第35話 マリアと王女
一週間後。
王族の馬車がローヴァインファームにやって来た。
手紙で要請されていたように、乗馬服に身を包んだマリアとテオは立ち上がる。
馬車から現れたのは、同じく乗馬服に身を包み、金髪の巻き毛をなびかせた美しい女性。
王女ブリュンヒルデ。
マリアは腰を低くし、うやうやしく王女を出迎える。
「ブリュンヒルデ様、ローヴァインファームへようこそ」
「ありがとう、マリアさん。新しい結婚生活はいかが?」
マリアはようやく膝を伸ばす。
「はい、順調です……とっても」
「だろうと思ったわ」
ブリュンヒルデは訳知り顔で肩をすくめて笑う。そしてテオに向き直った。
「テオにはいろいろと苦労を掛けますね。突然の手紙を許して下さい」
「ブリュンヒルデ様。本日は……」
「実は城の中では書けないこと、喋れないことがありまして……こうして直接やって参りましたの」
マリアはそのやりとりを脇で眺め、ごくりと唾を飲み込む。
使用人たちが牧場の脇にテーブルを並べたので、マリア達はそこに座った。
王女は座るなりマリアに向き直る。
「では早速ですが、聞いてください。マリアさん、私は先日のあなたのレースにとても感銘を受けました」
マリアははにかむ。
「はい」
「実は、あなたがああやってレースに出られるようになるまでに、数々の苦難があったと聞いております」
マリアは照れながら首を傾げた。
「そ、そんな、大した苦労は……」
「謙遜なさらないで。普通の女性ならばあんな事故に遭ったら恐怖に震えて二度とレースになんか出られなくなるわ。ファンは皆、それが杞憂に終わったこと、とても嬉しく思っているんです。男女問わず、あんな芸当を出来るのはマリアさんだけですわ」
「……ありがとうございます」
「あれを見せられたら、何だか涙が出てしまって……その時に、私、心に決めましたの」
「はい」
「私もやはり、女王になろう、と」
マリアが大きく目を見開き、テオは横でくっくと笑った。
「あなたの頑張りが、私に火をつけました。周囲は色々言って来ますけれども、自分の問題は自分で解決するだけなのだと、あなたがあのレースを通して教えて下さったのです。いたずらに嘆いたり、誰かのせいにしたりするのは、あれ以来もうやめました。私は女王をやりたいからやる、そう心に決めたのです」
そう言うや否や、ブリュンヒルデがマリアの手を両手で握る。
「!」
「女だから力がないなどと、誰が言えましょう。もうそんな輩は彼らのお望み通り、力でねじ伏せてやるしかないのです。わたしはそれを成し遂げる。そのためにはマリアさん、そしてテオ、あなた方の力が必要なのです。ですからマリアさん、私の寝室係になってくれますか?」
マリアは夫と目配せをしてから、二人でしっかりと頷いた。
「勿論ですわ、女王陛下」
ブリュンヒルデも頷いた。
「……ありがとう、マリアさん」
「いいえ。ところで、その……」
マリアは王女を頭から爪先まで眺めた。
「今日は乗馬服でいらしたんですね?」
ブリュンヒルデは立ち上がって頷いた。
「そう!それなのです!あなたに頼みがあって参りました」
「?」
「実は、私……」
次期女王は深刻な顔で告げる。
「……馬に乗れないのです」
マリアは深々と頷いた。
「というか、動物全般が苦手なのです!とにかく怖くって……!」
「はい……」
そうなのだ。
王女と同じ乗馬クラブに通っていたマリアは知っていた。
ブリュンヒルデは他のことはそつなくこなすのに、なぜか馬に乗るのだけはてんで駄目なのだった。
彼女は動物が苦手で、動物に関しての全てを拒否していた。だが、王女が絶対に避けられない動物との関りがひとつだけある。
馬に乗ることだ。
特に女王にでもなれば、馬に乗ることは避けられない。何かの行事があるたびに王ならびに女王は馬を操縦し、パレードに出なければならない。有事の際は、軍の司令官になることもあるのだ。馬に乗って兵を導くことだって、この先ないとは言い切れない。直近ならば女王になる戴冠式において、軍を率いてまず騎乗しなければならない。
だから、女王が馬に乗れないのは一大事なのである。
「マリアさん、あなたは騎乗の天才です」
ブリュンヒルデはマリアに真剣な眼差しを向けた。
「私があなたに一番頼みたいのは、このことです。王位に就くまでに、乗馬の指導を賜りたいのです。実は、既に私は王軍の調教師たち全員からさじを投げられました。けれども私は職務を全うせねばなりません。あなたの力があれば、馬も乗りこなせ、品格を落とさず、女王らしく振る舞うことが出来るでしょう。そこで、寝室係として私が女王に即位するまで、テオを含め、マリアさんに私をサポートして欲しいのです」
マリアは頷きながら尋ねた。
「あのう」
「何です?」
「ブリュンヒルデ様が女王に即位することは、もう確定なのですか……?」
ブリュンヒルデが片手で頭を押さえ、テオが苦笑する。
「これが今、王室を揺るがす一大事でな……」
「はあ」
マリアが頭に疑問符を浮かべていると、テオがマリアの目を見て言った。
「現在、王位継承権争いが激化している」
マリアは頷いた。お茶会で聞いた通りだ。
「パトリック様はどうしてもバーデン商会の娘レオナと結婚すると言い張っていてな……恐ろしいことに、ブリュンヒルデ様の暗殺計画まで練っていたようだ。レオナを王妃にするためなら、王子はどんな野蛮な手でも使うのだ」
「!」
「そう、だから余計に、私は王たらんと励まねばならないのです。兄とはいえそのような野蛮な手段に及ぶ輩を、この国の王にするわけには参りません」
ブリュンヒルデの境遇にマリアは既視感があり過ぎ、力強く頷くしかなかった。
「身内の女を追い落とす為に、どんな手でも使う男……か」
「どうかしましたか?マリアさん」
「……いいえ」
今まで自分の身に降りかかった不幸な経験は、もしかしたら女王の誕生に活かせるのかもしれない。
どうにかパトリック王子の陰謀を阻止し、ブリュンヒルデ王女に王位を継いでもらわねばならない。
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