第17話

一台のライトグリーンメタリックのRVRが西伊豆の県道17号線を南へ向かって走っていた。戸田から土肥へぬける山中は起伏がきつく、道路は曲がりくねり道幅は狭い。およそ右側は断崖であり、遥か下方には海面が見える。至るところは木々に覆われて昼間でも薄暗い。それは針葉樹の森であったり、雑木の林であったりする。でも早春の頃、道沿いの叢や崖の日溜まりで野イチゴが真っ白な5弁の花を無数に咲かせ、6月頃、オレンジ色に熟した甘い実を輝かせる。同じ頃、たわわに実を付けた山桑も真っ黒にその実を熟すのだ。山鳥が集まり、動物たちが姿を見せる。山の恵みを腹に詰め込むと、彼らは山の水に口をつけ、体に流し込む。そしておもむろにまた木立の陰に消えて行くのだ。鶯の鳴き声が山に咲き乱れ、山ウツギの白い花びらが空を舞う。ライトグリーンメタリックのRVRは山道を縫うように、静かに走り続ける。梢にとまる鳥たちの下を、あるいは草を食む動物たちの傍らを通り過ぎて行く。まるでそれぞれがそれぞれの存在をいとう事なく受け入れているように。ある過ぎた夏の日に起きた災害で崩れた道の補修作業がその道で行われている。大型のワゴン車が来たが、作業員は白い旗をその車に向けて大きく振り続けている。RVRはスピードを落とさない。崖側を右にカーブし左にハンドルを切り、緩い下り坂を下りる。そしてそのワゴン車が来る直線へぬける。片側交互通行表示板が立てかけてある。その場所でRVRからは状況が確認できるはずだが、依然としてRVRはスピードを落とさない。対向車が片側交互通行車線に入り、後少しで其処を抜けようとした時、RVRはそのまま突き抜けた。RVRの車体の中を、対向車が通り過ぎて行く。作業車や作業員たちの中をRVRが通り抜けて行く。何も起こらない。誰ひとりとして気づかない。何もなかったようにその対向車は走り過ぎて行った。作業員たちはそれぞれの持ち場で変わらず作業を続けている。RVRは尚も走り続ける。密やかに加速しなから、失われた風の記憶のように走り続けている。幾つかの景勝地を過ぎて、下り坂が終わると目前に海が広がる。土肥から堂ヶ島、松崎まで潮の風の街を駆け抜ける。前を行く車を、赤信号を、更に横断する人びとの中を、まるで上書きでもするかのようにRVRは走り続ける。音が無くなっている。

全ての音が消えているのだ。松崎を過ぎてしまうと道は再び上り坂になる。狭い道がうねりながら急激に昇りが続く。そこから見える海は果てしない永遠の海だ。命の物語を抱えながら必死に輝いている。RVRはその海の輝きを受け次第に光の塊となっていった。ライトグリーンメタリックは矢のように真っ直ぐ山中を駆け抜けて行く。やがて陸地が終わり海が始まる。RVRはその断崖を突き抜ける。光の余韻が閃光となって蒼い空を切り裂く。間もなく蒼い空の中に、ライトグリーンメタリックのRVRが消えた。その先の向こうには赤茶けた岩肌の黄金崎の断崖があり、波は断崖に砕け続けていた。


◇エピローグ(2011)

『あれから僕たちは何処へ歩いて来たのだろう。

十数年も前に僕たちが歩いていた場所は、今は遠い異国の風のようで、見知らぬ不思議さに虚ろうばかりだ。あの日の荒れ狂う轟音の記憶はこんなにも僕たちに纏わりついていると言うのに、僕の手は、僕の影にさえ触れられない。

何故と問うのではない、どうすればと叫びたいのだ。

いったい人生とはなんなのだろう。人生をあるがままに受け入れた者たちばかりに苦しみが襲う。そしてある日僕たちは知るのだ。事実ばかりが目の前を通り過ぎて行くことを。

狂気はその中に姿を隠し、僕たちを誘い出すチャンスを狙っている。欲望の微かな微笑みを浮かべた者たちが同じ横顔で、同じ仕草を繰り返し、同じ声を囁きながら気づいたら僕たちの頭上を覆っている。姿を変えてあの日々を繰り返させ続けるのだ。

山はどうか、海はどうか、また空はどうか、

其処に架かる虹を、誰か見たか。

あるがままの人生をモクロム者たちの影が、そこに見えるではないか。目を凝らして、ほらよく見てごらん、その陰の中だよ。あんなにも集まって、搾取と偽善の息を吐きながら目論んでいる、ダイヤモンドのように輝く胸を誇らしげにして。

人生にはそうあってはならない事があるのだ。傲る欲望。開発と言う名の、発展と言う名の果てしなき欲望。科学がもたらした数知れぬ喪失と、宗教と言う名の元に奪われた数知れぬ命と。歴史が語る言葉は、あるべき姿を問い続けていると言うのに、誰もかも、虚しい声をたてるばかりだ。声にならない声で、何処にも届きはしないか。否、そう操る者は誰か。

あの日から、トキハウゴイタカ。』


〈  完結済み 〉

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さよなら、ライトグリーンメタリック カッコー @nemurukame

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