否応のない青春

考える水雲

否応のない青春










 それぞれの痛みを抱えて。

 それぞれの未来へと歩んでいく。

 













 

 

  

「そうそう、警察官になったんだよ!言ってただろ、なりたいってさぁ。まさか今日車で来てるやついねぇよなぁ?いたら捕まえちゃうからな〜?」


「「「ワハハ」」」



 お酒を片手に歩いていると不意にそんな会話が耳に入ってきた。


 きらびやかでゆとりのある広い会場で参加者は思い思いに歩き回り、そして思い出話に花を咲かせている。

 彼も例に漏れず会場の熱気に一役買っているようだ。


 そんな中、僕はおぼろげな記憶を辿りながら天文部の部員を探している。

 その甲斐無く、何度周りを見回しても全くと言って見つけられない。



「あぁそうか」

 


 忘れていた。そういえばこういう集まりに来るようなやつは誰一人としていなかったな…。

 彼女が来てるかどうか分かるかなと思ったんだけど。



「なりたいものになる、か…」

 


 卒業をしてから一度も彼女の便りを聞いていない。

 今もどこかで頑張っているのだろうか。






 

「あれがプロキオン、シリウス、ベテルギウス!」



そう言って彼女は指さす冬の大三角。

南東の方角だとちょうど部室の窓から見える。



「知ってるかい?第一校舎横の外階段の屋上の鍵ってさ壊れたままずっと放置されてるらしいよ。」


「……登っちゃだめだよ?」


「どうして分かるんだい私の考えてることが…!」



 彼女は大げさに驚いた風に目を見開く。



「屋上からだったらもしかしたら手が届くかも、なんてね。高校生にもなってこんな事を言うの少し恥ずかしいけどね、あの空の向こう側に行ってみたいんだよ。」



 それは流れ星のような眩しい笑顔だった。






 

 同窓会が終わり、2次会に行く気分になれなかった僕は誘いを断り夜の街を歩いていた。

 黄色や青色、赤白い夜風が僕の頬を撫でる。 



 どんな人間でも別け隔てなく無償の愛で包みこんでくれる夜の喧騒。

 そこに身を委ねるだけで僕らが僕らであることを許してもらえているようなそんな気持ちにさせてくれる。

 何者になれなくても何者かになれているかのような、そんな錯覚。



 そんな優しい欺瞞に満ちた夜の街を僕は宛もなく歩いている。



 12月も半ば。そういえばちょうどこの頃だったはずだ。

 思い出すのはあの冬の夜。

 僕の中に優しく根を張るあの思い出。

 逃れられない美しい呪いのようなあの記憶。





 あのは僕の人生を縛って離さない。





 

 ふと気がつくと僕は校門の前に立っていた。あの頃と何も変わらない母校に懐かしさを覚える。

 


 「ここに来ても何の意味もないんだけどなぁ」



 そう分かっていながらも、心のどこかで期待している自分がいたのかもしれない。

 自他ともに認める現実的人間だと思っていたが、幾分か夢見がちな側面も持ち合わせていたようだ。


 いつからなのだろうか。

 


 裏手に周り、少し低くなっている裏門を乗り越える。そのまま夜のグラウンドを横目に校舎横の非常階段を登りはじめた。

 少し息を弾ませながらも登り切り、見慣れた錆びついた扉まで辿り着く。



「ふぅ、懐かしいな」



 あの頃、何度も無断で登っては警備員さんに怒られていたっけか。



 思い出にふけりながらも扉に触れるとギシリと整備されていないであろう音を立てて開いた。

 僕たちが卒業してから随分と経つはずなのに未だに鍵は修理されていなかったみたいだ。



 まるで僕をあの頃へと連れ戻そうとしているかのように錯覚する。





 

「久しぶりだね」






 急にどこからか声をかけられた。

 流石に驚いて見回すと、柵に寄りかかるような体勢でこちらを見ている人影がひとつ。



 

 そう、そこには彼女がいた。






  

「お!ペルセウス座流星群だよ!」



 彼女は声を上げた。

 


「知ってるかい?流れ星って宇宙の塵なんだってさ。」



 彼女は屋上で寝転びながら指で輪っかを作り覗き込むように星を見上げてそう言った。


 夜とはいえ夏の真っ只中、かなり暑い。

 こんな日に部活なんてしなくてもいいのに…と思いながらも耳を傾ける。

 


「でも、私たちはその流れ星を願いを叶えてくれる美しいものだと思ってるよね。」



凄く楽しげに、目を輝かせながら。

 


「不思議だよねぇ、見向きもされないただの塵なんだよ?そんな塵が最期の一瞬だけ眩いばかりに輝いて人に感動を与えるってさ、凄く素敵な事だと思わない?」


 

 僕はその時なんと答えたかは思い出せない。


 ただ非常に現実的でロマンチックさに欠けるものだったったはずだ。



「そう言われると燃えるじゃないか!」



 彼女は手を上に突き上げる。



「いや、水を差すようなこと言うつもりはなかったんだよ。きっとなれるはずだよ。塵に。」


「塵にかい!」



 鋭いツッコミが炸裂しどちらともなくふたりして笑う。


 ひとしきり笑い切ったところで、「ちなみにね」と彼女は言いながら目尻の涙を拭う。

 


「私は君のそういうところ、嫌いじゃないよ。」



 僕は彼女のそういうところが好きだった。 






 

 僕は踊り場の自販機で無糖のコーヒーとミルクティーを買うと、再び屋上へと階段を登った。


 高校生が無糖のコーヒーなんて買うんだろうか。

 いや、先生のためのラインナップなのか。

 眠気覚ましのブラックコーヒーは倒した時が一番効くんだよな。

 などと詮無いことを考えながら、フェンスにもたれかかる彼女の横へと並ぶ。

 

 彼女は迷わずコーヒーを選ぶとプルタブをカシュッと開ける。


 しばしの沈黙。


 冷たい風が僕たちの間を抜けていく。缶の温かさがありがたい。



「10年とちょっとくらいかな。お互い歳をとったね。」



 かなり大人びたように見える彼女は言葉を探すように話し始めた。



「同窓会には参加してないんだ。そんなにキラキラしたところに行くと疲れるからね。」



 彼女はぎこちなく笑いそう言った。



「でもね、来たんだよここに。今日この場所に来れば君に会えるかもって。どうして、そう思ったんだろうね…」



 まるで自分に問いかけるかのようなその呟きは夜の闇に溶けていった。





  

「知ってるかい?宇宙飛行士に年齢制限はないんだってさ。」



 彼女の話はいつも唐突に始まる。



「極論子どもでもなれるってわけさ。とはいえ現実的ではないね。だから私は早く大人になりたい!世界よ、私を早く知るんだ!1秒でも早く!」

 


 いつでも自信たっぷりの彼女が今日もその不遜さを発揮していた。



「大人になるのは諦めることを覚えた時らしいよ。いつでも諦めてる父親がビールを飲みながら言ってた。」 


「なんだそれ!!!もしかして君が現実的で夢がないのは血筋…?君には将来どうなりたいとか夢は無いのかい?」


「げ、現実的なのかもしれないけど夢はある…よ!そう、例えば、僕は君と…」



 彼女は僕の話を楽しそうに聞きながら手元のコップに口をつけた。



「うげ、これコーヒーじゃないかぁ!!!」



 一瞬で彼女は大きく顔を顰めた。


 それは彼女らしい大きな声で、僕の声なんて掻き消えてしまうほどで。


 水道で口を洗ってくるよ!と走り出した彼女は部室のドアを開けると何かを思いついたかのように振り返ってこう言った。

 


「私はまだまだ子供だからね、コーヒーは苦手なんだ。ふふふ、君もそうみたいだね。」



 ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら。






 

「私、宇宙物理学を学んでたんだ。大学に行って、博士号も取って、教授にお前は天才だ!なんて言われたりしてね…」



 そこで彼女は話を止め、ゆっくりとコーヒーをすする。

 話を遮らないように僕も合わせてミルクティーをすすった。







「ダメだったんだ、試験」

 






 彼女の話はいつだって唐突に始まる。

  


「私、頑張ってきたんだ。それはもうこれ以上に無いくらいね。だからなのかな、私の中でポキッと何かが折れる音が聞こえたんだよ。ハッキリとね。」



 彼女はおもむろにポケットから指輪を取り出す。

 




「知ってるかい?諦めるのって簡単なんだよ。」

 




 月明かりに照らされて薄く光るその指輪を人差し指と親指で摘むと、空を見上げ星を眺めるかのように覗き込んだ。

 


「塵にはなれる。でもね、最期に輝ける塵はたった一握りだったってこと。」



 疲れたように笑いながら、そう虚空に言葉を投げた。 




「流星群のあの日に…」




 指輪から目を離しこちらを向く。




「そう、君が言った通りだったよ。」




 そう言うと、またコーヒーをすすった。






  

☆ 

「知ってるかい?私って人生でここぞという勝負に負けたことが無いんだ。」


「え、なんの自慢!?」


「いやあ、入学試験も定期考査もずっと1位だろう?運動も誰にも負けないし、将棋も強い。」


「口での言い合いも勝てたことが無いよ。」


「そうだろう?はい王手、詰みかな。」



 彼女はケラケラと笑う。

 僕はうはぁ〜と情けない声を上げながら将棋盤に倒れ込んだ。



「そういえば進路調査どうするの?」


「知ってるだろうに、私は宇宙に行く一択だよ。君は?」



 ドヤッと腰に手を当ててそう言いのける。

 


「いや、進路なのかなぁ、それは…。僕は宇宙工学系の大学かなぁ。」


「それは初めて聞いたな。」


「まぁ、最近ちょっとね。やってみたいことができたというか…」


「ふふふ、楽しみにしているよ。」


「な、何も言ってないじゃないかぁ!」



 あの時の彼女はこれまで見た中で一番の笑顔だった気がする。



「そうだ、次は囲碁でもしてみようか。天元というワードがとても気に入った。」



 それは輝く一等星のような記憶の一つ。






 

「いや、言い方が悪かったね。責めるつもりなんて毛頭無かったんだ。想像以上に私は脆かった。」



 なんども缶に口をつけては離すを繰り返す。

 


「これが現実的で正解なんだという言い訳じみた無味無臭のベールで自分を守り、輝く星になることを諦めただけなんだ。」



 僕は気がつけば俯いて拳を握っていた。

 

 こんな彼女を見たことがなかった。

 こんな彼女を見たくはなかった。

 あれほどまでに自信に満ちた彼女からこんな弱音が出てきてはいけない。

 



 だから僕は引き止める。


 


「ちょ、ちょっと待ってよ!僕は、僕は今ロケットを作ってるんだ!まだイチ技術者でしか無いけど…それでも僕が作ってる!」

 



あの頃恥ずかしくて直接口には出来なかった言葉を。

 



「だから、だから最初に乗って欲しいんだ!」

 



一緒に夢を追いかけたいという気持ちを。




「僕が一番好きな君に!」

  



 君への想いを。

 

 出来る限り精一杯の言葉で紡いだ。

 


「…………」


「…………」



 長い沈黙が流れる。


 耐えきれなくなった僕は顔を上げてチラッと彼女の顔をうかがった。

 彼女はこちらを向き目を見開いていた。



「そうか、君はまだ…」



 そう呟くと、ゆっくりと目を閉じて空を仰いだ。


 彼女がそうしてから更に長い時間が経ったような気がする。

 実際は錯覚で極々短い時間だったのかもしれない。

 





「楽しかったなぁ、あの頃は。」






 なにか憑き物が落ちたかのような。

 何かからか解放されたかのような。

 そんな声色で話し始めた。



「いつも唐突に私が君を振り回すんだ。さながら災害だね。でも悪いなんて全く思ってないんだよ。今でもね。」



 ふふふ、と笑いながら続ける。



「でも、君は嫌そうな顔をしながらもいつもついてきてくれたね。」 

 


 あの頃の笑顔で、あの時の輝きで、

 


「私は君のそういうところ、嫌いじゃないよ」



 彼女はフェンスにもたれかかったまま空へと言葉を投げた。

 もう手元には戻ってこないような、流れ星のように燃え尽きて消えてしまうような。



「でもね今の私に君は眩しすぎる。どうやら私は一足先に大人になってしまったみたいだ。」

 


 彼女はどこか諦めにも似たような口ぶりでそう告げる。



「どこかで期待していたんだろうね。私と同じであればいいなと。そうしたらあの頃とは違う関係で、またイチから始められるのかもって。なんて失礼な話なんだって自分でも思うよ。」

 


 あの頃の思い出を噛み締めるかのようにゆっくりと右手に摘んだ指輪をへ。



「ま、待ってよ!そうあの――」

「いやぁ、とても楽しい青春だったっ!!!」



 僕の言葉に被せるように大きな声で。


 それは、懸命に感情を隠そうとしているようで。


 隠しきれていない、震えるような声で。



「そんな…そんな、僕たちの約束を!夢を!青春なんて名付けて過去にしないでくれよ!」



 そう懸命に訴えるが、彼女には届かない。


 僕は、両目からとめどなく溢れ出る涙を拭う。







 滲んだ視界に、口を開く彼女の顔が映った。

 








 

「ごめんね、そしてありがとう。


 ―――― ずっと好きだったよ。」








 彼女は泣きながら笑っていた。








 この瞬間、僕と彼女の美しい呪いは、

 となった。

 





 彼女はきっともう戻らない。






 

「知ってるかい?今日で私たちも卒業なんだよ。」


「そうだね…」


「おや?今日はやけに素直なんだね。」


「卒業ともなるとね、やっぱり寂しいよ。まぁそれだけじゃないんだけどね。」



 彼女は腕を組み、うーむと考え始める。


 そんな仕草を横目に僕は勇気を振り絞れずにいた。


 気持ちを伝える、ただそれだけ出来ない。


 ふと、彼女は何かを思いついたのかぽんと手を打った。

  


「じゃあをしよう!これから先、辛いことがあっても全力で夢を追いかけ続ける。そしてその夢をお互いが叶えた時、その時に話を聞かせてもらうのはどうかな?」



彼女はふふふと笑う。

  


「どうかな?とてもロマンチックだろう?」






 

 僕は彼女のそういうところが好き

 





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