第19話
セラフィナはポツリポツリと自分の現状を語る。マクシムが言ったとおり、彼女は去年夫を事故で亡くしていた。それから二人の子供と暮らしていたが、夫と死別した彼女に言い寄ってくる男が何人か出てくる。
セラフィナ自身は市役所勤めで収入に困ってない。問題は彼女に言い寄る男に、彼女の上司がいる事。
「上司は所謂汚職役人なの……私も気付かずその汚職に加担してて、罪をなすりつけられたくなければ言う事聞け、って……」
ジェミヤンはここ迄聞いて全てを把握した。ちょっと失礼、と離席し電話をかけ、すぐ席に戻る。
「私の上司にその件を報告した。週明けにはその上司はいなくなっているよ」
「え……? ジェミヤンって今なんの仕事してるの? 軍じゃなくて?」
質問には答えず、セラフィナに「今日は送っていこう」と提案した。
「おいおい、皆大分飲んだな? ちゃんと家に帰れるのか?」
少なくない同級生達が酩酊状態で解散し、ジェミヤンはセラフィナを自宅迄送る。飲みに行くと分かっていたので、動きやすい様にシャロヴァルイを穿いてきていた。
「上は普通のコート着てるのにね。そのコサックのズボンって動きやすいの?」
「そうだね……少なくとも私は、これで動きにくかった事はなかったよ」
特にこれと言った話題もなく歩いていると、セラフィナの自宅近くに誰か立っているのが見える。
「何だその男は! 俺というものがありながら……このアバズレめ!」
突然怒鳴られ、身構え萎縮するセラフィナ。ああ、この男が問題の上司か……ジェミヤンはそのまま上司に近づき、セラフィナには見えない様に身分証を提示した。
「問題を起こされては困りますな。あなたは予算の横領により、懲戒処分となります。セラフィナはあなたから脅されていましたから、例え処分が下っても極軽微でしょうね」
男は媚びる様な作り笑いで「いやあの」等と言い訳めいた言葉を発するが、ジェミヤンはそれを無視して彼を押しのけ、セラフィナには「おやすみ」と言って家に入る様促す。
セラフィナが鍵をかけた音が聞こえたと同時、ジェミヤンが反時計回りに半身をずらすと、セラフィナ宅のドアに薪割り用の斧が食い込んだ。
男がジェミヤンに向かって斧を振り下ろしていたのだが、長く戦地にいて敵兵や犯罪者・テロリストと対峙していたジェミヤンには、想像に難くない行動。
避けられた事に驚いている男の鳩尾に拳を叩き込むと、ジェミヤンの倍はある横幅の体が簡単に崩れ落ち、なんともだらしなく白目を剥いて痙攣する。気を失ってはいないが、相当苦しいだろう。
ジェミヤンは相手が素人であるという理由で、これでも相当手加減をしている。景山3佐と戦った時の様に全力で拳を叩き込んでしまったら、醜い欲にまみれたこの男など簡単に殺せてしまうのだ。
「私の正体を知っても、尚その様な行動に出るとはな。警察も直に到着するだろう。役所に貴様の様なゴミクズはいらん」
冷静な口調で男を見下ろしていると、タイミングよく警察が到着し、男を回収していく。男は何やら喚いているが、警官がジェミヤンに敬礼していた場面を見て、ジェミヤンが提示した身分証が本物であった事をようやく理解し、項垂れた状態で連行されていった。
玄関前が静かになったところで、セラフィナがドアを開け、ジェミヤンを招き入れようとした。
「いや、私は遠慮するよ。君のお子さんが怖がるといけないしね」
そう言って帰ろうとしたジェミヤンの背中に、セラフィナは抱きついてきた。
「待って……お願い、一人にしないで……」
ジェミヤンは彼女の華奢な手をとると、真剣な顔で自身の思いを伝える。
「私が今ここで君と関係を持つのは簡単だ。だがそれは君やお子さんにとって、自分に責任がない事で常に命を狙われる危険な人生を意味する。私は旧友の君に、そんな人生は送ってほしくない」
納得できない、という顔を見せるセラフィナに、ジェミヤンは諦めた顔で身分証を見せた。
「君が公務員だから信用して、私の正体を明かそう。だが絶対にこの事を人に話してはいけないよ。私自身ではなく、君やお子さんが狙われることになるから」
「じゃあ、あなたがずっと独身でいるのって……」
さすが学生時代優秀だった女生徒。ジェミヤンの言わんとする事が理解できている様だ。
「すまない。私が君にできる事はここ迄だ。……さぁ、もう遅いからおやすみ」
寂しそうな顔でセラフィナに別れを告げ踵を返そうとした時、春の花の様に可憐なセラフィナの唇が、ジェミヤンのそれと重なる。
「え……」
「私、ずっとあなたの事好きだったの。でもフラれちゃったね。……おやすみなさい」
名残惜し気にジェミヤンの首に回した華奢な腕をほどき、セラフィナは静かにドアを閉じた。
「……深入りしすぎた。私とした事が……」
罪悪感と後悔を抱え、家路につく。
日付が変わりそうな時間だというのに、老いた両親は起きてジェミヤンを待っていた。
「あの様子だと、ダメだったみたいですよ、お父さん」
「まったくジェミヤン……お前は一体いつになったら、ワシらに可愛い孫を見せてくれるんだかな……」
連絡や帰省の度に聞かされてきた、両親からのため息と小言。聞き慣れてしまったとはいえ、おいそれと事情を話す訳にもいかない。
「申し訳ありません父上、母上。私が不出来なものでして」
両親に対して悪いと思っているのも、自分自身が不出来だと思っているのも事実。ただ両親をがっかりさせる原因が打ち明けられないだけ。苦笑いでごまかし、シャワーを浴びて床に就いた。
翌日の午前中は特に予定がないので、久しぶりに寝坊しようとベッドから出ないまま二度寝をしていたら、実家のドアが勢いよく開き、ジェミヤンが寝ている部屋まで元気な足音が聞こえてきた。
宵闇の英雄【バガトゥイーリ】は紅き命を執行す ペン子 @semifinal79
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