無能の姫は黒騎士の愛に溶かされる

藤乃 早雪

第1話 牢獄のような場所

「必ず帰ってきてくださいね」

「ああ。約束だ」


(そんなところでしょうね)


 リゼリアは城下に見える男女の会話を推測する。二人は恋人同士なのだろう。抱きしめ合って熱烈な口づけを交わしている。


 クレオア王国におけるキスは、単に愛情を示すだけの行為ではない。口づけを交わすことにより、女性から男性への魔力の補給を行うのだ。


 城下で口づけが交わされているのも、今から出兵する騎士団の恋人に、女性が魔力を渡しているのだろう。


 この国では当たり前の光景を『羨ましい』とリゼリアは思う。何故ならリゼリア自身は、当たり前のことすら満足にこなせないからだ。


(ここから落ちたら死んでしまえるのかしら)


 リゼリアは部屋の窓から身を乗り出してみる。


 死にたいわけではないが、この世界から自分の存在が人知れず消えてしまえば良いのに、と時折思う。


 ここは牢獄のようだ。自由がなくて息苦しい。


 リゼリアは窓枠に座り、古い寝台と机しかない小さな部屋を見回して肩を落とす。物置小屋とも呼べるこの場所がリゼリアの自室であり、一人きりになれる唯一の場所である。


 要するに、リゼリアは城に幽閉されている。


 結婚相手が見つかれば城から出られるかもしれないが、魔力を練ることができず、両親――つまりは王と王妃にも見放されている役立たずを、誰が嫁に欲しがるのか。


(……私も誰かを愛し、愛されてみたかった)


 ノックもなしに突然部屋の扉が勢いよく開く。

 リゼリアは驚きのあまり、背中から真っ逆さまに地上へと落ちるところだった。


 ずかずかと入ってきた初老のメイドは、開口一番にリゼリアを叱咤する。


「姫様、風に煽られて落ちたらどうするおつもりですか! 貴女は魔法が使えないというのに」

「すみません」


 リゼリアは反射的に謝罪を口にする。


 謝罪は姫に相応しくない行為だ、とよく怒られるが、謝らなければ反省の色が見えないと更に怒られるので、いつの間にか謝り癖が染み付いてしまった。


「陛下がお呼びです。今すぐ謁見の間にお向かいください」

「お父様が?」


 珍しいこともあるものだ。不思議に思いながら、リゼリアは言われた通り謁見の間に向かおうとする。


「はぁ……。その姿で向かわれるおつもりですか。みっともない」


 メイドはわざとらしく溜め息をついた。リゼリアの服装について言っているのだろう。


 今着ているドレスは嫁に行った姉のお下がりで、サイズが合っていないうえ、着古したせいで布地が傷んでいる。


「これでも私が持っているドレスの中ではましな方です」


(そんなこと、何年も私付きのメイドをしている貴女はよく知っているでしょう?)


 鼻の奥がつんとする。リゼリアは唇を噛み締め、部屋前の衛兵に同行するよう声をかけた。


 彼がついてくるのは護衛のためではない。リゼリアが城から逃げ出さぬよう見張るためだ。

 

 恐る恐る謁見の間に入ると、国王は玉座にどっかり腰を下ろし、退屈そうに髭をいじっている。しばらく会わずにいるうちに、頭髪は随分寂しくなっていた。


「喜べリゼリア、お前の結婚が決まった」


 国王は淡々と言ってのけた。


「結婚……ですか?」


 予想だにしていなかった言葉にリゼリアは呆然とする。


 これまで、魔法の使えない末の姫に何の興味も示さなかった国王が、何故急に結婚を決めたのだろう。


 不思議で仕方なかったが、王の真意はすぐに明らかとなる。


「嫁ぎ先はザールセンの騎士団長、セイン゠ド゠エルネストだ」


(えっ?)


 リゼリアは目を丸くする。


「私は隣国へ人質に出されるということでしょうか」


 ザールセン王国とは昨年の武力衝突以降、何度も小規模な戦いを繰り返している。

 先ほど恋人との別れを惜しんでいた騎士団の青年も、大方ザールセンとの国境に向かうのだろう。


 ザールセンに嫁に行けということは、つまり同盟交渉を円滑に進めるための材料となれということだ。幸せな結婚とは程遠い。


 しかも、結婚相手は冷酷非道故に黒騎士と呼ばれ、恐れられている騎士団の長ときた。


 城に引き篭もっているリゼリアの耳にも入るほど悪名高い人物だ。

 他国から嫁いできた嫁をどのように扱うか、想像しただけで目の前が真っ暗になる。


「このまま隣国との仲が拗れ、大きな戦争に発展すれば多くの死人が出るどころか、この国の存続も危うい。お前も分かるだろう?」

「……はい」

「少しは国の役に立ってくれ」

「はい……」


 国王の命に逆らえるはずがない。リゼリアは震えながらも頷くしかなかった。


 父は嬉しそうでも、哀しそうでもなかった。やはり、実の子であるはずのリゼリアに、何の興味もないのだ。


「あら、リゼリア。顔面蒼白じゃないの」

「ティアナお姉様……いらしていたのですね」


 謁見の間を出たところで、一番上の姉に出くわした。彼女は複数いる兄弟姉妹の中でも一際国王に愛されている。


 美麗の公爵に嫁いだ今も尚、頻繁に父の元を訪れていると聞いた。


「もしかして嫁ぎ先の話を聞いたのかしら」

「はい」

「良かったじゃない。魔力なしを貰ってくれるが現れたのだから、貴女はもっと喜ぶべきよ」


 姉は立派な巻き髪と豊満な胸をを揺らしながら近づいてくる。


「お相手は、まさか私が魔力なしとは思っていないのではないでしょうか」

「そうかもしれないわね。クレオアの王族は人並み以上の魔力を持つことが普通だもの」


 ティアナは哀れみの目で妹を見る。


 彼女は心からリゼリアを哀れんでいるわけではない。ただ、妹を見下し、要らぬ世話を焼き、反応を見て愉しんでいるだけだ。


 昔からそうだった。魔法の使えない姫を外に出すのは危険だと言って、リゼリアを城の小さな部屋に閉じ込めたのも彼女、ティアナである。


「実はお父様もそのことで悩んでいらっしゃったのよ。でも未婚の姫は貴女しかいないし、私、助言したの。リゼリアなら容姿だけは優れているから大丈夫でしょう、と」

「そんな……」


 ティアナの口が弧を描く。


「ふふ、貴女の結婚が決まったのは私のおかげなのよ」


 優しいお姉様に何か言うことは? という圧を感じる。


「ありがとう……ございます」

「そんな、恐縮しなくてもいいのに。お祝いの品を考えておくわね」


 ティアナは甘ったるいコロンの香りを振り撒きながら、機嫌良さげに謁見の間へ入っていった。


 きっと国王に「リゼリアはとても喜んでいたわ」とでも言うつもりなのだろう。

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2024年12月18日 20:32

無能の姫は黒騎士の愛に溶かされる 藤乃 早雪 @re_hoa_sen

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