二度目」

「そんなこと、冷静に言わないでください」

「……覚悟は出来てますから」

「!それはどういう意味ですか?」

「死ぬ覚悟、ということです」


 パウルは首を横に振った。


「そ、そんなことを簡単に言っては駄目です」


 ブリュンヒルデはきょとんと瞬きをする。


「生きる覚悟をしているやつが一番偉いんです。無様にはいずり回っても、最後まで生き残ってる奴が一番偉い」


 王女は彼からの思いがけない熱い言葉に、胸を押さえた。


「そうね……本当。あなたの言う通りだわ」

「ローヴァイン公爵ならきっと大丈夫です。ああ、ほら……」


 背後から、二頭の人馬が駆けて来るのが見える。


「ああ、良かった……!」

「王宮まで、あと少しですよ」


 その時だった。


 護衛二人がやおら立ち上がり、ひとりが王女を羽交い絞めにしたのだ。


「……おい、王女様に何をする!」


 パウルは急なことに立ち上がって王女を助けようとしたが、そのみぞおちを、もうひとりに殴りつけられた。


「ぐっ……」


 パウルは目を閉じ、その場に崩れ落ちた。


「……パウル!」


 王女が叫ぶと、その口を護衛に塞がれる。ブリュンヒルデはじたばたと暴れた。


「よし、御者を落としてお前が手綱を握れ。そのパウルとかいうのも馬車から落とすんだ」


 ブリュンヒルデは真っ青になった。まさか近衛兵の中に王子の仲間が潜んでいたとは。


 護衛は仰向けになって失神しているパウルを足で押し出し、馬車から蹴り出そうとした。


 その瞬間。


 パウルは急に目を開いて、その護衛の股間を蹴り上げた。


 護衛がひるんだ隙に身をよじると、ブリュンヒルデは忍ばせていた小型ナイフを懐から取り出して背後の護衛の太ももに突き立てた。護衛は痛みに叫ぶと、腹いせのごとく王女の顔面を殴りつける。パウルはそれを見て怒りに立ち上がり、揉み合いながら護衛を王女から引きはがし、馬車から追い落とした。その衝撃で、馬車は右に左にきしんだ。


 すると、御者がようやく騒ぎに気づいて馬車を止める。


 ひとり馬車に残された護衛は唖然としていた。


 後方から、テオとトビアスが追いつく。


 臀部から血を流して地面に転がる一名をトビアスが手際良く簀巻きにし、馬車に残されたもう一名も、パウルとテオによって縛り上げられた。


 ブリュンヒルデの頬は真っ赤に腫れ上がっている。


「……証拠がそろっているな。このまま王宮に急ぐのだ」


 テオはそう御者に指示すると、王女と簀巻きの護衛たちと賊を乗せて馬車に乗り込む。トビアスとパウルは馬に乗った。


 あっという間の出来事だった。


 テオは護衛の顔を眺めながら問う。


「二人とも、私の顔は覚えているだろう」


 護衛たちは深刻な顔をして黙った。


「入隊時から知っている二人がこんなことをするには、何かのっぴきならない事情があったんだろう?例えば──パトリック王子からの指示があったとか」


 護衛たちは少し青くなるが、表情を変えなかった。


「ふむ、やはりな。せっかくだから教えといてやるが、君達、諜報員には向かないよ。顔に出過ぎるきらいがあるからな」


 遠くに王宮と街並が見えて来る。




 王宮前はこの馬車が着くと騒然となった。


 赤く頬を腫らした王女、簀巻きにされた近衛兵二名、それからテオ。


 パウルも、馬から降りるとその場に崩れ落ちてしまった。


 ブリュンヒルデはパウルの前にしゃがむと、


「一緒に医務室へ向かいましょう」


と声をかける。パウルが力なく頷くと、近くにいた兵士に支えられ、彼は王宮内の医務室へと運ばれて行った。王女も共に医務室へと向かう。


 テオは騒ぎを離れると、真っ先にトラヴィス王の寝室へ向かった。


 兵が、全てを察したように扉を開ける。


「……陛下」


 ベッドには、すっかり痩せた体を横たえたトラヴィス王がいる。


 残された時間の少なさを感じ、テオはぎゅっと唇を噛んだ。


「おお、テオ……何やら下が騒がしいが、何があった」

「陛下。王女様の乗った馬車が、道中、賊に襲撃されました。更に、近衛兵がパトリック王子にそそのかされ、王女様に乱暴狼藉を働いたのです。これらがいちどきに起こるのは余りにも不自然ですから、賊も王子に雇われたと見るのが自然でしょう」

「む……そうか」


 トラヴィスはテオより十も若いし、かつては肥えていた。だのにテオよりだいぶ歳を取ったように見える。


「パトリックめ……ここまで来ると、もう容認は出来んな」

「私もそう思います」

「とりあえず、パトリックを捕らえよ」

「仰せのままに」

「くそっ。パトリックがあちこち飛び回り、うかうか死んでられん。譲位でなければ、安心して娘に跡を継がせられぬ」

「とはいえ、譲位前にまた何があるか分かりません」

「譲位前に、王子派の洗い出しと殲滅をせねば……」

「やはり時間がかかります」

「王女をあちこち動かすのは危険が伴うからやめよう。なあ、テオよ」

「?」

「ブリュンヒルデが即位するまでの間だけでいいから──お主、王宮内に留まる気はないか」


 テオは目を剥いた。


 一番に考えたのは、マリアのことだった。


「いや……陛下、急に何を」

「味方はひとりでも多く、近くに置いた方がいい。兵士も信用ならないとなると、こうするしかないのだよ。寝室係を全て王宮に呼び寄せ、ブリュンヒルデの即位まで彼女に危険が及ばないようにしたい」

「しかし……」

「おおそうだ。奥方も呼ぶがいい。王女が馬に乗れるように指導してくれるのだろう?」


 テオはそれを聞き、ようやくほっと胸をなで下ろした。


「そう言っていただけると、助かります」

「しばらくマリアはレースには出られなくなってしまうが……ブリュンヒルデのそばにいてやって欲しいのだ」

「陛下……」

「辛いな。当初はこのごたごたが片付くまで結婚はさせられないと考えていたのに、妻に先立たれ、今になって娘にさっさと婿を取らせれば良かったと後悔するなんて」

「そうですな。伴侶はいた方がいい」

「テオも、そう思うか?かつて、二度と伴侶は娶らないと言っていたお前が」


 テオは静かにトラヴィスとの主従関係を回想する。


 忠誠を誓ってから30年。退役しても、このように親交を深めて来た。


 お互いのことを何でも知っている、友とは恐れ多いが、信頼し合える数少ない知り合いだ。主従というより、むしろ身内に近い感覚なのかもしれない。


「ひとりで立つのが苦しい時期というのが、人生誰にも必ず訪れる」


 テオは静かにかつての主に言った。


「そういう時に支え合う相手がいれば、人生は遥かに実りあるものになりましょう」


 トラヴィスは静かに笑うと、体力の限界らしくそのまま目を閉じて眠ってしまった。




 その頃。


 医務室のベッドに運ばれたパウルの隣に椅子を引き、ブリュンヒルデは腰掛けた。


「だいぶ痛みを我慢していたのね。肋骨が折れていただなんて……」


 パウルはぐったりと寝たまま動かない。


「助けてくれて、ありがとう」


 王女がパウルの手をそうっと握ると、その手が微かな力で握り返して来た。


「!」


 王女が顔を赤くしていると、パウルがいたずらっぽく目を開け、力なく笑って問う。


「……どうです?私は、あなたのいい盾になれましたか?」


 ブリュンヒルデは泣き笑うと、目尻をそっと拭って答えた。


「ええ、本当に……いい盾だったわ」


 パウルはそれを聞くと、ようやく安心したように再びの眠りについた。

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私あの時、不幸でよかったです。 殿水結子@書籍化「娼館の乙女」 @tonomizu

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