第16話

僕はふとその白っぽい色が気になった。そっと周りの砂を掘ってみた。掘り出したものは杭ではなかった。骨だ。それも人間の、おそらく子供のものだ。大腿骨あたりの、真っ白な骨だった。

この手に握りしめた骨の白さは悲しいほど儚なかった。手を開けば沈まずにそこにそのまま浮いていた。かつてそこにあったはずの重みの意味は、過ぎ去った時間の流れに溶けていた。その意味の全てが失われるまで、時はいったいどれ程の長さを過ぎて行ったのだろう。そうだ、時間は一時も立ち止まる事も無く過ぎて行くのだ。全てのものを連れて、虚空の中に消えて行く。僕は海底の砂地にその骨が入るくらいの穴を掘った。海底の砂はとても崩れやすくて上手く掘れなかった。それでも僕は掘り続けた。思ったよりも長い時間がかかった。穴を掘り終わった時に、酸素ボンベの残量がもうほとんど無い事に気が付いた。海面に出るまでの時間はもう残されていなかった。僕は左手に骨を持ったまま穴の中に入れた。肘の辺りまで深さがあった。僕はそのまま右手で砂を被せた。砂を被せ終わるとゆっくりと砂の中で左手を開いた。そしてそのまま慎重に腕を抜いて、近くにあった手頃な石を幾つかその上に置いた。その時、最後の息の泡がレギュレターから吐き出された。僕は海底に膝をつけたままゆっくりと背負っていたボンベを下ろした。それから浮力を抑えるための鉛を巻いたベルトを外し、レギュレターを取った。BCDスーツを脱いでウェットスーツだけになって、思い切りフィンで海底を蹴りフィンを動かした。でももう僕の意識は無くなりかけていた。少しずつ海水が口に入ってきていた。意識が遠退いていくのが感じられた。僕は顔を上げてマスク越しに海面がある方向を見た。僕の吐いた最後の息の泡が昇って行くのが残像のように微かに見えた。もう腕が上がらなかった。フィンの動きが止まり、僕の体が束の間水中に静止し、そして沈みだし、海水が僕をのみ込もうとした瞬間、目の眩む程の強い光の帯に僕は包まれていた。その光の中に僕は浮いている。その中で僕はゆっくりと息を吸い、そして息を吐く。僕の繰り返す呼吸の音が聞こえている。その光の帯はあの骨を埋めた海底の場所からサーチライトのように伸びている。僕はその中に包み込まれている。僕の体はゆっくりと光に運ばれて海面へと近づいて行く。気が付くと光は少しずつ回転しているようだった。もしかしたら僕の体が回っていたのかも知れない。やがて僕の体は平行感覚も失いぐらぐらと揺れ始め、光の波が僕の体に纏わり付きながら 僕を溶かし僕を形作り、矮小にあるいは膨張させてあらゆる物事の狭間をすり抜けさせて行った。温かさが体の隅々まで伝わって来た。全身から力が抜けて行った。もう目を開けてはいられなかった。誰かが僕を呼んでいるようだった。とても遠いところからその声は聞こえて来た。でもその声は言葉にはならない声だった。言葉にならない声が遠くから近づいて来ては僕の耳元を掠めて行った。それは笑い声のようだったし、叫び声のようでもあった。僕は暫くのあいだその声を聞いていた。突然僕の体が何かにぶつかったように弾かれた。僕は必死に両足を踏ん張った。踏ん張りながら僕は顔を上げた。蒼い空が見えた。所々に白い雲の塊が浮かんでいた。繰り返す波の波頭が僕の腰の辺りに寄せては砕けていた。僕の周りに多くの海水浴を楽しむ人達がいた。何組かの若いカップルや子供連れの家族や、男だけのグループ、女の子だけのグループ、その誰もが笑顔と歓声の中にいた。その中で僕は一人ウェットスーツを着て海の中に佇んでいた。

僕は思わず辺りを見回す。海辺の風景や岬の風景を、その向こうに連なる山の風景を。その山裾を通る高速道路を。そして僕は感じる。間もなくそれは確信となる。僕は此処を覚えている。この海を、僕は知っている。


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