第37話 ブリュンヒルデ暗殺計画

 その頃王宮では──


 パトリック王子の寝室に、見慣れた影。


「おお、アンディ殿ではないか」


 パトリックはそう言ってアンディを出迎えた。アンディは以前よりやつれ、どこか眼光が鋭くなっていた。


 彼は王子に微笑む。


「パトリック様。例の計画は進んでおりますか?」

「ああ、今日ブリュンヒルデは馬を選びに牧場に行くとか言っていた。だから馬車に細工をしておいたところだ」

「うまく行きますでしょうか」

「うまく行けば馬車から車輪が外れ、事故を誘発出来る。特に、夜中に道の途中で賊に襲わせれば──」

「賊の方は、既に手配済みです。間にいくつも末端の賊を挟んでいるので、ひとりが罪を吐いても命令した我々にまで捜査が及ばないようにしてあります」

「よくやってくれた、アンディ」


 二人は頷き合った。


 マクレナン王宮では行事は玉座の間で、政治は王の寝室で行われる。そのために寝室は玉座の間と同様に派手に彩られ、王族の権威である服飾品が並ぶ。寝室にお金をかけられることこそ富んでいる証。それを体現しているのが、彼ら王族の寝室なのであった。


 トラヴィス王は、最近外出以外は寝室に引きこもっている。どうやら表立っては言わないが、何らかの病に蝕まれているらしい。


 パトリック王子は息子ながら、父の死を心待ちにしていた。


 父さえいなくなれば、自身の夢を押し通せる。


 レオナとの結婚。


 パトリックからすれば、平民と結婚出来ないなどというのは〝遅れた〟王家の姿そのものなのであった。結婚相手は家柄などではなく、あまたの美女の中から自由に選びたい。大体、最近王家の家計はひっ迫しているのだ。レオナは美しいし、彼女を娶れば商会の金も王の自由に出来るはずだ。パトリックはレオナやその家族にそう吹き込まれ、信じて疑わなかった。


 王族からはこの考えを馬鹿にされたが──


 アンディは、真っ先にこの考えを肯定してくれた。


 アンディも、家柄の釣り合いのみで結婚させられた女と最近離婚したばかりなのだ。彼のその経験が、パトリックにはとても心強かった。貴族ならまだしも、王族は特に離婚など許されない。愛人と浮気をするにしても、それに子を産ませるとなると各方面から攻撃される。


 だから、何としてでもレオナと結婚したい。


 そして彼女の「王妃になりたい」という夢を叶えてやるべく、まずは妹という邪魔者を亡き者にするのだ。


「今回の計画が上手く行けば、父も周囲も私を王位継承者と認めざるを得なくなるだろう」


 パトリックはくっくと笑う。


「大体、私という嫡男がありながら、妹を女王にする方がおかしいのだ」


 アンディは頷く。


「私もそう思います。女がでしゃばると国が乱れる」

「君の元妻もたいがいだったな。競馬場の事故を見たか?」

「全くです。調子に乗っているからあんなことになるんですよ」


 アンディは王子と調子を合わせながら、権力者の腹心となっている自分を夢見る。


 己の力など、最小限出せばいい。


 自ら動いて情報を精査する者など、この世にはほとんどいやしない。


 皆、自分の口車や嘘に踊らされ、話しもしたことのない者を、勝手に蔑み阻害する。


 全員判断力がない。


 皆、誰かの言葉を借りてしか喋れない。


 自分の目で確かめない人間ばかりだから、やりやすいことこの上ない。


 アンディはひとり静かにほくそ笑んだ。


 トラヴィス王からは寝室係を解任されたが、このパトリックは大いに利用出来る。案の定、彼の味方の少ない時に取り入ったらすぐにこちらを味方と見て、寝室係に召し抱えてくれた。


 王子を利用し、誰よりも上へ行ってやる。


 もう誰にも、自分の邪魔はさせない。




 アンディはその足でバーデン商会へ向かう。


 レオナの妹、アグネスに会うためだ。


 パトリックが王位に就いた暁には、今度は彼女と結婚するつもりだった。アンディは金と権力を同様に手に入れた己を夢見る。


 バーデン商会の屋敷に通されると、最初にレオナがやって来た。


 流れるような黒髪を高々と結わえた、美しい女だ。


「パトリックに会って来たのね?計画は順調なの?」

「そうですね。今夜にでも、決着はつくかもしれません」


 レオナはニヤリと笑ってみせる。


 アンディは口には出さないが、少し彼女に呆れていた。


 この女は、いささか自分に似過ぎている。


 権力欲しさに王子に近づき、その妹も邪魔と見れば殺すことも厭わない。元々のパトリックの優柔不断な性格からして、王女を殺せばいいと最初に進言してその気にさせたのはこいつだろう、とアンディは踏んでいた。


 続いてアグネスがやって来る。姉とは違って素朴な顔をしているが、美しい部類の女だ。


 アグネスも、公爵の妻及び王子の義妹という立場を、いつ手に入れられるのかといつも待ち侘びているようだった。


 いつもアグネスはアンディではなく、もうひとつ向こうの〝何か〟を見ている──


 その時、ふとアンディの頭にマリアの言葉が浮かんで弾けた。


── あなたも、駄々をこねたり陛下や地位をあてにせず、人に迷惑をかけないやり方で、自分の愛し方をちゃんと見つけてくださいね。


(……愛し方)


 それを考える時、常に自分の前に靄がかかる。それを深く掘り下げると、驚くほどの空虚が自分の中にあることにアンディは気づいていた。


 だからと言って、何をするわけでもないけれど。


「やぁアグネス」

「お久しぶりね、あなたを待ち侘びていましたのよ。今夜が正念場だそうね」

「ああ。まずは計画を成功させよう。足がつかないことが分かってから、結婚した方がいい。慎重に行こうじゃないか」


 アグネスは例の計画が成功すると疑わない様子で、アンディにしなだれかかった。


「ねぇ、結婚したら子どもは何人欲しい?私、世継ぎを求められれば何人だって……」


 アンディは空虚な瞳で遠くを眺める。


 そうだ。人に幸せだと思われていなければ、生きる価値などない。


 誰よりも、上へ行ってやる。

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