第2話 読了
暗がりの部屋にライトは一つ。
帰路についてからもう5時間は経っていたが、私は未だノートの中身を見ていない。
帰宅し、適当に食事を済ませた後すっかり眠ってしまっていた。
何もせず、ただひたすらに眠る。老いはきっと活力をも奪うのだろう。
一体何に疲れているというのか、自分でも不思議なほどよく眠る。
時計の針が23時を指し示す。このノートが彼女にとって恥じらいのない物であれば、私は職場の昼休みにでも読んでいたことだろう。
これには彼女の想いが乗せられている。
たったそれだけの事だが、今読むことがとても妥当なように思えた。
「さてと…」
ふかふかのソファに腰をかけ、ノートの1ページ目に手を掛けた。
それは意外にも読みやすく綺麗だった。
字は汚いものの、目次のような構成になっており、3つの章で構成されているようだった。
「わーど?てきとう?たき?」
どれも字が崩れており読みにくい。
その上、文字の意味も理解し難いものだから余計に困惑する。
取り合えず私は最初の<わーど>から読み進めようと、最初のページを開く。
開いてすぐ、このノートの実態を理解した。
コンビニで見た時と同じように、びっしりと文字が敷き詰められていた。
次のページも、そのまた次のページも変わらない。
どれだけページをめくっても目に入る景色は同じだった。
彼女は間違いなく感想を求めていたはずだった。
それはこのノート自体に対しての物か、それともこの中身の内容に対しての物か。
十中八九後者だろう。でなければ、どう思ったかなどと聞きはしない。
「はぁ…まいったな…」
彼女はこの内容を読み取れることを私に期待したと言う事になるではないか。
そして、当然このノートの内容は彼女自身に読み取れるものと言う事でもある。
確かに普通の人には読み取れない内容だ。
「いや…読み取らないと言うのが正しいか…」
よく目を凝らし、少しづつ言葉を紐解いていけば内容の断片は理解できる。
だが、そこまでしてこれを読む読者はきっといないだろう。
創作は得てして伝わらなければ意味がない。
その観点で見れば間違いなくこの作品は0点。
ただ、私がこのノートの内容に感動したのも事実だった。
著者の想いだけを頼りに読み進める作品だからこそ、人の真意に触れられたような気がして優越感が湧き上がってくる。
故に私は1ページ、1ページ、理解できずとも読み進めていく。
そして13ページほどある<わーど>の章を読み終えた。
ふと気になって、机の横のデジタル時計に目を向ける。
針は12時半を指し示していた。
明日の予定は…と考えても何も浮かばない。
私が早く出社しようが、遅く出社しようが誰も気に留めない。
その毎日は変わらない。
少しくらい自分勝手に生きてみても良いだろうか。いずれ私は死ぬのだし。
ページをめくる手はそのまま止まりそうにもなかった。
<てきとう>の章へと進む。
そのページを一目見て天才というのはこういう人のことを言うのだろうと思った。
挿絵と文字のような物でおそらくストーリーを綴っているのだと思う。
間違いなくコンビニで見たページはここのようだ。
ヴィヴィッドな色に包まれた白地の海。その底はどの海溝よりもきっと深いだろう。
ストーリーの内容までは一目ではわからないけれど、その幾重にも折り重なった世界を知りたくなる。
なぜ彼女は文字を重ねることを厭わないのか。
見たままを映し出す純粋な思考が故か、人それぞれにストーリーがあるというリアルと近づけた表現が故か。
彼女への興味が尽きてならない。そして同時に勿体ないと感じてならなかった。
この世界観が誰にも知られず沈んでいくというのはどうにも耐えられそうにない。
勝手に期待し、勝手に感動した。その上、今度はお節介まで焼いている。
「あぁ…駄目な大人だな…私は」
絵を描くことも、綴ることも私には出来ない。
そうなるとお節介を満了するための選択肢は一つしかなかった。
「彼女を売り込む…」
漫画雑誌の編集者でも、画家でもイラストレーターでも小説家でも誰でもいい。
プロならば彼女の世界を起こしだしてくれるだろう。
後は彼女が何と言うかがもっぱらの課題になりそうだった。
コミュニケーションに難がありそうで、人との会話がそもそも好きではなさそう。
偏見のようだがおおむねそれはあっていそうな佇まいだった。
当然彼女が否定さえしてしまえばこの話に先はない。それはわかっている。
それでも期待感は拭えない。
自分が一般的な価値観の人間だという自負はない。
だから他者が見てどう思うのだろうと目を向けた。
今まで私がしてこなかったことだ。
どうでもいいものはどうでもよく、大切な物は大切で。
そうして割り切って生きてきた。
ただ、今更ながら当たり前の事実に気づく。
私にとってのどうでもいいが、誰かにとっての大切になりうるという当たり前を。
であれば彼女の作品はそのどちらに転ぶのだろう。より多くなるのはどちらだろう。
私の手は止まらない。
期待に対する見返りなど考えてはならないとわかっているのに。
夜更かしなど何年ぶりだろう、朝日が昇りかけていた。
夜を過ぎれば朝が来る。そんな当たり前には直面するまで気づかない。
何だってそうなのだろうなきっと。
数時間程度、取ってつけたような睡眠を取り会社へと向かう。
電車に乗り、ホームを抜け、そしてビジネス街を歩いていく。
襲い来る吐き気と頭痛に抗うすべはない。社会人としての責務も同様だった。
どれだけ叱咤され、隅に追いやられようとも逃げるわけにはいかない。
脇道から会社へと向かう近道を通る。
責務、その正体に気づくのはもう少し後の事だっただろう。
やってくる視界の歪みと浮遊感。
所詮、肉体は物でしかないという言葉は真だったようだ。
頬を、額を、手のひらをインクが伝う。
どうやら淀んでいて鮮やかとは程遠い様だ。
耳に飛び込む囃子の音、だが次第にそれも遠くなる。
「あぁ…そうか…」
歩みを止める赤の色はもう私の目には入らないようだった。
おじさんはゴーストライター ハナシダシ @yamadaMk2
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