第11話 かける必要のない魔法

 朝、起きると気分が重かった。

 身体の具合がどうというのではなく、どんな顔をしてウェルレイドに会えばいいのか、と考えるだけで気分が重くなる。

 でも、ウェルレイドもちゃんと家に戻ったのか、という確認はまだしていない。自分が帰って来られたから、彼も帰っているだろう、と勝手に思っただけ。

 無事に帰っているなら、登校してくるはず。それを見届けないと、本当に安心はできない。

 シャスディはのろのろと準備をし、気が進まないまま朝ごはんを食べて家を出た。

 学校へ着いて教室に入ったが、ウェルレイドの姿はない。予鈴までは、時間がある。まだ登校していないのだろう。

 だが、シャスディにとって緊張する長い時間だ。

 単に学校に着いていないだけなのか、家にすら帰り着かなかったのか。今の状態では、どちらとも断定できない。

 どうか……どうかウェルレイドがいつものように、学校へ来てくれますように。あたしを嫌いになっても無視してもいいから、無事でいてくれますように。

 シャスディはひたすら、ウェルレイドの無事を願った。

「シャスディ、どうしたの? お腹でも痛い?」

 ケイティがシャスディのそばまでやってきて、親切に尋ねてくれる。ウェルレイドが心配で、なんてことを言い出したら話がややこしくなるのでできない。

 シャスディは無理に笑顔をつくって、友達に心配かけまいとした。

「ううん、違うの。ちょっと朝の夢見が悪かっただけ」

 そう、夢ならよかった。前半は楽しかったけど、後半はとても苦しくて。

 それだけの夢だったら、よかったのに。

 でも、手の傷が、夢じゃないって教えてる。魔力がなくなった今、普通の女の子のあたしには、彼の無事を祈るしかできない。

 時計を見た。あと数分で、チャイムが鳴る。まだウェルレイドの姿はない。

 何でもない顔で友達としゃべっているが、シャスディはその内容の半分も耳には入っていなかった。入口の方を、ちらちらと横目で何度も見ている。

 教室のスピーカーから、チャイムの音が流れた。途端にびくっとするシャスディ。ウェルレイドはまだ来ていない。

 まさか……帰されたのは、あたしだけ? オルーガはやっぱりウェルレイドを気に入って、手元に置いておこうとして彼を帰すのをやめた、とか。

 それとも、帰っては来たけど、あんなことがあった後だから、身体の具合が悪くなって休んでいるとか……。まさか、あたしの知らないうちに死ん……。

 恐ろしい想像ばかりが、シャスディの胸を駆け巡る。教室中に自分の心臓の音が響いているんじゃないか、と思う程、どきどきしている。

 教室に担任が入って来た。でも、ウェルレイドはまだだ。

 朝のホームルームが始まる。担任が連絡事項を話しているが、シャスディはまるで聞いていなかった。あきらめきれずに、入口ばかりを見ている。

 と、教室の後ろの戸が、そーっと開いた。担任の目を盗むようにして、人影が入ってくる。

 それを見てシャスディは、思わず声を出しそうになった。

 ウェルレイド! 無事だったんだ。

 人影は、ずっと待ち続けていた人のもの。ちゃんと帰って来られたのだ。

 シャスディは胸をなでおろす。この後、ウェルレイドがシャスディに大してどういう行動をとろうと、そんなことは問題ではない。彼の無事が確認できれば、それでいいのだ。

 ウェルレイドが、こうして学校に来てくれたから。

「それから……重役出勤か、ウェルレイド」

 何でもない顔をしながら連絡事項を告げていた担任が、連絡の一つを話すような口振りで言った。クラスメートが一斉に後ろを向く。

「あれ、ばれてました?」

「残念ながら、俺の視力はいいもんでな。後ろの席だからって、安心するな」

「千里眼ですね」

「遅刻の理由は?」

「ぐっすりと眠り込んでました」

 教室のあちこちで、忍び笑いが聞こえる。

「健康でいいことだな。今日は大目にみてやるが、次はそうはいかんからな」

「はーい、すみません」

 ウェルレイドはさっさと席につき、担任は連絡の続きをしてしまうと、教室を出て行く。

 シャスディは何か声をかけるべきか悩んだが、挨拶だけでもしておこうと勇気を出した。

「お……おはよう」

「おはよう」

 打てば響くように、ウェルレイドは挨拶を返してくれた。笑顔で。

 シャスディは涙が出そうになって、慌てて横を向いた。

 ウェルレイドは覚えてないのかな。それとも、あのことをただの夢だと思ってるのかしら。

 何でもない笑顔で接してくれたウェルレイドを見て、シャスディはそう思った。何も言われなければ、そう考えてしまうのも無理はない。

 ちゃんと聞いてみたいが、教室移動が続いたり、何かしらの用事でどちらかが呼び出されたりで、まともに話もできないまま時間が過ぎる。

 ウェルレイドはあの時の記憶がないのでも、夢だと思っているのでもない、とようやくわかったのは、掃除が終わった後だった。

「手の傷、痛くない?」

「うん、平気……って、ええっ」

 何気なく問われて何気なく答えたシャスディだったが、その質問の意味に一瞬遅れて気付く。

 手の傷は友達に教えていないし、親すら知らないはずだ。机の上に手を置けば、傷は下になるから意識的に見せない限りはよくわからない。

 なのに、ウェルレイドは知っている。

「どうして知ってるの」

「助けようとしてくれてたじゃないか」

 シャスディが水晶球を懸命に叩いて壊そうとしていた時のことを、ウェルレイドは言っているのだ。あの時、ウェルレイドは意識がもうろうとしていたはず。

「眠りかけの時の方がよく覚えてるってこと、あるんだぜ」

「どうして……どうして昨日のことが現実だって……」

「夜中に目を覚ました時、俺も最初は夢だったのかなって思ったよ。けどさ、髪や服に水晶の破片がついてたりしたら、夢で終われないだろ」

 傷があったシャスディと同じように、ウェルレイドにも夢でない証拠が残っていたのだ。

 シャスディとオルーガの会話は聞こえていないだろうが、それでも水晶球の中から見ていた光景はある程度覚えているらしい。

「気味悪いって思わないの?」

「何が?」

「だって、中から外の様子を見てたってことは……あたしが普通じゃなかったっていうのも、見てたんでしょ。その……魔法を使ってたのも」

「やっぱり、そうだったんだ」

「で、でもね、今は違うの。昨日一日だけよ、魔女だったのは」

 おおよそのことがわかっているらしいウェルレイドに、シャスディは正直に全てを話した。隠したりすれば、かえってわだかまりを残してしまう。

 それに、殺されそうになったウェルレイドには、真相を聞く権利がある。あんなことになった原因を作ったシャスディには、話す義務がある。

「……で、ウェルレイドが昨日、あんな目に遭ったのはあたしのせいなの。それにわずかではあるけど、あなたの心をいじろうとしました。ごめんなさい。魔力は消えちゃったけど、もしずっと持っていたら、あたしは全てを操ろうとして力を使っていたかも知れない。本当に……ごめんなさい」

 きっと嫌われる。嫌われても仕方のないことをしようとしていたんだから、それも当然のことだろう。

 嫌われても仕方ない、とわかっていても、心が苦しい。

 殴られたりするかしら。そこまではしなくても、あたしにとってつらい言葉を吐きかけられるかも知れない。でも、それでウェルレイドの気持ちが少しでも収まるなら、構わない。

 シャスディは覚悟して、ウェルレイドからの非難の言葉を待った。

「そんな魔法を使う必要なんて、なかったのに」

「ごめんなさい……」

「いや、あの、そういう意味じゃなくてさ……えっと」

 ウェルレイドはちょっと困ったような顔をして、謝るシャスディを見ていた。

「どう言えばいいのかな。他の魔法はともかく、そういう魔法は俺にはかけなくてもよかったんだ」

「うん……反省してる」

「そうじゃなくてっ」

 大きくなったウェルレイドの声に、シャスディはびくっとする。

「あ、ごめん。怒ってるんじゃないんだ。つまり、その……ずっと前からかかってたんだよ」

「かかってるって何に?」

「シャスディが俺にかけようとした魔法に、俺はずっと前からかかってたんだよ。だから、かける必要がなかったって言ってんの」

 シャスディはあっけにとられたような顔で、少し赤くなっているウェルレイドを見た。

 それから徐々に、ウェルレイドの言葉の意味が頭の中で、胸の中で理解されてゆく。

 魔法なんか使わず、素直に言っても十分に想いは通じたのだ。

 魔女でなくても。

 今度こそ、本当に涙が出てきた。

「あたし、魔力を持った時に、ひどいことしたのよ。……いいの?」

「けどさ、いらないって叫んでただろ」

「聞こえてたの?」

 ウェルレイドの言葉に、シャスディは目を見開いた。

「俺の声は聞こえてなかったみたいだけど、俺は聞こえてたよ。魔女の声の方は、あまり覚えてないんだけど」

 まさか、聞こえているとは思わなかった。

 ウェルレイドの声が外には聞こえなかったから、中にいるウェルレイドも聞こえていない、と思っていたのだ。

「ま、とにかく、魔法がかけられる前にかかってたんだから、別に問題ないよな。ってな訳で、これについてはおしまい」

 あの時と一緒だ、とシャスディは思う。

 重いプリント類を持って歩いていた時、ウェルレイドは当たり前のようにシャスディの分も引き受けてくれた。

 今も、シャスディが持っていた重荷を簡単に取りあげてくれたのだ。

 もうあたし、魔女になんてならなくていいんだ。魔法を使わなくても、想いがちゃんと伝わってるから。

「帰ろうか。あ……あの雑木林の道はやめような」

「うん、そうね。別の道にしよう」

 二人は並んで教室を出た。まるで、昨日一緒に帰るシーンをやり直しているみたいだ。

 もし、昨日のオルーガみたいに、心から大切にしてるものを奪うって誰かに言われたら、ウェルレイドを取られちゃうわね。だって、間違いなく大切だもん。

 魔法はもうないけど、絶対に取られたりしないからっ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女の力は突然に 碧衣 奈美 @aoinami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ