第36話 シュネーバルツァの縁

 まずは、王女に馬を選んでもらうことにした。


「どんな馬がいいかしら」


 選びあぐねて王女が問う。マリアは答えた。


「そうですね、気が合う馬がいいですよ」

「気が合う馬って言われても、分からないわよ……」


 ブリュンヒルデは厩で一頭一頭と面会しながら、苦々し気に呟いた。


「じゃあ、見た目が気に入った馬でもいいですよ」

「見た目……そうねえ……」


 ブリュンヒルデは一頭の馬に目を走らせた。


 雪のように白い馬、シュネーバルツァ。


「白馬、か……」

「ああ、その子はいい馬ですよ。私を初レースで初優勝させてくれた馬です」

「へー。勝負運のある馬ね」


 ブリュンヒルデがぐるぐるとシュネーバルツァを眺めていると、遠くから足音がやって来る。


 マリアはどきりとして顔を上げたが、赤毛の見知った人物だったので笑顔になった。


「あら、パウルさんお久しぶりです」

「こんにちは。あれ?マリアさんが連れているのは、どなたです?」


 ブリュンヒルデが顔を上げると、パウルはその顔を呆然と眺めてから声を上げた。


「まさか……王女様!?」


 王女が姿勢を正すと、パウルは慌てて帽子を取り腰を曲げた。


「ご、ご無礼をお許しください、王女様……」

「まあ、テニエス公爵家のパウルではありませんか。そんなに固くならずに、厩では楽にしてちょうだい」

「は、はい」


 パウルは帽子を抱えたまま、二人を不思議そうに眺める。


「えーっと、そろそろマリアさんに出走の打診をしようかと思っていたところだったんですが……」

「あら、そうなの?でもパウルさん、そんなことより、馬主ならばもっと大舞台にこの子を出してみませんか?」

「はい?」


 パウルは状況が掴めず、難しい顔でせわしなく緑の双眸を動かす。


 王女が言った。


「あら、ちょうど馬主さんがいて良かったわ。今、戴冠式で私を乗せてくれる馬を探しているの。ちょっと、この子に乗せてもらってもいいかしら?」


 パウルは突然のことに呆然としていたが、みるみる顔を輝かせる。


「えっ!?王女様に……戴冠式で乗っていただけるんですか!?」

「そうね。でもその前に相性を見なくては……」

「どうぞどうぞ。そんなのこっちが頼みたいくらいですよ。箔がつくっていうものです!」


 マリアはシュネーバルツァを厩から出してやる。


 牧草地に連れて来ると、早速鞍をつけてブリュンヒルデに乗ってもらうことにした。


「だ、大丈夫かしら……」

「大丈夫ですよ、彼女は訓練された馬ですから」


 王女はへっぴり腰でよいしょと馬に跨り、そこから膠着する。


「ブリュンヒルデ様、手綱を動かして……」

「動かせません!」

「はい?」

「だって手綱を動かしたら……馬が動くではありませんか!」


 マリアは額を押さえたが、パウルは笑いながらシュネーバルツァに歩み寄る。


「何、まずはこうすればいいんですよ」


 パウルは馬を引いてやった。


 馬は静かに王女を乗せて歩く。


 王女は馬に跨っているのでやっとだ。


「動かすのは、まだ頭と体が追っつかないのでしょう。馬と体を慣らさないとね」


 マリアは、ほうほうと頷く。


 よく考えたら、彼女の周囲は馬に難なく乗れてしまう人間ばかりなのだ。


 乗れない人の気持ちなど、よくは分からないのだった。


 そう言えば、パウルが馬に乗れるかどうかも聞いたことがない。もしかしたら、彼も乗れないか、または乗ることが苦手なのかもしれない。


「パウルは馬に乗れるの?」


 マリアが早速尋ねると、


「実は私、馬主なんてやっている人間なのに、恥ずかしながら乗るのは得意ではないんですよ」


と、案の定の返事が返って来た。


「そうなの。だから、王女様の気持ちが分かったのね」


 牧場を一周し、厩の方へ歩いて行くとテオが微笑ましく三人を眺めていた。


 ブリュンヒルデは、はにかみながらも手を振る。テオも手を振った。


「いいですなぁ、白馬に女王。貫禄がある」

「ありがとう、テオ。この子、とても大人しいのね」

「シュネーバルツァは暇さえあれば食ってる馬だからなぁ。基本、のんびりした馬なんだ」


 シュネーバルツァが止まると、王女の動きも止まる。


「降りられますか?」


 パウルが問うと、王女は青くなっていやいやと首を振った。


 みんなが笑う。


「右足を鐙から抜けますか?」


 王女は恐る恐る鐙から足を抜き、鞍を掴んだまま降りようとする──


 と。


「あっ」


 ブリュンヒルデは左足の鐙に足をとられ、思わず引っくり返った。


 パウルが飛んで行って、王女の体を受け止める。


 間一髪。


 パウルは仰向けになったブリュンヒルデの下敷きになった。


「ごっ……ごめんなさい!」


 ブリュンヒルデは慌てて起き上がろうとするが、腰が引けて立ち上がれない。パウルは腹を押さえながらも、這い出てふらりと立ち上がった。


「王女様、お怪我は?」

「私は大丈夫よ。あなたこそ平気なの?」

「うーん、だめかもしれません」

「!そんな……!」


 王女が慌てると、パウルはくすくすと笑った。


「どうですか?うちのシュネーバルツァは」


 ブリュンヒルデはハッとして白馬を眺める。


 彼女が乗り降りに失敗すると暴れたり苛立ったりする馬が大半だったが、シュネーバルツァはどんと構えている。微動だにしていない。


「凄い……本当によく訓練されているのね」

「ローヴァインファームの馬は、スピードはそこまでではないんですが妙に落ち着いているんですよね。腹いっぱい食ってるからでしょうか。スタミナがあって、ここ一番に強いんです」


 そう言うと、パウルは王女に手を差し伸べた。


 王女は頬を染めると、にこりと笑って彼の手を取り立ち上がる。


「ありがとう。……私、この馬とやってみるわ」

「本当ですか!?王女様に乗って貰えるなら、これほど嬉しいことはないですよ!」


 マリアはテオに後ろ歩きで近づいて行って、そっとその耳に囁く。


「……テオ?」

「……ああ」

「何か、いい感じじゃありませんか?」

「私も今、そう思っていたところだ」


 夏の陽気に、心なしか春の風が吹いている。


 一方その頃、王宮では──

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