屍術師メアの後日談

宵宮祀花

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 ――――激闘の末、勇者一行は魔王を倒しました。


 これが絵巻物語ならきっと『めでたしめでたし』で終わるのだろう。王都に帰って凱旋パレードをするエピローグが用意されていることもあるのかも知れない。

 けれど、目の前に広がっている光景は、とてもそんな明るい言葉で終わらせられるものではなくて。


 幼馴染の魔術師は、命を魔力に変換した最大奥義を放って死んだ。魔術の衝撃で、四肢が千切れてしまっている。

 勇者の親友で王都騎士団員にもなれるとまで言われた騎士様は、わたしを庇おうとして不意打ちを食らって死んだ。大盾を地について仁王立ちのまま首を落とされた。彼の頭部は魔術の余波で消し飛んでしまっている。


 そして、勇者は――――


「ああ……そうか。そうか。それほどまでに、貴様は……」


 ククッと、魔王は喉を鳴らして笑う。

 勇者の聖剣に胸を貫かれながらも、威厳と貫禄を微塵も失っていない声音だった。

 肩で息をする勇者の背中から、魔王の腕が突き出ている。

 どう見ても相打ちだった。


「それほどまでに、守りたいのだな」


 魔王の昏い瞳が、真っ直ぐにわたしを捕えた。


「ならば……奪ってやろう。最期まで、我は魔王あくやくらしくあろう!」


 勇者の背から突き出た手が、わたしを指さす。

 指先に魔力が集まり、あっと思う間もなく術式が発動した。


「さあ、終演のときぞ! 勇者一行よ、大義を成したりと凱旋するが良い!」


 高らかな笑い声が光の渦の中に反響して、わたしは意識を保てなくなる。遠くで、勇者がゆっくりと振り向くのが見えた。伸ばした手は届かなくて。叫んだ声も何処か他人事みたいに余所余所しく掠れて。


「…………ッ!!」


 ガバッと跳ね起きて、わたしは自分の体をまさぐるように触った。

 手も足もついている。体を見下ろしても、何処も怪我をしていない。石造りの床に寝ていたせいで節々が少し痛いだけで、魔王と戦った直後とは思えないくらいだ。

 でも、なにもかもが夢じゃなかったと、周囲の光景が物語っている。


「ベル……っ、トラヴィスさん…………リッ、ク…………う、うぅ……」


 涙が溢れて、思わず俯いたわたしの視界に、さらりと白い髪が流れ落ちてきた。


「え……?」


 背後から誰かが覗き込んで、髪を垂らしているのかと思った。

 でも、周りには誰もいない。生きている人はわたしだけ。

 それじゃあ、この真っ白な髪は……?


「う、嘘……!」


 弾かれたように立ち上がり、わたしは割れた硝子を覗き込んだ。

 其処には、真っ白な髪と灰白色の瞳をしたわたしが映っていた。


「魔王が放った最期の魔術……あれは…………ああ……!」


 がくりと膝をつき、わたしは顔を覆って今度こそ泣きじゃくった。

 あれは、わたしを殺すためのものなんかじゃなかった。わたしは生かされた。より苦しむように。皆と同じところへ行けないように。


 あの魔術は、属性反転術式だったのだ。


 わたしは教会で女神様の加護を受けた聖術師として勇者一行に同行してきた。道中何度も回復術を使って、それなりに貢献してきたと思う。祈りと祝福による加護を、パーティメンバーにもたらすのがわたしの役目だった。

 でも、それももうお終い。

 せめて亡くなった皆を、女神様の元へ送るための葬霊術を。そんなわたしの最後の願いさえ、魔王は笑いながら奪っていったのだ。

 属性反転の呪いを受けたいまのわたしは、聖術師から屍術師になってしまった。

 いまのわたしは、女神様の加護を失っているどころか魔族に近い存在だ。命を弄び魂を貶める、悪しき存在。

 これでは皆を正しく送ることが出来ない。魂を帰してあげられない。


「帰れない……ほんとうに……?」


 故郷には大聖堂がある。

 其処にはわたしよりも地位の高い聖術師の先輩方がたくさんいる。屍術師がかけた術を解くことが出来る司祭様も。

 故郷まで、一緒に帰ることが出来たら、皆は女神様の元へ帰れる……?


「泣いている場合じゃない……!」


 涙を袖で拭うと、わたしはふらつきながらも立ち上がった。

 まずはベルの元へ行き、ボロボロの人形みたいになってしまった体を抱き上げた。吹き飛んだ手足は、影も形もない。

 魔王城には魔族たちが暮らすための生活スペースもあったから、其処を借りよう。押し込み強盗みたいで気が引けるけれど……向こうもわたしたちの街や村を襲っては物資を奪ったり占拠した家で好き勝手したんだから、お互い様だよね。

 ベルをベッドに寝かせて、それから手下の人形師が使っていた研究室をあさった。彼女は攫った人間の魂を自作の人形に閉じ込めて操り、「助けて」「家に帰して」と泣き叫ぶ人形をけしかけるという、鬼畜のような魔族だった。

 でも、人形を作る腕だけは王都の職人にも劣らないほどだったのを覚えている。


「あった。これを借りよう。物凄く癪だけど……わたしには作れないもの」


 ベルの手足に近いサイズのものを選んで部屋に持ち帰り、正しく配置する。誰にも習っていないのに、どうすればいいのか怖いくらい理解出来ている。

 ベッドの周りに魔法陣を描いて、呪文を唱えた。


「――――蘇は反魂の秘術也。聖律の理に背きて、我、庶幾こいねがう」


 聖術師だった頃には見たこともない、昏い色の光が魔法陣から迸る。


「拒み、廻り、降り来たれ!……ルベルティカ・グリムノート!」


 目の奥を焼くような光が部屋を埋め尽くしたかと思うと、それら全てがベルの中に吸い込まれるようにして消えた。


「…………ぅ……」


 幽かな声が、ベルの唇から漏れた。


「ベル!!」


 思わずベルの名前を叫びながら飛びつくと、背中に細い手のひらが添えられたのを感じて、また涙が溢れてきた。

 ベルのやわらかくて優しい手が大好きだった。跡形もなく吹き飛んでしまったとき過ぎったのは、もうベルに撫でてもらえないという子供じみた絶望だった。


「な、にが……どう……して……あ、あた、し……」


 ベルは何処かぎこちなく言葉を紡ぎながら、わたしをなで続ける。

 わたしはしゃくり上げながら、必死に見たもの起きたことしたことを話した。もしベルに拒絶されたらどうしようと不安になりながら。

 わたしが下手な説明をするあいだ、ベルはじっと黙って聞いていた。


「……そ、か……うん……」


 わたしが話し終えると、ベルはそれだけ言って力なく笑った。

 その微笑は、わたしが怖い夢を見て泣きついたときと同じものだった。


『仕方ないな、一緒に寝てあげるから泣き止みなさいよ』


 いつかも聞いたベルの呆れたような優しい声が、頭の中で反響する。


「仕方ない、な。一緒、に、帰ろ。……ね?」


 蘇ったばかりだからかまだぎこちないながらも、生きていた頃のベルと同じ呆れと慈愛の入り交じった声で、わたしを宥めた。

 きっと、言いたいことがたくさんあったと思う。ベルはあの人形師を物凄く嫌っていたから、あんなヤツが作った手足なんて嫌だって言いたかったと思う。

 言えなかったのは、わたしがベルに縋り付いて泣いていたから。一人は嫌だって、あの日のように泣いていたから。ごめんね、ベル。ごめんなさい。


「リック、と、トラヴィスも……呼ばないと、ね。一緒に、帰る、でしょ?」

「うん……」


 ベルを支えて立ち上がり、部屋を出る。

 最終決戦の大広間まで戻ると、魔王と差し違えたときの姿で頽れているリックと、大盾を構えたまま仁王立ちしている首のないトラヴィスがいた。


「トラヴィス、これ、大丈夫なの?」

「うん。全身が塵になっちゃったら無理だけど、これなら……」


 トラヴィスさんの切り落とされた頭は、兜の中で蒸発するように消滅してしまっていた。それだけ魔王とベルの魔術合戦が凄かったってことなんだけど。

 聖なる加護を宿した大盾は、最期のときまでトラヴィスさんを守ってくれていた。たとえ命が尽きてしまっても。

 わたしは、空っぽの兜を甲冑の頂点に載せると、トラヴィスさんの周囲に魔法陣を描いて反魂の呪文を唱えた。


「蘇は反魂の秘術也。聖律の理に背きて、我、庶幾う。拒み、廻り、降り来たれ! トラヴィス・トラディーツォ!」


 昏く眩しい光が魔法陣から迸り、そしてトラヴィスさんへと収束する。


「うおっと!」


 ガシャン、と音を立てて、トラヴィスさんがよろめいた。

 慌ててわたしとベルで支えるけれど、思っていたよりも軽くて首を傾げる。それに何だか、声が反響しているように聞こえる。


「トラヴィスさん……?」

「お、おお……? あれ? 俺、確か……」


 混乱している様子のトラヴィスさんに、ベルが説明する。

 話を聞き終えたトラヴィスさんはわたしとベルを二度見して、それから大きく息を吐いて、二人纏めて抱きしめた。

 力強くてちょっと乱暴で、でも何処か優しいトラヴィスさんの腕だ。旅の最中にも何度かうれしいことがあると「やったな!」と言って、わたしたち三人を大きな腕に纏めて抱きしめてくれた。わたしたちのお兄さんみたいな、体も心も大きな人。


「護ってやれなくて、済まなかった」

「そんな……っ!」

「バカっ! あ、あんたに謝罪されることなんて、何にもないわよ!」


 泣きそうな声で、ベルが叫んだ。

 ベルの声が、甲冑の中で反射して響いた。

 わたしだけじゃなく、ベルもトラヴィスさんも違和感に気付いたみたいで、甲冑をじっと見つめている。


「トラヴィスさん……もしかして、この中……」

「ああ。肉体は全部消えちまったみたいだ。どういうわけか、俺はこの甲冑にいる。自分でも不思議なんだがな、体と変わらず動かせるみたいだ」

「そんなことって……」


 言いながら、ベルがノックをするようにコンコンと甲冑を叩いた。音は、空っぽの金属の器を叩いたときと同じ、軽い反響を伴って響いていた。

 思わぬ出来事にショックを受けているわたしとベルを順に見て、トラヴィスさんは「そんなことより」と明るい声で切り出した。


「リックのヤツも呼び戻すんだろ?」


 一番つらいのはトラヴィスさんのはずなのに、やっぱり此処でもお兄ちゃんで。

 それならいまわたしに出来ることは、トラヴィスさんに謝り続けることでも泣いて後悔することでもない。涙を拭って、力強く頷いた。


「はい。皆で帰るんです。こんなところに置いていきたくないですから」


 わたしは二人と一緒にリックの元へ向かい、魔王から引き剥がして離れたところに横たえた。殆どトラヴィスさんがやってくれて、突き出た魔王の腕から引き抜くとき甲冑だから表情なんてわからないはずなのに、凄く苦しそうにしていた気がした。

 リックを囲うように魔法陣を描いて、同じように呪文を唱える。


「蘇は反魂の秘術也。聖律の理に背きて、我、庶幾う。拒み、廻り、降り来たれ! リック・グウェン・リドル!」


 何度見ても慣れない、昏い昏い光が視界を埋め尽くして、収束する。

 神聖術とは真逆の、暗夜のような光。決して祝福されない祈りの証。


「…………っ、う……」


 顔を歪めて、うめき声を漏らしながら、リックの目が開いた。

 ぼんやりと天井を見上げていたかと思うと勢いよく跳ね起きて、それから、呆然とした顔でわたしたちを見た。


「どう、して……」


 たった四つの音に、たくさんの思いがこもっていた。

 どうしてベルとトラヴィスがいるのか。

 どうしてわたしの姿が記憶と違うのか。

 どうして魔王と差し違えた自分が生きているのか。

 どうして。

 どうして。

 どうして。

 どうして、胸に大穴が空いているこの体は、痛みを感じないのか。


 疑問を巡らせて、リックは自分で結論に至った。


「メア」


 リックがわたしを呼ぶ。


「帰ろう、皆で」


 差し伸べられた手を取ったわたしの体は、リックの胸に引き寄せられて。

 温かかった彼の胸には空虚な穴が空いていて。

 大好きだった優しい心音が聞こえなくて。


 わたしはまた、静かに涙を流した。


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