チョコっと恋して

小林一咲

第1話 伝説の泉

 村外れの小さなチョコレート屋「甘夢堂かんむどう」は、今にも崩れそうな古びた佇まいだった。けれども、エマにとってそれは家そのものであり、どんな宮殿よりも居心地のよい場所だった。


 今、その「家」は危機に瀕していた。


「このままじゃ、もう続けられないかもしれないな……」


 ため息をつきながらつぶやいた父の声が、エマの胸に重くのしかかる。


 甘夢堂は、エマの祖父の代から続くチョコレート専門店だった。祖父が作るチョコは村人たちにとって特別なもので、一口食べるだけで誰もが笑顔になる――そんな不思議な魔力を持っていた。だが、祖父が亡くなり、父が跡を継いでからというもの、店の評判は徐々に落ち込み始めた。


「材料が昔と違うんだよなあ。村のカカオ畑も枯れちまったし……」

 父の嘆きはいつも同じだった。


 エマはその度に「大丈夫!」と明るく振る舞おうとするが、現実は厳しかった。お客さんは減る一方で、材料費もかさみ、家計は火の車だ。


 そんなある日の夕方、エマは祖父の残した古い帳簿を整理していた。ページの隅に、小さな文字で何か書き込まれているのに気づいた。


「ショコラの泉――純粋な心が触れるとき、至高の味が生まれる」


「ショコラの泉?」


 エマはその響きに心をくすぐられるような気がした。祖父の秘密のレシピ?それともただの伝説?


 不思議な興奮を覚えたエマは、隣の部屋で昼寝していた父を起こして尋ねた。


「おじいちゃんの帳簿にこんなことが書いてあったんだけど、これって何?」

「ショコラの泉か……懐かしいなあ」

 父は目をこすりながら、遠い目をして語り始めた。


 祖父が若かった頃、この村には「ショコラの泉」という伝説があったという。その泉の水で作ったチョコレートは、どんな素材も極上の味に変える魔法の力を持っていた。けれども、それを手に入れるためには、「心の純粋さ」を試される試練、それを超えなければならないらしい。


「昔はよくその泉を探しに行ったもんさ。でも、結局見つからなかった。夢物語さ」

 そう笑って父は再び横になると、そのままいびきをかき始めた。


 しかし、エマの心はすでに動き出していた。

「ショコラの泉が本当にあるなら、それでお店を救えるかもしれない……」


 翌朝、エマはリュックを背負い、必要な荷物を詰め込むと家を出た。父には「少し散歩してくる」とだけ伝えたが、胸の内には決意があった。ショコラの泉を探し出し、甘夢堂を復活させる。それが、自分にできる唯一のことだと信じていた。


 ---


 村の外れにある森は、昼間でも薄暗く、木々の間から漏れる光はほんのわずかだった。エマは地図も持たずに歩き始めたものの、不安が押し寄せてくる。どこに泉があるのか、何も分からない。それでも足を止めるわけにはいかなかった。


 やがて、小さな丘に差しかかったときだった。木陰から、不意に誰かが現れた。


「こんなところで何してるんだ?」


 現れたのは青年だった。ぼさぼさの黒髪に少し疲れた表情を浮かべているが、その瞳にはどこか優しさが宿っていた。


「えっと……泉を探してるの」

「泉?」


 青年は目を丸くしたが、すぐに口元に薄い笑みを浮かべた。


「ショコラの泉のことか?」

「知ってるの!?」


 エマは興奮して詰め寄った。だが、青年はそのまま肩をすくめて答えた。


「知ってると言えば知ってるし、知らないと言えば知らないな」

「どういうこと?」

「まあ、一緒に来いよ。俺も退屈してたところだ」


 青年はあっさりとそう言うと、森の奥へと歩き出した。エマは少し迷ったが、彼の後を追うことにした。


「名前は?」

「リオだ。お前は?」

「エマ。……よろしくね!」


 この出会いが、エマにとってどれほど特別なものになるのか、彼女はまだ知らなかった。ただ、森の奥から微かに漂う甘い香りが、彼女の胸をわずかに高鳴らせた。


============================


お読みいただき、ありがとうございます。

ファンタジーを中心に書いております、小林こばやし一咲いっさくと申します。

以後、ご贔屓によろしくお願いします🥺


もしこの物語を楽しんでいただけたなら、他の作品もぜひチェックしてみてください。


『凡夫転生〜異世界行ったらあまりにも普通すぎた件〜』

https://kakuyomu.jp/works/16818093078401135877

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年11月18日 22:00
2024年11月19日 22:00

チョコっと恋して 小林一咲 @kobayashiisak1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ