(後編)

 立ったまま意識を失っていたのは、ほんの数秒の間だったと思います。我に返ると、そこには何もありませんでした。辺りを見渡すといつもと変わらない境内の景色が広がっています。足元まで続いていた、朽縄が地面を散々に這いずり回った跡は、左右に大きくうねって無限に似た記号を型取りながらも、ある地点で不自然に途絶えて、蛇の行方は分からなくなっていました。私がいまさっき見たものは、自身の恐怖心が生み出した幻影だったのでしょうか。少し前までずっと騒がしくしていた野鳥は嘘のようにぴたりと鳴き止み、一転して急に静かになった神社の中で、私は暫くその場に呆然と立ち尽くしていました。

 朦朧としていた意識がはっきりしてくると、冷えた空気に肌寒さを感じました。生地が厚めのしっかりしたカーディガンを羽織ってきたつもりでしたが、この季節は夕刻が近付いてくるとやはり冷え込みます。雲によって太陽の姿は隠されていましたが、だいぶ日が傾いているようです。ひとまずここから出て山を降りようと思い、私は踵を返しました。


 陽の沈み切る前に無事に下山して、駅前の広場まで戻ってきました。鞄からスマートフォンを取り出して画面に目をやると、メッセージアプリに一件の通知が届いています。アプリを開いて内容を確認してみると、仕事が早めに終わったから車で迎えに行く、という旨の連絡でした。

 時刻表には、あと数分も待っていれば次の電車が到着すると記載されていたので、そのまま電車で帰宅しても良かったのですが、私は少し思案してから、感謝の意を述べて大まかな現在地を打ち込み返信しました。いつもは寄り道をせず真っ直ぐに電車に乗り込むので、折角の機会に付近の町を見てみようと思ったのです。また、頭の中では先ほどの現象にずっと混乱が収まらず、思考が取り留めもなく散漫な状態にあったので、歩きながら神社での出来事を整理したい気持ちもありました。

 高校生の終わりから現在に至るまで、絶えず心的外傷に悩まされる日々を送ってきましたが、ここまで強烈な幻覚症状に遭ったのは初めてだったので、戸惑いを覚えていました。


 私が社会人になって数年が経過した頃、それまでの蓄積によってある日突然に自分の理性が崩壊し、生活に支障を来す範疇で精神が錯乱状態になり断続的なせん妄から抜け出せず、治療のために心療内科にかかっていた時期がありました。職場内では勿論、親しい間柄の相手にも自分がトラウマに長年悩まされていることを徹底して秘匿し、日常生活を送るうえで努めて明るく振る舞うよう心がけていたため、周囲の人は私の豹変ぶりに狼狽え、結果的に多くの心配を掛けてしまうことになりました。

 不健康なまでにげっそりと窶れて、簡単な会話でさえまともに成立しない状態だった私は半ば強引に病院まで連れて行かれ、初日の診察でかなり重篤な状態だと判断されたため即座に休職を取ることになりました。私としては業務に集中している時間は他のことを考えずに済むのでなるべく仕事はしていたいと主張したのですが、その発言が余計に仕事に洗脳されていると捉えられて反対され、やむなく自宅での療養に専念することになりました。ただ、そのときは周りの説得に不服に思いながら応じたのですが、実のところは、私が業務に集中できていると思い込んでいただけで、実際には半狂乱状態でモニターに向かって叫んでいるだけだったそうなので、真っ当な決定だったと言えます。新卒の社会人の割には良い待遇と人格者の上司に恵まれた環境で、それどころか問題は全部私の方にあったので会社には何度も頭を下げて謝罪しましたが、一回り年齢の離れた上司は私を一切咎めることなく、しっかりと休養を取って戻ってこい、と励ましの言葉をくれました。

 私は休職期間中、毎晩のように繰り返される悪夢に急かされて、一日も欠かすことなく神社へ死体の確認に行きました。精神を病み、暗い顔をして自宅で塞ぎ込んでいる私が、毎日決まって同じ時間に電車で遠出する様子を周囲の人は不審がりましたが、腫れ物を扱うように私を遠巻きから眺めるのみで、誰も深く詮索してくることはありませんでした。これは後になって聞いた話ですが、特に症状の酷かった時期は話しかけてくるすべての人間に対して過剰に怯えた態度を見せ、常に何かを譫言のようにぶつぶつと繰り返していたそうです。その辺りの記憶は抗不安薬の副作用によって混沌としていて今では殆ど覚えていないのですが、唯一明瞭に覚えているのは、ある日の深夜、自室で奇声を上げて狂っていた私を心配して様子を見に来た母にマグカップを投げつけて流血沙汰になったことです。十四歳の誕生日に両親から買ってもらった、側面に可愛らしいクマのキャラクターがプリントされたお気に入りのマグカップが、粉々に割れて破片の飛び散る音で我に返り、頭から血を流してしゃがみ込む母を眼の前にして、私は泣きながら謝り続けることしかできませんでした。それでも母は、おかしくなった私に対して一度も怒りをぶつけることはせず、粉骨砕身して療養に付き添ってくれたのです。

 日々のカウンセリングと投薬の効果もあって比較的精神状態も安定し、三ヶ月の通院の末に復職できることになったのですが、その後の生活でも抗不安薬が手放せない存在となりました。以降、些細な心傷や負担であっても身が持たず、即座に医薬品を頼るようになって五年以上が経過しましたが、特に最近は、医師から薬の過度な接種は控えた方が良いとの助言を受けて服用を止めていたため、唐突な不安感に襲われる頻度が格段に上がりました。今日の幻覚症状もこれに因るものが大きいのでしょう。


 踏切を渡り、長閑な景色が広がる町並みへやってきました。小学校が近くにあるのでしょうか、遠くからは子どもたちの楽しげな笑い声が聞こえます。駅から少し歩いた先の通りでは、帰路を急ぐサラリーマン風の男性や買い物袋を肩から提げた主婦が、まばらに行き交っていました。車道を挟んで向かい側では間隔を開けて何軒かの個人店が看板を掲げており、端にある古本屋の中から現れた薄茶色のエプロンを腰に巻いた店員が、店先に展開しているキャスター付きの什器を片付け、店仕舞いの準備をしている様子が目に映ります。部活終わりらしく、肩にテニスラケットを背負って談笑しながらこちらに向かって歩いてくる三人組の学生のうち一人が、すれ違いざまにちらりと私の方に視線を投げかけました。本人には、そんなつもりは露ほどもないとは思いますが、他人からの視線を受けると社会に順応できない自分を咎められている気がして、いつも居心地の悪さを感じてしまう私は、思わず目を伏せて足早にその場を通り過ぎました。

 つい三十分前まで上空を支配していた曇天模様はすっかり風に吹き流されて再び太陽が顔を出し、西日があらゆるものを鮮やかな朱鷺色に染め上げていました。頭上で翼を羽ばたかせるハシブトガラスのつがいが、大きな鳴き声を発して飛び去ります。鉄塔に設置された防災行政無線チャイムが、ホワイトノイズの多分に混じった「家路」のメロディを奏で、夕刻を報せました。

 この曲は、ドヴォルザークの作品である交響曲第九番「新世界より」の旋律に基づいて一九二二年に改めて編曲されました。齢五十にして長年過ごした祖国のチェコを離れ、新大陸アメリカへと赴いた彼が生み出した哀愁の漂うメロディは、悠々としたリズムに載せられて耳元まで届けられ、私の心を叙情的に撫で付けました。繊細且つ麗美な音色を織り成すオーケストラは世界各地で大勢の人々を魅了し、今もなお時代を超えて親しまれています。

 彼は、愛する故郷ボヘミアの町で継承される民族音楽とアメリカ土着の五音音階を上手く融合させて、この最期の交響曲を書き上げました。主旋律を奏でるイングリッシュホルンの柔らかな音色と静かに空間を震わせる弦楽器の調和が、聴く人の心を幼少期へと連れ戻し、ノスタルジーに浸らせます。特に第二、第三楽章の音律には、黒人霊歌「ハイアワサの歌」という英雄譚に感受された部分が随所に見られると言われています。


   それから彼らは嗚咽と嘆きをやめ、優しい声で言った。

   「私たちは亡霊だ。嘗てあなたと共にいた人々の魂だ。

   チビアボスの王国から、あなたに警告をするためにやってきた。

   悲しみと嘆きの叫びが祝福された島々に届き、生者の絶叫が亡き友を呼び戻す。

   だから私たちは、あなたを試すために来たのだ。

   私たちを知る者はなく、耳を傾ける者もいない。

   そして私たち亡者は、生きている者の間に居場所はない。」




 何処からか、風に乗って微かな甘い香りが漂い、私の鼻腔をくすぐりました。そういえば今日は午前中に二切れのサンドイッチを口に入れたのみで活動し続けていたことを思い出します。空腹感を意識した途端に全身に力が入らなくなり、腹が鳴りました。私は糖分を欲する脳に急かされて、甘露な匂いの発生源を突き止めるべく歩き出しました。

 鼻をひくつかせて入った路地の先は住宅街になっていました。きっと何処かの家で子どもが練習をしているのでしょう、小さく耳に届くピアノの音色は、ぎこちないリズムでトルコ行進曲を演奏していました。それに加えて、少し離れた場所で飼い犬が威勢よく吠える鳴き声も聞こえてきます。カーテンの隙間から白熱電球の明かりが漏れている、右手前側のシックな外観が特徴的な二階建ての一軒家には、玄関横のガレージに小さめのバスケットゴールや三輪車、バケツやスコップなどが所狭しと並べられており、上階のバルコニーではたくさんの洗濯物が風に靡いていました。私は、干された洋服の量とサイズから、この家庭はきっと四人家族なのだろうと推測しました。

 私は、見知らぬ住宅地を歩くのが好きでした。表札の名前、薄い窓から微かに漏れるテレビの音、物干し竿に掛けられた布団、烏避けのネットを被ったごみ捨て場。そこには、私が今まで知る由もなかった無数の人生があります。この世に生を享け、喜びを分かち合い、誰かを愛し、時には苦悩し、それぞれが思い思いにドラマを生み出しては、慎ましく人生の幕を閉じる。私の見ていないところで始まり、知らぬ間に終わっていく物語の数々に、思いを馳せるのです。そうして他人の生涯に干渉したつもりになって、気を休めているのです。私の存在とは何と浅ましく、矮小なことでしょう。突然視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間私は神社の中にいました。屍肉を残酷に撒き散らした狐の死体が頬まで裂け切った口を開き、こちらに問いかけます。あなたの人生には一体、どんな価値があるというの。あなたはもう、死んでいるも同然だというのに。煩い、黙ってくれ。耳を塞ぎ衝動的に叫ぼうとすると、そこはさっきまでいた住宅街でした。

 嗅覚を頼りに進んでいくと、やがて小さな公園に面した車道の路肩に、赤い提灯を二つぶら下げた石焼き芋の販売車が白い煙を燻らせて停車しているのが目につきました。だいぶ風が冷たい季節になってきたにも関わらず半袖の白シャツ一枚で車外に立っている体格の良い主人の後ろには、焼き芋機の中で京紫色をした薩摩芋たちが行儀よく整列して並んでいます。これぞ、秋の味覚というものでしょう。もう少しで背と腹がくっ付いてしまうのではと思うほどに限界を迎えていた私は、今に限ってこのレトリックは使い物になりませんが、垂涎の思いで駆け寄りました。

 私はがま口を取り出して焼き芋屋の主人に代金を支払い、改造が施された軽トラックの荷台部分に陳列された薩摩芋を見比べて、その中で最も大きなものを一本購入しました。

 紙袋に入れてもらった熱々の焼き芋を手に、公園内へ移動します。五時のチャイムを聞いて、子どもたちがすぐさま帰宅したのか、夕日に照らされたブランコが寂しそうに揺れています。この焼き芋を食べ終わったら、私が責任を持って漕いでやるからな、と心の内で語りかけました。

 ジャングルジム、シーソー、地面に半身を埋められたタイヤなどの名立たる顔ぶれが揃う中、何処か座って食べられるところはないかと見渡すと、公園の奥側にあるメッシュフェンス沿いに設置された一台のベンチに、先客がいることに気が付きました。短く刈り上げた白髪に、薄っすらと顎髭を蓄えた老齢の男性が一休みしているのです。二人掛けのベンチなので私が座れるだけのスペースは空いているのですが、初対面の人がいるすぐ隣に腰を下ろすのは、人見知りな私にとってはハードルの高い行為です。かといって、男性がここを立ち去るのを待つか、ここ以外の休める場所を探しに行けるほどの余裕はありませんでした。できることなら今直ぐにでも手元の芋にかぶり付きたい。少々気が引けましたが、私は意を決して男性に声を掛け、横にお邪魔することにしました。

「おとなり、よろしいでしょうか。」

 男性はこちら側に少し首を巡らせて、穏やかな笑顔を作りました。垂れ下がった目尻に細かい皺が寄って、男性の温厚な相好がより柔和になります。チェック柄のニットに灰色のジャケット、動きやすそうなジーンズにスニーカーという質素な服装でありながらも、姿勢良く正された背筋やゆったりとした所作からは、その身に染み付いた品格が溢れていました。恐らく傘寿は迎えているであろう貫禄のある出で立ちながらも、年齢にそぐわない若々しさを備えているのは、老人らしからぬ静かな生命力を滾らせた眼力のせいでしょうか。

 軽くお辞儀をしてベンチに着くと、紙袋から焼き芋を取り出しました。まだ直接触るにはだいぶ熱く、紙袋越しに掴んで真二つに割ると、甘い熱気がゆらゆらと立ち上ります。ほかほかの石焼き芋を自分一人で丸ごといただくとは、なんて贅沢なことでしょう。

「あなたも、散歩ですか。」

 男性は物腰の柔らかな口調で、私に訊ねました。口いっぱいに詰め込んだ芋のせいで咄嗟に返事ができず、もごもごと慌てふためく様を微笑みながら見つめられ、私は気恥ずかしくなりました。しかし、焦ってすぐに飲み込もうとすると、火傷をしてしまいそうです。時間を掛けて食べ物をすっかり胃へ送り、口の中を綺麗に片付けてから答えます。

「そうです。駅より北側にある山中の神社まで歩いてお参りするのが、私の散歩道になっていますので。」

 予期してなかったであろう答えに、形の良い眉を顰めて少し意外そうな顔をします。確かにあの山道は、気軽に出掛けるにしては険しすぎますし、明確な意図を持ち合わせている人でなければわざわざ足を運ぶことはしないでしょう。実際に境内で他の人とは出会ったことがないわけですから、私は極めて異端な例だといえます。

「失礼ですが、この辺りにお住まいの方でしょうか。」

「いいえ、全然。いつも電車を利用して一時間ほど掛けてここまで来ています。散歩にしては少し距離がありますが、何しろあの神社が気に入っているものですから。」

 男性はいよいよ仰天したように表情を崩しました。観光地とは程遠く寂れた神社に、何の目的でこの地へ訪ねているのか真意を図り倦ねているようです。男性は、何かを察した様子でにこやかな表情を取り止め、真面目な顔つきをしました。

「差し支えなければ、お話しいただけませんか。あれほど物静かな神社に、遠方からわざわざ通い詰める方は少ないでしょう。あなたには、特別な事情がおありなようだ。」

 私は沈黙しました。それは心理カウンセラーにも、友人にも、母親にも話したことのない、私の神髄に当たる部分。人生を狂わせた発端から今に至るまでの苦悩。

 人は誰しも、多からず景色の異なる世界の住人であると私は思います。例え、ある二人の人間が全く同じものを見て、聞いて、食べたとしてもそれが各々の錐体細胞に伝わり、内耳から蝸牛管へ伝達され、味覚受容体細胞が刺激を受け、情報が中枢神経系へと送信される頃には僅かな差異が生じます。そうして個体差によって生み出される小さなずれや違和感が積み重なり、やがて齟齬を来して軋轢となるのです。万人は、互いに見えている世界が違う以上、真に理解し合うことは不可能だ、というのが私の持論でした。両者がどれだけ親身になって寄り添い合ったとしても、絶対に分かり合えない関係。他者とのコミュニケーションとは意思の疎通、ないし感覚の共有を行うことではなく、相手が何を思っているのかを自分なりに解釈する行為でしかないのです。

 しかしこの男性には、その人に備わったしめやかな雰囲気によるものなのか、不思議と全部を打ち明けてみたいと思わせる特質がありました。私の世界を曝け出したところで、結局は何一つ伝わらずに都合の良いように受け取られて終わるかもしれない。これだから今時の若者は、と悲嘆の声を漏らすだけかもしれない。しかし、それもまた一興ではないか。どのみち焼き芋を頬張っている間だけの関係性しか無い、行きずりの相手なのですから。私は一呼吸置いて、口を開きました。

「私は、タナトフォビアと呼ばれる病に冒されているのです。」

 頭の中では幾度となく反芻した単語でしたが、声に出したのは初めてでした。自分で発声しておきながら、聞き馴染みのない言葉に違和感を覚えます。男性は動じず、静かに私が話すのを待っていました。

「高校生の頃、私は境内で××××様に出会ったのです。××××様は私の体内に棲みつき、生と死について説きました。謂わく、人生のすべてに意味はないと。」

 男性は、前触れなく聞き取れないイントネーションで言語を発した私の顔を凝視しますが、構わずに続けます。

「私たちは一体、生きていくことで何になるのでしょう。富を築いて、歴史的発明をして、大量虐殺を実行して俗世に名を轟かせたところで、その果に何の見返りがあるのでしょうか。最期には一切を失うことが確定しているのに、体裁ばかりを気にして取り繕うだけの人生。幸せという字が、夭逝に逆らい生き永らえる意に由来すると知ってのことならば、甚だ理解に苦しみます。喜怒も哀楽も突き詰めれば、死にゆく運命に抗うための連続的な逃避行動に収斂するのです。即ちそれは、死んでいるも同然だというのに。」

 私は、先刻の××××が語りかけてきた言葉を引用していることにも気が付かないまま、益々熱を帯びていく弁舌に拍車がかかります。

「命には必ず価値があるものだと信じてやまなかった私は、××××様の一言で絶望の淵に立たされました。これから先、自分はどんな人間になれるのだろうか、どんな未来が待ち受けているのだろうかと夢見ていた私は、その場であまりに容易く殺されてしまいました。××××様と接触してからの私は無気力そのもので、亡霊となってこの世を未練がましく彷徨い歩いているに過ぎないのです。魂のない抜け殻となった私に残されていたのは、肉体的な死に対する極度の恐怖心のみでした。」

 自らの心内を長年逼迫していた巨大な悪感情を、独白と共に吐き出します。私がいま語りかけているのは、老齢の男性に対してではなく、狐の死体にでも、女子高生の自分に対してでもありません。ただ目の前の空間に向かって訥々と言語を紡ぐ作業を進めていくうちに、曖昧模糊としていた自分という存在が、やっと具体的な形を持って輪郭を表していくような感覚を味わいました。しかし、そのようにして構築され、徐々に完成形へ近付きつつある私の像は、どう見ても人型ではなく、異形の姿をしているのです。私は、腕をもぎ取られてもなお本能に付き従い死から逃れようとする獣なのか、はたまた元より手足を生まれ持たない蛇なのか。もしくは、神の力によって後天的に四肢を溶かされた人間なのか。

 恐らく、私はもう何年も前から、壊れていたのです。もしかすると××××と出会うずっと前からそうであったのかもしれません。偶然それを自覚する引き金になるものが、本殿の裏にあったというだけで。

「私は誰よりも生に固執しました。死への恐怖しか持ち合わせていない私には、何処を探しても活力なんてある筈がないのに、いや、寧ろそれこそが生きようと思える最大の動機なのかもしれませんが、何かと生きる理由を付けては明日を渇望し、希うのです。それは偏に、私の最後の砦である意識さえも失いたくないという一心です。

 もしも、とある一晩に私の意識が奪われて永遠の眠りから目覚めなくなる、という恐ろしい想像を巡らせてしまったならば、忽ちにして呼吸が儘ならず酸素の供給が途絶えて体中が痙攣を始め、その日は一睡もできずに布団に包まってぶるぶると身を震わせる羽目になるでしょう。ただ残念なことに、とてつもなく恐ろしいこの妄想は、いつしか必ず現実となり、私が死んだ後の世界というやつが、劇場の舞台袖で息を殺して今か今かと出番を待ち侘びているのです。

 肉体が朽ちて私の存在が抹消され、家族や友人の全員が息絶えて私を知る者がいなくなり、遂には地球が終末を迎えて遍く宇宙から生命が消え去ったとしても、演者も観客もいない空間は永遠に続いていくのです。」

 私はひとしきり話し終えると、丁度良い具合に冷めてきた薩摩芋を口に運び、食事を再開します。

 公園前の路傍を、美しい毛並みのハスキー犬を連れた熟年夫婦が横切りました。通りすがりに二、三度会話のやり取りが聞こえ、遠ざかっていきます。そぞろに揺れ動いていたブランコは少し前から燥ぐのをやめ、落ち着きを取り戻して静止していました。視界から動くものがなくなり、一面が鮮やかなオレンジに包まれた夕景に、切り取られた絵画の中に入り込んでしまったような気持ちになります。

 男性は、私が語り尽くすまで相槌も挟むことなく静かに聞き入っていました。そうして、彼の中で思考の断片をつなぎ合わせているのか、家々の向こうへ沈んでいく夕陽を眩しそうに眺めながら、つらつらと考え込む様子を見せます。私が芋を咀嚼する音が、やたらと大きく聞こえました。

 鞄から水筒を引っ張り出して喉を潤わせ、焼き芋を三分の一まで食べ進めたとき、男性が独り言のように呟きました。

「私たちはすべからく、己をどう全うするかの一点に拘って生きているのではないでしょうか。」

 嗄れた声でした。それは私に問いかけるでもなく、諭すでもなく、ただ虚空に向かって発せられ、風の音にかき消されました。それはどういうことでしょうか、と私は訊ねます。

 男性はこちらに向き直り、私の両方の瞳を真正面から見据えると、軽く咳払いをしてから落ち着いた口調で話し始めました。

「これはあくまで私の人生観に依るところですが、人間は個としてではなく、永らくを群であり、なおかつ種として存在し続けた責任を背負わねば成らぬと、常々考えているのです。」

 私はふと、この声に聞き覚えがある気がしました。正確にいうと、自分の耳で直接聞いたことはないのですが、私の脳内で繰り返し再現された声、とでも言いましょうか。××××とはまさに、このように掠れていてくぐもった、それでいて説得力のある力強さを含んだ声色の持ち主でした。

「今から話すことはすべて年寄りのお節介な説法、あるいは傍迷惑な盲言だと聞き流していただいても構いません。

 昨今では、如何にして一度きりの人生を悔いのないように、豊かに過ごすかを説きたがる傾向にあると感じませんか。各人が自由と権利を主張し、個を重んじる。無論それは大事なことですが、至極当然のことをわざわざ声を張り上げて講釈垂れるまでもないでしょう。私が危惧しているのは、我々は一人の人間である以前に霊長類の一員であり、同じ感覚を通い合わせた共同体だという意識が欠けていることです。言い換えるならば、私たちは肉体を超越して、神経同士をシナプスで結合されているのです。これは現在の時間軸だけに限った話ではありません。紀元前から今世紀に至るまで、さらに言うと数億年掛けて生命が誕生し、いずれ滅亡するまで我々の魂はひとつだとお伝えしたいのです。

 もし海中に、鰯の群れがおりまして、それらが海面に突き刺さる日光を鈍色に屈折させ、渦を巻いているとしましょう。その魚影に向かって上空から狙を定める海鳥や鋭く牙を剥いた鮫たちは、鰯を個々として認識しているのでしょうか。恐らくですが、そうではないでしょう。小魚も単体としては意思を持った生物ですが、彼らは自己を守るために仲間と団結して、魚群というひとつの生物になります。群の内側に取り込まれた鰯は自らを主張せず、種の存続を懸けて、天より賜った命を完遂するのです。人間も、社会というコミュニティに生息している以上、同じことが言えるでしょう。」

 私は、少し思案をしてから質問しました。

「つまりあなたは、自分を満たすことばかりに気を取られず、社会に貢献するために自らを律せよ、と仰るのでしょうか。」

 男性はかぶりを振り、否定します。

「いいえ、決してそうではありません。私たちはこの地に生まれ落ち、自我を持って心身を働かせている時点で群としての役割を果たし、充分に生きている価値を発揮しているのです。

 人生の比喩表現としてよく蝋燭の炎に例えられますが、私個人としましては、命の燈火が美しく揺らめき立つこと、そして燃え尽きることは、どちらもさほど問題ではないと考えています。それよりも重要なことは、自身の焔が歳月を重ねて燃え盛り、やがて溶け切った蝋が凝固し残った跡を見て、後世の人間が何を思うか、ということです。あなたはこれまで生まれ育つうちに家族や先生から教育を受け、先人の恩恵に肖り、自らの指針としてきましたね。それらは皆、死んでいった故人たちの遺産、要は溶けた蝋燭だと捉えられましょう。ならば私も同じようにこの時代を生き抜いて、今と昔を繋ぎ止める楔となり、次の世代への道標として活用していただければ、胸を張って成仏できるというものです。ただし、どれだけ奔放な生活を送りましょうが悪事を働きましょうが、どうぞご勝手になされば宜しいのですが、その生き様が次代にまで影響を与えることはゆめゆめ忘れてはなりません。あなたの背を見て育つ人間とは必ず何処かに居るもので、この国に生まれた運命共同体としての誇りを持っているのであれば、この一点に関しては決して気を抜いてはならないのです。

 己を全うするとは言わば、炎の滾らせ方に当たるのです。灯火の色や激しさ、その揺らぎ方は千差万別ありますが、それらは元より実態のないエネルギーに過ぎません。物質的な財産は形に残るだろうと思われるかも知れませんが、そんなものは契約の元で所有権と呼ばれる肩書が付いただけの、まやかしでしかないのです。烈火の如く勢いで辺りを煌々と照らして注目を浴びましょうが、ちろちろとほんの身の回りだけに小さく明かりを灯しましょうが、火が消えて最終的に世間に遺されるのは、その人が燃えて散った形跡だけです。一度肉体を失ってしまえば、その魂は故人を悼む人の心の内にしか存在し得ないのです。しかし、それこそが正しく人間の生きた証なのだと言えましょう。人類史が始まりを迎えて以来我々は、地球という受け皿に一人ひとりが数滴ずつ生きた証を落とし続けて、たくさんの蝋で土壌を形成しました。私はそれを文明と呼びます。文明とはつまり、我々人類の歴史が凝縮された結晶であり、私たちを育み養う揺り籠としての役割も兼ねているのです。

 私はもう、老い先短い運命にありますが、それを憂えることは致しません。あと数年も経てば往生を迎え、この体はいずれ灰燼に帰すでしょうが、私がこれまでに綴った人生はエッセンスだけを散りばめて誰かの心に残り、人類が滅びるその日まで失われることはないのです。また、あなたの記憶の片隅にも、ついでに極小さな私の欠片を留めていただけたなら、私はそれだけで満足なのです。」

 私は心がすっと軽くなり、体中の憑き物が落ちるように思えました。虎視眈々と闇に隠れて私のことを待ち受けていた恐怖心が、少しだけ身を小さくして鳴りを潜めた気がします。男性の言う蝋燭の蝋とは、まさにこのことを指すのでしょう。彼の伝えた言葉は私の胸にしっかりと刻まれ、私が忘却しない限り彼の信条は幾世も超えて継承されていきます。そうして紡がれていく物語は個々のものではなく、私を含む全ての人間のものだと言えるのではないでしょうか。

 男性は、慈愛に満ちた笑みを浮かべて言います。

「あなたは今、ご自身に生きている価値が無いとお考えでしょうが、図らずともあなたの逞しく燦いた炎は、燭台に蝋を垂らします。固まった蝋はきっと美しい模様を象ることでしょう。人生に対して真摯に向き合い、多くの悩みを抱えながらも前を向くあなたの姿に胸を打たれ、その想いを先へと繋いでくれる人が必ず現れます。それは何よりも、あなたの内側に宿る新たな生命が物語っているのではありませんか。」

 私は、少しずつ膨らみを帯び始めた自分の腹部を撫でました。この子は一人の人間として、そして私たちの意志を後世に受け継ぐ要として誕生し、この世に新たなドラマをまたひとつ生み出してくれるのでしょう。そのドラマのエンドロールに小さな文字で私の名前を載せてもらえることに、誇らしく思います。ずっと私の大部分を占めていた憂虞のうちに、僅かな期待感が仄見えたような気がしました。

 ポケットの中に入れたスマートフォンが振動し、着信が入ります。旦那からの、もうじき駅前に到着することを報せる連絡でした。

 私は、ベンチから立ち上がり男性に頭を深々と下げて感謝を述べ、公園を後にしました。


 妊娠が発覚したのは四月に差し掛かった春の季節、新居の窓から見える可憐な花を咲かせた桜の木が印象的でした。入籍をしてから二ヶ月が経過し、引っ越し後の手続きがようやく一段落付いて、新生活にも慣れ始めてきた頃の出来事です。

 過去に重度の精神障害を患い、回復傾向にあった今でも発作的なパニック症状を度々引き起こしていた私は、医師から出産をするかどうかの決断を迫られました。精神病を持つ女性の出産は、通常よりも幼児の発育不全や児童虐待、母親の自殺などに繋がるケースが多く見られると説明を受け、家族ともよく相談するように念を押されました。私の性質に対して深い理解を示してくれる旦那は、どちらの選択肢を選んだとしても全力で支えていくから、と私の手を強く握ったうえで、それでも父として振る舞う自分に不安が絶えることはないと弱音を吐きました。何でもない日の夜に、突如として感情のコントロールができなくなり叫び狂う私の姿を何度も目にしている彼が本心ではどのように考えているかは、想像に難くないことでした。

 人の命に意味を見出すことができない私が、子どもを立派に育て上げるなんて不可能だと思いました。両親も友人も口を揃えて、やめておいた方が良いのではないかと私の身を案じます。これは私たち夫婦だけの問題ではなく、周りの人々にも多大な心労を掛けていることは重々承知しています。両親にも職場にも、今以上に迷惑を被らせるのはどうしても負い目を感じました。しかし、ここで私が堕胎する道を選んでしまうと、自らの存在する価値がいよいよ無くなり、生きる意味を完全に見失うのではという気がしてならなかったのです。

 窓辺のソメイヨシノがすっかり新緑に染まるまで悩みに悩んだ末に、私は子を産むことを決心しました。私なら絶対に上手くやれる確信が芽生えたわけではなく、寧ろ不安感は日に日に募るばかりでしたが、私が生まれてきた本当の理由がそこにあるのだと直感が叫んでいました。そして何よりも天から授かったこの小さな命を蔑ろにすることは、私にはできませんでした。




 駅前に戻ってくると、旦那の愛車である黒のセダンが停まっていました。車外で大きく伸びをしていた彼は、こちらの姿を見つけると手を振りました。私もそれに応じて、はにかみながら手を振り返します。

 彼は眩しそうに目を瞬かせて、夕焼けに染まる山脈を一望しました。

「僕がここに来るのは、大学生のとき以来かな。」

 私は、そうね、と頷きます。二人の薬指に嵌まった小振りな宝石が、赤い陽を受けてきらりと光りました。

 車に乗り込もうとしたそのとき、私の額に冷たい雫がぽつりと当たりました。見上げると、次第に夜の気配が訪れつつある東の方角は晴天の空が広がり、丸々とした大きな月が輝いています。

 狐の嫁入りだ、と彼が呟きました。

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死屍を溶かす @Hitonosu

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