第38話 罠と縄
馬に乗れ、ようやくシュネーバルツァとも打ち解けたブリュンヒルデは、すっかり曇っていた表情が晴れてしまった。
「この馬は大人しいから、大丈夫だわ。今日のこと、私、自信になったみたい」
マリアとテオは見合って微笑んだ。
「それはよかった」
パウルは空を見上げた。夕闇が迫っている。
「そうだ、私はそろそろおいとましないと」
「あら、お帰りになるのね?今日は馬車で来たの?」
「はい」
「私もそろそろ帰ろうかしら。テオ、馬車を用意して下さる?」
テオが執事のジャンに指示を出そうとすると、遠くからトビアスが駆け込んで来た。
「テオ様、お話が」
「ん?何があった」
「ブリュンヒルデ様の乗っていらした馬車なのですが……後輪の軸に細工が」
テオは思わず立ち上がり、王女の乗って来た馬車に駆け寄った。
護衛も困惑し、遠巻きに馬車を眺めている。
王族の馬車は使用人たちによって横倒しにされており、テオはそれをしゃがんで眺めた。
「これは……人為的な切込みが入っているな」
「恐らくこのまま使い続けると、帰り道には軸が割れて馬車が壊れます」
「一体誰がこのようなことを……」
その場にいた全員が、嫌な予感に胸が騒いだ。
「ふむ……」
テオは立ち上がった。
「パウル。王宮まで、君の馬車に王女様を乗せてもらってもいいかな?」
パウルはおっかなびっくり頷いた。
「えっ?いいですけど……」
「護衛二名を乗せてもらっても?」
「大丈夫だと思います」
「……マリア」
マリアは夫に急に話を向けられ、頷いた。
「はい」
「うちの馬車も出す。私とトビアスで後方からついて行き、護衛しよう」
「明日には、お帰りになりますか?」
「勿論だ」
マリアはテオの夕暮れる頬にキスをした。
「どうか無事に帰って来て下さいね」
「留守を頼む」
ブリュンヒルデは真っ青な顔で、王族の引っくり返った馬車を見つめている。マリアは王女の肩を抱いた。
「大丈夫です、王女様。テニエス家の馬車、ローヴァインの馬車、どちらもあなたを王宮までお守りします」
「マリアさん……私、怖いわ」
「テオもトビアスも元軍人です。だからきっと、大丈夫」
トビアスとテオは馬の点検を終え、馬車に乗り込む。
「じゃあ行って来る」
「お気をつけて」
パウルがこちらへやって来た。
「ブリュンヒルデ様、どうぞこちらへ」
「大丈夫かしら……」
「私は軍人ではないので、何の役にも立ちませんが」
王女はくすくすと笑った。
「そこまで開き直られると、逆に頼もしいわ」
「困ったら人間の盾としてお使い下さい」
「ふふふ、そうするわ」
ブリュンヒルデはパウルにエスコートされ、馬車に乗り込んだ。
マリアはジャンと共に、二台の馬車を見送る。
夜の道を馬車で駆けながら、テオとトビアスはひそひそと話し合っていた。
前方には、パウルと王女、そして護衛を乗せた馬車。
「んー。やはり、前の護衛二名……怪しいな」
「テオ様もそう思いますか?妙に気が利かない感じがします」
「余り考えたくないが、敵かもしれん。パウルがいるので下手に動かないと思うが、何も起きないように我々も見張っていないと」
「えーっと、……我々、武器を携帯しておりませんが」
「安心しろ。長い棒を二本持って来た」
「棒……」
「あと、投げ縄。今作った」
「うーん……まあ長ければ、使えますね」
その時。
がたんと何かが馬車にぶつかる音がし、テオとトビアスは馬車の窓から顔を出した。
馬に乗った複数の男たちがこちらの馬車を取り囲むようにして走り、石を投げたり剣で切りつけたりしている。テオとトビアスは目配せし合った。
「……こんなところに盗賊ですか?」
「馬を傷つけられてはかなわんな……」
「全員、殺しても?」
「待て、とりあえず王女の身を守るためにこの辺であいつらを足止めしよう」
「では馬車は壊れてしまって構わないと?」
「うん」
「じゃ、馬車を切り離しまーす」
テオとトビアスは棒と縄を腰に巻くと、御者台からそれぞれ二頭の馬に飛び乗った。
御者も冷静にトビアスの後ろに乗ると、馬から馬車を切り離した。
馬を失った馬車はがくんと前転し、取り囲んでいた後方数頭の人馬をなぎ倒す。
テオとトビアスは併走する。
「うむ、これで半分やっつけた」
「テオ様、あとは?」
テオは近くの枝にひょいと投げ縄を引っかけてから、馬に急ブレーキをかける。
暗闇の中、縄にひっかかり、更に人馬を数頭転ばせることに成功した。
「うまく避けている奴が、一匹いるな……そいつがリーダーだ」
トビアスはスピードを落とし、未だ駆けている一頭に近づいて行く。
恐らく剣を振るう音がしたが、元騎士のトビアスにしてみればやみくもな剣など怖くも何ともない。
トビアスは棒で人馬の横腹を立て続けに打った。馬は腹を強打されるのをいっとう嫌うからだ。テオもスピードを上げ、追いついた。
馬が腹を立て、暴れ出す。
賊のひとりが、地面に放り出された。
テオとトビアスは馬を止め、賊の元に歩いて行く。
体を打って悶絶しているところを、トビアスは縄でさっさとぐるぐる巻きにした。
「おい、お前、誰の差し金だ?」
テオが剣を拾いながら転がる賊に問うと、思わぬ答えが返って来た。
「差し金って何のことだ?俺たちは王族がここを夜に通りかかると聞いてやって来ただけだぞ」
テオは目をすがめた。
「誰かに依頼されてここに来たのではないのか?」
「まさか。そんなことより、あんた誰だい?身なりがいいようだけど」
「……ふむ、なるほど。よく喋る賊だな」
テオは立ち上がった。
「危うく足止めされるところだった。トビアス、この賊はあの護衛たちと通じている時間稼ぎ要員だ。やはりあの護衛たちは敵だ。急ぐぞ!」
テオとトビアスは馬に乗って走り出し、簀巻きになって取り残された賊は、ひとり暗闇で舌打ちをした。
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