キャットニップ 天上編 その2

 ヘラを涙目で見上げ、箇条書きのごとく懺悔ざんげするゼウス。

 真実の鏡に映し出されたゼウスが、呼応するように頷いた。

 もしも嘘をついたなら、万が一、鏡の中のゼウスが首を横に振ったなら、百万ボルトの雷撃が頭めがけて落ちてくる。

 泣きじゃくりたいのを我慢して、ゼウスは正直に告白していた。 


「なぜ冥界から人間界へ行こうとしたのか、言い訳は聞きませんし、わたくしには些細なことです」


 些細なことと言うわりには鬼の形相だとゼウスが思ったとたん、脳天を百万ボルトが直撃した。


「正直なのに、なぜだ! 」


 床にひしゃげたゼウスを、もう一発雷撃が見舞った。


「それで? 非常口から逃げ出した黒猫が、「地獄の沙汰門」の鍵を持ち出したとでも言うのですか? 黒猫が?」


 あくまでもゼウスの抗議を無視して、ヘラは質問を続ける。

 神業で焦げついた髪を修復したゼウスは、また正座した。


「最初の親書には、「地獄門の非常口の鍵」の予備を持っていないかと書かれていたんだが、それを読むまでは忘れていた。その、持って帰ったことを」


「地獄の沙汰門」の隙間から、無理やり捻じ込んだらしい親書は、くしゃくしゃに曲がっている。

 その親書を、ゼウスは素直に差し出した。ついでにチラとヘラを見上げては、ため息を吐く。


「どこに片付けたのか思い出せないから、しばらく待ってくれと返事を捩じ込んだあと、また親書がきて」


 ゼウスが非常口から出ようとしていた顛末を、隠れて見ていた門番がいたらしい。

 逃げ出した黒猫も見ていたが、身分違いの神を告訴するのは怖かったらしく、捜査の手がおよんで初めて口を開いたそうだ。


「ハデスからの親書に書かれていたんだ。黒猫はペルセポネのもので、いつも連れ歩くから、額の三日月毛に非常口の鍵を封印していたそうだ」


 ゼウスが黒猫を逃がし、なおかつ予備の鍵を返さなかったせいで、布教活動に派遣された男神たちは、「地獄の沙汰門」から天界へ帰れなくなった。

 まさか「地獄門」を開けて人間界に入り、「天国の門」を使って天界に帰るなどと、人間界を乱す恐ろしい行為は許されない。


 おまけに里帰りできなくなったペルセポネが、いっさいハデスと口をきかなくなったそうだ。


「一年ほど前に、「地獄の沙汰門」の警備神から最初の親書が届いた。門の隙間からねじ込まれていたのを、ぐうぜん見つけたからと」


「はぁ〜」と、またもやヘラは肩を落とした。そして次の瞬間、カッと目を見開く。

 思わずのけぞったゼウスの胸ぐらをつかんで、力の限りゆさぶった。


「よろしいですこと! 天界から人間界へ直接干渉できたのは、人間界で言うところの神代の時代でしてよ! 天地全宇宙神々連合で取り決めた、人間界への絶対不可侵条約のもと、必要な神々以外の神は、人間界への出没を禁止されていますでしょうにっ! 」


 と、叫んだヘラが、ポンと膝を打った。


「あなた。最近の人間界の異常気象の原因は、ぺルセポネが里帰りしていないからですのね。人間の愚かな行為だけが、原因だったわけではないのですねぇ! 」


 ゼウスが頭を抱え、ヘラが両手を握りしめて叫んだあと、夫婦揃って深いため息を吐く。


「こうなったら、天界すべての女神を招集して、鍵を探しましょう! 」


 先に立ち直ったヘラが、拳を突き上げた。

 もはや夫の面目など、地に落ちようが踏みくちゃにされようが、知るもんかと宣言したも同然だ。

 すでにボロボロのゼウスは、首振り人形と化している。


「あのぅ〜。よろしいでしょうかぁ」


 遠慮がちと言うより、わざとらしく間延びしたヘルメスの声が、うすく開いた扉の外から聞こえてきた。


「なんだ? わしは忙しい !! 」


 偉そうにふんぞり返ったゼウスの頭で、パコンッといい音がした。

 声も出せずに頭を押さえるゼウスを、腕組みしたヘラは冷たく流し見ていた。その白魚のような手には、さっきまで身につけていたサンダルが握られている。


「お入りなさい、ちょうど良かったわ。いま呼ぼうと思っていたの」


 廊下でヘルメスが立ち聞きしているのを、ヘラは気づいていた。

 ゼウスの様子を知りながら、ヘラに報告しなかったのは腹立たしい。見ようによっては同罪ともいえるだろう。


 どう料理してやろうかしらと考えるヘラの前にひざまずいて、ヘルメスはじぶんの鼻先へ銀色の鍵を持ち上げて見せた。


「いやぁ、ゼウスさまが何を探していらっしゃるのか知らなくて、すみません。冥界から帰還されたおり、ずいぶんお召し物が汚れていらっしゃったので、わたくし洗濯をさせていただきました。そのときポケットに、これが入っておりましてお預かりしたのですが、す〜っかり忘れておりましたです。ア アハ ハハハ」


 能天気に笑うヘルメスの脳天に、複数回の雷撃が落ちたのは言うまでもない。


 かくして数多の親書がねじ込まれていた「地獄の沙汰門」は開かれ、冥界に派遣されていた男神たちは、無事に天界へと返還したのだった。


 ちなみに、予備の鍵を取り戻したペルセポネが里帰りし、冬だったはずの人間界の季節が、夏日に逆行したのは、言うまでも無い。

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キャットニップ 桜泉 @ousenn

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