人生観について

おかかカカオ

浅い人生を送ってみて思ったこと

 私は15年と数ヶ月生きてきた現在受験生の立場にある。

 普段何気ない生活を送る中でふと頭に浮かんだことを書き起こしていきたいと思う。

 まず、私の考えた結論から述べさせていただく。人生とはズバリ身体の部位の「脚」である。ここで筆者が何を言っているのだと思ったかもしれない。なぜならこういう時は例として道などの誰でも当てはまるものだと考えるべきだからだ。しかしなぜ私がこのような考えに至ったのかいくつかの個人的見解のもと語っていきたいと思う。

 一つ目の見解として道というものの概念部分が少し引っかかったことが挙げられる。道というものは非開拓地でない限り進む軌跡を描いている。この時、非開拓地はアインシュタインらの天才が自らの人生を犠牲にして切り開いていく道とする。そうすると一握りの天才以外は過去に誰かが踏み固めていった道を通るのみである。したがって自分の送る人生は他人の人生とほとんど同じ道を通り、幾つもの定められた分岐点によって違うように見せられているだけと考えた。

 二つ目の見解は自分自身が成長することについてが道などの例に当てはまらないと感じたことだ。道は成長するだろうか?答えは単純に考えれば否であろう。

 これらを踏まえてもう一度自分の送る人生が脚であることを述べさせてもらえればと思う。目の前に続いている道があるのなら自分の脚で一歩ずつ進んで行けば良い。その反対に歩みを止めることだってできる。人生には立ち止まることも必要だ。そして人は成長して退化する生き物である。子供の頃と大人になった後の脚はどう考えても大人の方が成長していて、大人と高齢者なら高齢者の脚は退化している。これらの事柄は道では言い表せない事柄だ。

 最後にこの考えを頭の片隅にでも置いて普段の生活の中でふと思い出してもらえれば幸いである。

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